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第5話

 俺は、原作CP厨の厄介オタクな自覚はあるけど、大切な弟には幸せになってほしい。  できるかぎり原作に介入せずいられるならそれでよかったのに、こうして無理やり舞台に引きずり上げられてしまっては、原作は破綻したも同然だった。  ストーリーの進捗具合で言えば、現在は第二章の始めあたり。同時進行第一章は長男のアレクシアがアリスを屋敷に招待する前の過程だ。  第三章は始まってすらいない。長女・ロリーナのストーカーであるデズモンド家三男が妄想に浸っている頃だ。  原作では、ノアの同伴者はアレクシアだった。  幼く純粋なノアに付け込んで、「恋する兄のために協力をしてくれないか?」だとかなんだとか言いくるめて同伴者となる。実際にその場面を目撃したが、母上直々に「ノアのことをきちんと見ているのよ」とお願いされてしまった俺に拒否権はなく、「僕が同伴するので、ご心配なく」と笑顔で追い払った。  デズモンド邸からダンスパーティーが行われるエインズワース家のゲストハウスまで、馬車で半日もかからない距離だ。  護衛の騎士が数名、馬に乗って馬車の周りを平行して走ってくれている。母上直属の騎士たちだから、奇襲を心配する必要もない。これがどこぞの誰かもわからない護衛であれば、俺たちは領地を出た瞬間に殺されていた。第二章が発売後、「ノアをいつ殺そうか悩んだ」という作者の地獄みたいな思考回路がSNSに投下されたのだ。  直属の騎士を護衛につけるよう母上にお願いしたおかげで、比較的穏やかな馬車の旅路になるだろうと安堵していたのに、エインズワースまであと半分のところで馬車の車輪が外れてしまう事故があった。  ゆっくり行こうと、そこまでスピードも出していなかったため、大事にもならなかった。俺もノアも腰を打ち付けるくらいのケガで済んだのだが、車輪の真ん中からぱっきりと割れてしまい、この場での修復は不可能だった。  応急処置できる状態でもなく、途方にくれる。 「あ、兄上……どうしましょう……」 「ノエル様もノア様も、乗馬はしていらっしゃいませんでしたよね」 「……こういうときのために、習っておけばよかったと思うよ」  ここでいつまでも立ち往生しているわけにはいかない。最終手段として、騎士の後ろに乗せてもらおうと話がまとまりかけたとき、一台の馬車が遠くから近づいてくるのが見えた。  遠目に見えた馬車は真っ白で、汚れが目立ちそうだなぁ、とのんきに構えていた俺の前に騎士たちが剣に手を添えて一歩躍り出た。 「――ミラー家の馬車です」  潜められた声に、驚きをあらわにした。  ミラー家? ミラー家だってッ? こんなところでミラー家が登場する展開なんてあったか!?  蒼玉のミラー家。代々聖騎士を輩出する、由緒正しい騎士の一族。  悪逆非道のデズモンド家とは相容れない、対角線上の点、決して交わらない平行線、それがミラー家だ。  顔を合わせれば嫌味と皮肉の応酬、閣下にお供した夜会で繰り広げられたミラー閣下との冷戦には、もう二度と巻き込まれたくなかった。  デズモンド家もミラー家も、俺は関わり合いにならないのを前提として、ファンである。 「兄上……」 「大丈夫。何かあったら、俺が守るよ」 「ご安心を。私共はマリア様から坊ちゃま方を任されたのです」 「えぇ、そうですとも。さぁ、後ろに下がっておいでください」  頼もしい限りである。  近づいてくる馬車に俺の心臓はドンドンと大きく跳ねている。  物語中盤から、デズモンドとミラーの関係は修復できないほど悪化する。  そりゃそうだろう。三大貴族の中立であり不可侵であるエインズワース家の娘たちの運命が、デズモンドによって狂わされていくんだから。  それも、ミラー家の長男が密かに恋心を寄せていたアリスは、残虐なデズモンドの長男によって身も心も犯され壊されてしまうのだ。今ですら悪い関係が、修復不可能なほどヒビ割れていくのも当たり前だった。  しかし今現在、まだそこまで関係は悪くない。いうなれば、俺個人の印象操作がまだできる段階である。  近づいてきた馬車がスピードを落とし、俺たちの前で止まった。  騎士たちの間に走る緊張をノアも感じ取っており、ぎゅっと強く腕に抱きついてくる。安心させようと、小さな天使を抱き上げて優しく背中を撫でてやった。 「――デズモンドの馬車が、どうしてこんなところで立ち止まっているんだ?」  耳馴染みの良い、透き通った男の声だ。ハリがある声は生命力と自信に満ちている。きょうだいたちの下心や醜悪な感情の見え隠れする声音とは大違いだった。 「ミラー家のお手を煩わせるようなことではございません。どうぞ、先へお進みください」 「片角の山羊のエンブレムがついた馬車は、一族直系の者しか乗れなかったはずだろう。私たちに挨拶も無しか? それとも、顔を見せる価値もないと?」 「いえ、決してそのようなわけでは」 「そも、お前は一介の騎士だろ。僕たちと対等に会話ができると?」 「……大変、失礼いたしました」  なんて尊大、なんて嫌味で皮肉なことか。  彼らは俺たちを守ってくれる立派な騎士だ。率先してミラー家の人間と会話をしていたのも、母上の命令に忠実に従っているからだ。  できることなら、関わりたくない。けれどここで彼らの影に隠れていても、ますますミラー家からの嫌味が酷くなるだけだろう。  表情を歪ませて、口を噤んだ騎士たちに溜め息を吐く。ビクリと騎士たちが肩を震わせるが、別にこれくらいで怒るつもりはない。デズモンド家の中でも穏健派で売っているはずなんだけどなぁ、俺。そもそも、俺が怒ったところで対して怖くないだろうに。 「――ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ミラー家の高貴なる方々」  しん、と音がかき消える。  ノアを下ろし、手を引いて騎士たちの前へと出る。「ノエル様、お待ちくださいっ」と焦り引き止める声が背中でするが、今更後戻りはできない。ここを穏便に乗り越えるにはこれが一番手っ取り早い。  ミラー家当主か、それとも次期聖騎士の跡取りか。ミラー家には長男のほかにふたりの息子と末娘がいたが、メインストーリーに絡んでくることはほとんどなかった。ノエル(おれ)みたいなキャラってわけだ。  胸元に手を当てて、軽く頭を下げる。ここで最高礼をしてしまえば怒られるのは俺だ。「ミラーに頭を下げたのっ!?」とマリアの叱責が飛ぶだろう。  馬車の下から、カーテンで遮られた窓の奥を見る。  よく似た声がふたつ聞こえたが、顔を見せる価値もないと言うのはブーメランだろう。まぁ、ほかのきょうだいだったなら、まず自分から名乗ることはなかっただろうし、それを見越してのセリフだったんだろうが、俺は違う。敵対意思もなければ、遣り合うつもりもない。 「私はデズモンド家第五子のノエルと申します。これは弟のノア。エインズワース邸で行われるダンスパーティーに向かう途中だったのですが、馬車の車輪が壊れてしまいまして……ここで立ち往生していたところです。私共のことはお気になさらず、どうぞ先へお進みください」  俺の取り柄はこの美貌(かお)くらいだ。  表情を浮かべていないと人形のようだと、よく言われる顔に笑みを浮かべて首を傾げた。斜め四十五度くらい。傾け過ぎず、横の髪が頬をくすぐり、髪色と同じ白金のまつ毛が落とした影が相手に見える角度を意識する。  頬をくすぐる髪を耳にかければ、それを直視した騎士たちが唾を飲み込んだ。 「――デズモンドの宝石と、天使」  は? と間抜けな声を漏らしてしまうよりも先に、勢いよく馬車の扉が開いてとんでもなく整った瓜二つの顔をしたふたりの青年が飛び出してきた。 「奇遇だね! 僕たちもエインズワースのダンスパーティーに向かっている途中だったのさ!」 「麗しい君……たちをこんなところに置いていくなんて忍びない! 私たちの馬車へお乗りよ!」  にこにこ。キラキラ。顔面力の高い美形が満面の笑みを向けてくる。  先ほどの冷徹な声音はどこへやら、喜色満面の彼らに困惑した。  ――どうやら、印象操作をするまでもなく、俺への好感度はなぜかマックスらしい。

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