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第3話

 正直なところ、俺は歓喜した。  第一章『アリス』編、第二章『イーディス』編、第三章『ロリーナ』編でそれぞれのヒロインに並々ならぬ恋心を抱く当て馬(きょうだい)たちに対して、『ノエル(おれ)』は第二章の回想で名前が出てくるだけのモブキャラ!  設定も明確でなく、おねショタ担当のノア・デズモンドの実兄で、デズモンド家で一・二を争う美貌の青年である……くらいしか描写がなかった。 「ノエル、聞いているの?」  ピタリと、頬に扇子が添えられる。  母のために遠方の島国から取り寄せた、特注品(オーダーメイド)の扇子だ。もちろん、注文したのも遠方から商人と職人を呼んだのも、プレゼントしたのも俺である。 「ぁ、はい、聞いてますよ、母上」 「……うふふ、嘘を仰いな」  頬に当てられた扇子が振りかぶられる。  よくしなり、柔軟性がありつつも折れにくく壊れにくい。  無理難題を言いつけた自覚はあるが、根っからの職人気質だった男は、この無理難題に見事応えてくれた。おかげで、職人の男にとって母はお得意様となったし、男を見つけ出して母に紹介した俺の株もあがった。  ――まぁ、プレゼントした扇子で頬をぶっ叩かれるのが日常茶飯事になるとは思いもしなかったケド。 「相変わらず嘘を吐くのが下手ね。そこまで下手くそなら、いっそ嘘を吐くのをおやめなさいな」 「……申し訳ありません、母上」 「違うわ。何度も言っているでしょう? ねぇ、わたくしの美しい子供(ノエル)」  ああ、母のスイッチが入ってしまったらしい。 「……ごめんなさい、マリアお姉様」 「えぇ、えぇ。許しましょうね、可愛い可愛いノエル」  ――狂ってるだろ。実の息子に自分を「お姉様」と呼ばせるなんて。  白く輝く金髪に、ザクロの実を潰して絞ったジュースで満たした紅い瞳。シャープな輪郭に繊細な目鼻立ちのノエルは、確かにデズモンド家で一・二を争う美しさだ。  メインヒーローにも引けを取らない美貌だと自画自賛できる。  輝く珠の美貌だけでデズモンド家の第二夫人となった母と、俺は瓜二つ。  ノエルというキャラクターは原作では回想でしか登場しなかったから、どんな背景や性格なのかわからないが、多分、きっと、今の俺よりは上手く生きていたのかもしれない。  自分で打ったくせに、赤く腫れる頬を痛まし気に撫でる母は、まるで鏡を見ているようだ。  デズモンド家は悪役貴族と名高いだけあり、原作の後半ではきょうだいの半分も生きていなかった。名前すら出ていないきょうだいもいたが、きっと、碌な目にあっていない。 『ノエル』の生死も不明だが、俺は死にたくなかったから、生きていたかったから母のお気に入りになることにした。  マリアの旧姓はミスティリア――北の雪国でかつて王位にも就いていた一族だ。もし、命の危機を感じたら、その縁を辿って亡命するつもりである。  けれど現実はそうも上手くいかず、マリアのお気に入りにはなれたが、そうしたら、母に歪んだ愛情を注がれることになってしまった。  美しさだけで生きてきたマリアは、傲慢とプライドの塊だった。 「可愛い子供、愛しい分身……わたくしの、母の気持ちをわかってくれますね?」 「はい、マリアお姉さま」  実の子供に自分を重ね、自分と瓜二つの顔を傷つけることに興奮する。究極の自己愛だ。  生き延びるためなら、こんな家さっさと出ていった方がいいのだけど、それができない理由がある。  毒の花(マリア)から生まれたとはとても思えない可愛くて美しい弟。第二章のメインキャラクターである『ノア』を、毒だらけの家にひとり残してはいけなかった。 「いい子、いい子ね。ノエル。いい子のノエルなら、母のお願いを聞いてくれるでしょう?」 「……はい」 「可愛い可愛い、小さなノアを誑かす、エインズワースの三女を誑かしてきなさい」  それは魔女の囁きだった。  嗚呼、嗚呼、よくよく覚えているとも。何度も、何度も何度も紙がくたびれるまで読み返したんだから!  弟のノアはエインズワース家の三女・イーディスに一目惚れをする。  駒鳥シリーズの中でも『イーディス』編は純粋で純真な登場人物が多く、その中でもノアは最年少の少年キャラ。  美貌のマリアの息子で、ノエルの弟であるノアは、淡い金髪も相まって天使のようだと描写されていた。身内の贔屓目無しに見ても、ノアは天からの遣いかと思ってしまうほど愛らしい見目をしている。  原作では悪女のひとりとして数えられるマリアだが、自分にそっくりの子供たちを確かに愛していた。  傲慢でプライド高いけれど、二人の子供に対しては穏やかで優しく、狂気を見せなければとてもいい母親だった。それゆえに、子供たちの結婚相手は自分よりも際立った美貌の令嬢じゃなければ認めないと豪語していた。  イーディスはほかの姉妹に比べると少々地味な見目で、マリアのお眼鏡には敵わなかった。  しかし、実際に自分よりも美しいご令嬢が現れたなら、マリアは狂気を振りかざし、愛しい子供たちを誘惑する悪魔を退治しようとするだろう。  子供たちに対する愛は強い独占欲となり、ノアを誑かした#イーディスを排除しようとする。 「俺が、です、か……?」  でも、原作では排除するための手段に『ノエル』は使われなかった。  ノアのイーディスへの贈り物に毒を混ぜたり、事故を装って殺そうとしたりだったはずだ。 「できるわよね? だって、貴方はわたくしのノエルなんですもの」  うっそりと、笑みに歪められた美貌が恐ろしかった。  どこかで神様が嗤う。  俺は関わるつもりなんてなかった。原作を変えるつもりも、ヒロインたちのヒーローになるつもりもなかったのに。  どうしたって悪戯な神様は俺を原作に関わらせたいらしい。  生き延びるために、死なないために、美しい母にしっぽを振るしかできない俺は『お願い』に首を縦に振った。

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