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48.悔いと未来(前編)
もしかすると、これは死んだかもしれないな。
テーブルに突っ伏す自分の姿を見とめたアシュレイは、そう推論を組み立てた。
目が覚めたと感じたときには、宙に浮いた状態だったのだ。死んでいると言い切ることこそできないものの、それに近い状態と考えるほうが妥当だろう。
自分が意識体ということになるのだろうが、しかし、どうしたものだろうな、これは。店内の様子を確認し、アシュレイは溜息を呑んだ。
イーサンの店はてんやわんやの大騒ぎになっていて、なけなしの罪悪感がちくりと疼く。前触れなく大魔法使いが倒れたら、それは、まぁ、みな真っ青にもなるというものだ。
――意識が戻れば済む話だろうが、自分の意志で戻ることができるかとなると、なんとも言いがたいな。
テオバルドに与えた加護の対価を「自分」と定義したのは、かつてのアシュレイだ。発動した以上、テオバルドに問題はないはずだが、自分の現状がいささか予想を超えている。
大魔法使いと言えど、すべてが予想どおりに進むとは限らないということか。ひさかたぶりの困惑を持て余し、天井に近い梁に腰を下ろす。座るという定義が成立するのかという議論はさておいておく。こういうものは、気分の問題だ。
そうこうしているうちに、居合わせた客が連れ戻したのか、血相を変えたエレノアが飛び込んできた。
「アシュレイ!」
その勢いのまま、エレノアは自分の身体を揺さぶっている。薬草学に長けた魔法使いと思えぬ粗雑さを呆れ半分に眺めていたアシュレイだったが、途中でふいと視線を外した。
随分と昔に見た表情と重なる必死さに、居た堪れなくなったのだ。泣く以外なにもできないというふうにイーサンに取りすがっていた、小さなエレノア。
「ちょっと、アシュレイ。なにやってるのよ! あなた、大魔法使いなんじゃないの⁉ 死んでないんだから、さっさと目を開けなさいよ!」
自分に対して、そこまで血の気の引いた顔をする必要はないだろうに。エレノアの情の深さには辟易とさせられたが、言葉を信じるのであれば、死んだわけではないようだ。
無論、この状態が続けば、いずれは死ぬだろうが。さすがにそのあたりは「人間」と同じ構造をしていると信じたいところである。
――まぁ、こんな茶番を見るくらいなら、死んだほうが楽だった気もするが。
自分の失態で――予想外の事態に陥った上、制御も修正もできていないのだ。失態以外のなにものでもないだろう――気を揉まれている現状は、どうにも落ち着かない。
だが、それも含めて自分の責任である。しかたなく視線を戻せば、イーサンがエレノアを宥め始めたところだった。自分以上の取り乱しぶりを見せつけられ、逆に落ち着いたらしい。
眼下で繰り広げられるやりとりに、アシュレイはほっとした。
エレノアのことはイーサンに任せておけば問題がないからだ。逆も同じだ。イーサンのことはエレノアに任せておけば問題ない。本心で思っていることだ。
「じゃあ、私、緑の大魔法使いさまを呼んでくるわ!」
イーサンとどんな話をつけたのか、エレノアが立ち上がる。やめておけと言いたかったものの、当然と声は届かない。
王都まで何時間かかると思っている。戻るころには日が沈んでいるに違いなく、女ひとりで出歩く時間ではないだろう。イーサンもイーサンだ。「気をつけて行けよ」の一言で許可することではないはずだ。揃いも揃って、人が良すぎやしないだろうか。
……いや、それも、昔からだったか。
諦めに似た心境で、アシュレイは悶々を締めくくった。昔からこのふたりはそうなのだ。だから、自分の感情は正しく薄らいだのかもしれない。
「悪いな。今日はこれで終いにさせてくれ」
エレノアを見送ったイーサンが、遠巻きに見守っていた常連客たちに声をかけている。
「悪かったな、面倒ごとに巻き込んで」
「それは、もちろんかまわないが、……その、大丈夫なのか?」
「なに、大丈夫だ」
グリットンの人間らしい善良な問いかけを、イーサンはなんでもないふうに請け負った。自分に視線を落とすことで表情を隠し、そっと呟く。
「こいつは、大魔法使いだからな」
言い聞かせているふうにも響いた台詞に、またひとつ罪悪感が疼いた気がした。
なぜなのだろうと思う。迷惑をかけた自覚はあるが、行い自体は正しかったはずなのに。物憂げなイーサンの表情が、蒼白だったエレノアの顔が、妙に胸に突き刺さる。誰にも聞こえることのない溜息を、アシュレイは深々と吐き出した。
大魔法使いとなってからのアシュレイは、それなりに国と民に尽くしたつもりでいる。国と民のために正しく魔力を行使しようと決めたからだ。
魔力を個人の所有にしないという考えは、おおむね正しい。そう評したことに嘘はなく、あの日以来、そのつもりで生きてきた。だが、魔力を研鑽したのはアシュレイなのだ。
最後くらい、自分の一番大切なものを守るために使ってもいいだろう。そんなことを、いつしか思うようになった。すべて、テオバルドを預かってからのことだ。
だから、加護を授けた。多少しくじっているものの、師匠として正しい務めだったと自負している。そのはずなのに、なぜか悔やみそうになっている。テオバルドもあんな顔をすると思うからなのだろうか。自分のしたことであるのに、わからなくなりそうだった。
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