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51.星を言祝ぐ(前編)

「本当に、眠っているだけなのですか」  アシュレイの様子を確認したテオバルドは、見守っていた緑の大魔法使いに、そう声をかけた。実家のベッドに寝かされた彼は、たしかにただ深く眠っているように見える。  ――倒れたとも聞いたけど、でも、ここでよかった。  せめて、父と母のいるところで。自身に言い聞かせるように、内心で呟く。  夜を越え、日が昇り、また日の沈む時間が近づいたころ、テオバルドはようやくグリットンに帰り着いた。大師匠の姿まで実家にあったことは驚いたが、おそらく母が呼んだのだろう。なにせ、この国で一番、薬草学の分野に長けた人だ。 「そうだね」  その大魔法使いが、ゆっくりと問いかけに頷く。 「眠ったままの状態が続けば、いつか命は尽きると思うが。今のところは眠っているという表現で差し支えない」 「そんな、なにを悠長な……」  他人事の態度に荒げかけた声を、テオバルドはどうにか呑み込んだ。そっとアシュレイに視線を移す。  これほど近くで喋っていても目を覚ます気配がない事実が「ただ眠っているだけはない」のだとテオバルドに如実に伝えてくるようだった。そういう人だと知っている。  それなのに、という不安に蓋をして、テオバルドは顔を上げた。 「そもそもですが、これは、私にかけられていた加護が関係する事態なのですよね」 「そうだね」 「そうであれば、私になにかできることはありませんか」  本来であれば、自分が負うはずだったものだ。真剣に尋ねたにもかかわらず、緑の大魔法使いは、なぜか楽しげな顔をした。問い返す声に、思わず険が混じる。 「なにがおかしいのですか」 「いや、失礼」  かたちばかりの謝罪は示したものの、緑の大魔法使いはまだくすくすと笑っている。 「その馬鹿な健気さと言えばいいのかな。まさしくこれの弟子だと思うと、どうにもかわいくてね。だが、安心するといい。これは、きみが命を張るような大層な代物ではない」 「え……」  すべて承知しているといった雰囲気に、テオバルドは再び戸惑った。 「では、なぜ、なにもなさらないのですか。師匠の師匠なのですよね」 「もちろん」  師匠と似た緑の瞳が、にこりとほほえむ。 「私にとっては、ほとんど話したことのない孫弟子より、赤子のころから育てた弟子のほうがはるかにかわいい。そういう意味で、ぜひ信用してほしい」 「では」  なにもこのタイミングで言う必要はないことだ。わかっていたのに、募り溜まった不信が言葉になった。 「私の同期も、――アイラの命も軽んじましたか。新薬が完成するならそれでいい、と。たかだか凡庸な魔法使いのひとりだと」 「自分の同期を凡庸とは、きみもなかなかひどいことを言う」  そう言って、緑の大魔法使いは苦笑まじりに首を傾げた。 「私や私の弟子に比べると凡庸であることは否定しないが、それでも、彼女は秀才だ。これからに期待もしている。その私の期待が無謀に走らせたというのなら、素直に謝ろう。けれど、水掛け論にしかならないことを議論している場合なのかな」 「それは」  あなたを信用できないからだと言い切ることは、さすがにできなかった。口を噤み、手のひらを握り込む。悔しいが、現状を打破できる人物は、大魔法使い(この人)しかいないのだ。それに、自分が未熟でなければ、起こらなかったことだ。  黙り込んだテオバルドに、緑の大魔法使いはふっとした笑みを浮かべた。 「テオバルド。北の僻地から、私に遅れること一日でたどり着いたご褒美だ。呪いを解く方法を授けよう」 「っ、それは、どんな方法なのですか」  知っていたのであれば、実行してくれていたらよかっただろうに。詰りたい衝動を抑え、先ほど一蹴された台詞を繰り返す。 「私にできることであれば、なんでもします」  対外的には善良な大魔法使いを気取っているが、身内には本当に面倒な人なんだ。いつだったか、アシュレイは彼をそんなふうに評していた。正直なことを言うと、聞いたときは「師匠に言われたくないだろうな」とほんの少し呆れていたのだが、撤回したい。  本当に面倒で大変だったと訴えたいし、もっとたくさんそんなどうでもいい話を聞きたい。なによりも、伝えたいことがたくさんある。  そのためならなにをしてもいいと、テオバルドは本気で思っていた。 「口づけだ」  もったいぶった間を挟んで返された台詞に、ぽかんと口が開く。 「……は?」 「おや、きみは母君にその手の御伽噺は聞かせてもらわなかったかな。これが私の膝に乗っていたころは、そういうものとザラに諭されて、よく読み聞かせたものだが」  聞いたことはある。だが、それは、この部屋で母に読み聞かせてもらった覚えがあるという程度の古い記憶で、つまり、幼児向けの御伽噺(ファンタジー)だ。現実的な解法ではない。  混乱を極めながらも、テオバルドはどうにか問い返した。 「口づけ……、ですか」 「そのとおり。古今東西、(のろ)いを解くために必要なものは、愛する者からの口づけと決まっているのさ」 「いや、ですが、それは架空の物語の話ですよね。いったい、どのような根拠が。そもそも、これは(のろ)いなのですか」 「その頭の固さも、いかにもこの子の弟子といった感じだね」  愉快そうに喉を鳴らした緑の大魔法使いだったが、ひとしきり笑ったところで表情を改めた。 「だが、これは(のろ)いだ。少なくとも、私の見立てでは」  ちらりとアシュレイに視線を流し、静かに言葉を続ける。 「それに、きみもそうは思わないか? 自分の命が助かる代わりに誰かの命が失われるということが、言祝ぎであっていいはずがない」  今度こそなにも言えなくなって、黙り込む。そのとおりと思ってしまったからだ。 「あとは、そうだね。こちらも憶測の域は出ないことだが、仮に言祝ぎであったとしても、対価がまったくつり合っていなかったんだろう。だから、こうも半端なことになったのでは」  半端という表現に、テオバルドもまたアシュレイに視線を落とした。  グリットンまでの道中、最悪の想像が頭から離れなくて、だから、この人の命があったことに心底ほっとした。けれど――。 「師匠が」  アシュレイを見つめたまま、テオバルドは呟いた。 「師匠が、対価を間違うようなことがありますか」 「私もこれも人間だ。一応はね。万能の神ではない。誰に大魔法使いと持て囃されようとも、間違うことはある。もちろん、思い悩むこともね」  さも当然という口調が、棘となって胸に突き刺さる。師匠のことを完璧な存在などと思ったことはないつもりだ。だが、大魔法使い()であれば大丈夫と盲信していた時点で、彼を大魔法使いとして扱い一線を引く人たちと同じだったのかもしれない。 「いついかなるときも理性的な判断ができるというわけでもない。とくに、大事な人間が絡む場面ではね」  感知した自嘲の欠片に、テオバルドははっと顔を上げた。

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