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49.悔いと未来(中編)
「ひさしぶりだね、イーサン」
耳に届いた師匠の声に、ふわりと意識が浮上する。眠っていたつもりはなかったのだが、時間と場面が急に切り替わった感覚があった。もしかすると、知らず眠っていたのかもしれない。
どうにも慣れないと、アシュレイは半分透けた右手のひらに視線を落とした。
――とくに変わりはない、か。
エレノアが連れてきたのであれば、もう夜も遅い時間のはずだ。それだけの時間が経過しているにもかかわらず、特段の変化は見受けられない。溜息を呑み、梁の上から室内を見渡す。
どうやら店の二階にある寝室に場所を移動したらしい。自分が寝かされたベッドのすぐそばに座っていたイーサンが、がたりと椅子から立ち上がる。
「緑の大魔法使いさま」
「会うのは何年ぶりかな。まぁ、随分と大きくなって」
変わらぬ笑みを浮かべるルカの背後で、遅れて入ってきたエレノアがそっと扉を閉めた。移動の疲れはあるものの、顔の血の気は戻っている。
見とめた変化に安堵を覚えた、次の瞬間。背中に冷たい汗が流れるような感覚を、アシュレイは知覚した。自分の見分を終えたルカの視線が動き、はっきりとこちらを見たからだ。
……見えているのだろうな、これは。
なにせ、ルカだ。内心でひとりごち、ぎこちなく視線を逸らす。あれは、なにかをしでかした弟子を叱るときの目だ。
「あの、大魔法使いさま。アシュレイは、アシュレイは大丈夫なんですか?」
「まぁ、落ち着きなさい」
急いて問うエレノアを穏やかに宥め、ルカがほほえむ。善良な大魔法使いらしい笑顔だったが、アシュレイにはろくなものに見えなかった。
「おおまかの見当はついたから、安心するといい。これは呪 いだ」
「呪 い? 呪 いですって?」
「ちょっと待ってください。アシュレイですよ? 大魔法使いです。そのアシュレイを呪 うことのできる魔法使いがいるのですか」
混乱した様子のエレノアに代わって、イーサンが問い質す。めったと見ない真剣そのものの表情に、苦虫を噛む。やはり、ろくな笑顔でなかった。なにが、呪 いだ。
「探せばいないことはないと思うけれどね」
あっさりと応じたルカが、「もっと単純な話だよ」と理を説く。
「呪 いをかけたのは、この子自身だ」
その台詞に、イーサンの視線が眠っている自分のほうへ動いた。ルカには聞こえているかもしれない。承知の上で、アシュレイは溜息を吐いた。なにが呪 いだ。
たしかに、呪 いと呪 いは表裏一体のものだ。だが、自分は言祝いだつもりしかない。師匠と言えど、かわいい弟子のためにしたことを、呪 いとまでこき下ろす謂れはないだろう。
「とは言え、だ。この弟子は呪 いをかけたつもりはなかったと思うが」
馬鹿な話だけどね、とルカが続ける。
「言祝ぎのつもりでしかなかったのだろう。どちらにしろ、傲慢な話とは思うが。我々は大魔法使いだが、同時に人間でなければならない。神のまねごとをしていいはずがないんだ」
神のまねごととは、それもまた随分な言いようだ。そもそもとして、そんな大層なことをしたつもりはないのだが。恐ろしいことに、抱いた不服が通じたらしい。
自分と同じ緑の瞳が、再びの一瞥を寄こす。だが、ルカは、なにごともなかった態度でイーサンへ向き直った。
「人の生死に関わる事象に、安直に手を出すべきではない。二十年以上前に思い知っていると考えていたのだが、どうも認識が甘かったらしい。これも私の指導不足というやつなのかな」
自身に向けられた皮肉だと、アシュレイは正確に理解した。承知の上だという理屈を通すつもりも、ルカはないに違いない。
諦めて見守りに徹していると、イーサンがベッドから顔を上げた。その隣で、エレノアは唇を噛んでうつむいてしまっている。
「それは、うちの息子が関係している話ですか」
「随分とかわいがっていたようだからね。話を聞かされるこちらが妬いてしまうほどに」
場違いなほどの笑顔で応じたルカが、もちろん、と言い添える。
「ご子息に責任はないことだ。きみたちが責任を感じる必要も、まったくない」
そのとおりだとアシュレイは頷いた。忌々しい発言ばかりだったが、これについての異論はない。起こっている事象の責任のすべては自分にあり、すべて自分の意志である。
「ですが……!」
「繰り返すが、きみが気にすることではない。馬鹿な弟子だが、本人の望む結果であったのだろうしね。それに、こうなったのは、対価のつり合いが取れていなかったというだけのことだ」
――対価のつり合い?
本意を捉え損ね、そっと首をひねる。師匠には見当がついているらしいが、対価を間違うようなことはしていないはずなのだが。
自分の困惑などおかまいなしと、呆れた声でルカは吐き捨てた。
「本当に、いつも、この弟子は、自分の命を軽んじすぎる」
「……っ、緑の大魔法使いさまの言うとおりよ!」
「エレノア」
声を振り絞ったエレノアの肩を、思わずというふうにイーサンが抱き寄せる。けれど、エレノアは言葉をゆるめることを選ばなかった。
「本当に馬鹿! 昔から馬鹿だったけど、なにも変わってないじゃない。あのねぇ、私は」
非難が途切れ、エレノアが手の甲で目元を拭う。呼吸を整えるような間のあと、再びベッドを睨みつけたエレノアは、はっきりと自分に言い捨てた。
「私に言えることじゃないかもしれないけど、テオバルドが無事でも、あなたが死んだらなんの意味もないのよ。今度こそ絶対にもう二度と忘れないで!」
「まったくもって、きみが正しい」
拍手のひとつでもする調子で頷いたルカが、またしても大魔法使いらしい笑みを浮かべた。その顔で、イーサンとエレノアを順々に見やっていく。
「だが、困ったことに、それでも、かわいい私の弟子でね。きみたちが負う責はないが、私には持つ責がある。イーサン、エレノア。長くこれの友であるきみたちに誓おう。最後まで、この目で私が見守ることを。だから、下で待っているといい」
逡巡するそぶりを見せたイーサンだったが、ベッドから静かに視線を外した。ルカに頭を下げ、うつむいたままのエレノアを促す。
「ほら、下で待とう」
愛情に満ち満ちた声だった。エレノアたちが気を揉むことが、馬鹿らしいとしか思えないような。目を赤くしたエレノアを、呆れ半分で見下ろす。
――だから、言っただろう。
エレノアと出逢った当初から、イーサンは正しくエレノアを愛しているのだ。だから、そんなふうに、もう泣くな。もう一度目元を押さえたエレノアに、アシュレイはそう呟いた。
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