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30.帰りつくところ(中編)

 問われた希望に、おまえのいつもどおりでいい、と答えたアシュレイを、それならとテオバルドは外に連れ出した。  広場のほうへ向かう道すがら、いつもは宮廷の食堂で済ませることが多いという話を聞く。 「ですが、宮廷は嫌でしょう」 「自分ではもうしないのか?」  自分のもとにいたころは機嫌の良い顔で料理やらなにやらに取り組んでいたので、性に合っているのだと思っていた。もちろん、そうするほかなかったという理由もあっただろうが。  首を傾げたアシュレイに、テオバルドは、あぁ、と頷いた。 「そうですね。最近は、あまり。仕事が忙しいこともありますが、ひとりだと外で済ますほうが合理的ですから」 「食事を合理的かどうかで判断するなと散々に言われた覚えがあるが」 「言ったかもしれませんね」  あっさりと認めたテオバルドが、でも、と同じ調子で笑う。 「一緒に食べてくれる人がいないと、つくろうなどという気になりませんよ。あなたがいたからしていただけです」  そういうものだろうか。被ったフードの下からちらりと見上げる。秋の太陽に照らされたテオバルドの横顔は穏やかで、そういうものだったかもしれないと思い直すことにした。  自分にしたところで、テオバルドの存在がなければ、食事に合理性以外のものを求めることはなかったはずだ。  ――それにしても、王都はあいかわらずの人の多さだな。  休日であることも一因だろうが、老若男女問わずの人出で往来は随分とにぎわっている。  少々騒々しくあるものの、テオバルドが日々を過ごしているところなのだ。日頃と異なる興味を胸に、アシュレイは周囲を見渡した。 「それに、器具もなにも揃えていないので。あなたの家は、あなたがなにもしないわりに潤沢でしたが」 「俺じゃない。ルカが買い揃えたんだ。まぁ、もともとはルカの家のわけだから、好きにしてくれてかまわないんだが」  そのとおりであるのだが、振り回されたエンバレーでの四年が過ったせいで、過分にうんざりとした声になってしまった。 「いい年をして流行りものが好きなんだ。あのストーブも王都で流行り出したころに嬉々として取りつけていた」 「……大師匠が」  ぽつりと呟いたテオバルドが、恐る恐るというふうに問いかけてくる。 「あの、師匠」 「なんだ?」 「と、いうことは、……あの、私が手を入れていたのは、本当に余計なことだったのでは」 「いや、それはかまわない。ルカはもうずっと王都の本宅で生活をしているんだ。もう二十年は俺が管理をしているし、死んだら好きにしろと言われている」  テオバルドが生まれたころにはひとりで住んでいたので、正確には二十年と少し。テオバルドを弟子に取るまで、アシュレイは本当にひっそりと森で暮らしていたのだ。  少しの間のあとで、それならいいのですが、とテオバルドが苦笑をこぼした。 「なぜなのでしょうね。何年も一緒に暮らしたはずなのに、離れてからのほうが知らなかったことが目に見えて増えた気がします」  どこか寂しげな表情に思えて、名前を呼ぼうとした瞬間、テオバルドが顔の向きを変えた。広場が近づくにつれ目立ち始めた屋台を、取り繕うように見渡す。 「それでも、朝からそこまで腹に物を入れないのは変わらないでしょう。コーヒーでも買ってきます」  待っていてください、と言い置くと、テオバルドはコーヒー・ストールに足を向けた。  広くなった背中を見送り、苦笑とも溜息ともつかぬものを呑み込む。気にするようなことではないと思うのだが、どうも気になるらしい。  なにを考えているのやらと呆れることもあるものの、元来が素直な性質のせいか、一端の大人というふうになった今も、テオバルドの嘘は存外とわかりやすかった。  まぁ、そんなことを言ったところで、すべてを理解できるわけもないのだが。違う人間である以上、当然とアシュレイは思っている。  ――だからこそ、「黙っていてはわからない」と何度も言い諭したわけだが。  教えのとおり、森にいた当時は素直に喋ってくれたものだが、同じ状況を今のテオバルドに期待することは酷というものだろう。テオバルドの言うとおりで、もう子どもではないのだ。  ふたり並んで広場の一角に腰を下ろすこと、数分。コーヒーに口をつけ、アシュレイは隣を見やった。言いたいことがあるのか、ないのか。テオバルドはよくわからない顔をしている。 「休みの日は、いつもこんなふうなのか」  昔と同じ調子で言い諭す代わりに、アシュレイは問いかけた。  屋台の店主と親しげな様子だったので、馴染みの店なのだろうと思ったのだ。テオバルドが王都で築いた人間関係を垣間見た気分でもあった。グリットンにいたころも、持ち前の愛想の良さでかわいがられていたが、ここでも同じであるらしい。 「あぁ、……いや、そうですね」  はっとしたふうに苦笑したテオバルドが、沈黙を誤魔化すそぶりでコーヒーを持ち上げる。 「勉強会に参加することもありますが、研究部に向かうことのほうが多いですね。あそこは器具が揃っているので」 「なんだ、休みの日も研究三昧か」 「あなたも似たようなものだったではないですか」  懐かしそうにほほえむ横顔に、アシュレイも目元を笑ませた。たしかに、自分もテオバルドも暇があれば本を読んでいた。 「あとは、そうですね」  ひとりごちるように呟き、テオバルドが空を軽く見上げる。つられて見上げた空は、眩しいくらいの晴天だった。 「忙しいときは叶いませんが、月に一度はグリットンに顔を出すようにしています」 「ほう」 「あなたが、父と母を安心させる方法を教えてくれたからだと思います。おかげで、自然と足が向くようになりました」  月に一度。幼かったテオバルドを連れ、イーサンの店に顔を出していた理由を、そういうふうに捉えていてくれたらしい。イーサンの推察どおりだった事実に、アシュレイは小さく笑った。 「そうか」  ――随分と擦れたと思ったのは、杞憂だったかもしれないな。  変わった部分はあっても、根本のところはなにも変わらず、優しいテオバルドのままだ。 「そうやって、月に一度、グリットンに顔を出して、あなたの家も勝手ながら片づけて」 「……」 「あなたがいつ戻っても大丈夫な環境を整えて、あなたの帰りを待っていました」  空を向いていた視線が、ゆっくりとこちらに動く。再会して以来、一番穏やかな瞳だった。それと同じ声が、師匠、と自分を呼ぶ。 「お戻りをお待ちしていました。無事に戻ってきてくれて、本当によかった。おかえりなさい」  予想していなかった台詞に、ぱしりと瞳を瞬かせる。その反応に、テオバルドはわずかに眉を下げた。 「すみません。もっと早くに言えばよかったのに、意地を張りました」 「……いや」  イーサンに出迎えてもらったときとは少し違うこそばゆさと、同等以上のあたたかさ。そのふたつを抱いたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。大切にしたかったのだ。 「ありがとう、テオバルド。ただいま戻った」

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