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第12話❀

「悪い子ですね」と手首の内側の、皮膚の薄いところをカインの指先がくすぐっていく。耳の裏をなぞられて、コリコリと耳輪を爪先で弄ばれる。  ――耳が弱いの、バレてるじゃん。  くすぐったさと、不快感になりきらない感覚に我慢できなくて顎が上を向き、唇が薄く開いてしまう。その隙を見逃すはずもなく、やわやわと唇を食んでいたアデルは「ふ、」と息を吹き込むように、生温い水と共に舌を差し込んできた。  驚いて歯を立てそうになる俺を咎めるように、唇をガリッと強く噛まれた。 「ぁ、あ、やめ、ぁに、を」 「ん、んン……ふっ」  いい子、いい子、と長い指先が頭皮をなぞり、髪を梳く。他人に触れられている。気持ち悪いのに、体が昂っていく。  別の生き物みたいに口内を動き回る熱い舌は歯形をたどり、どちらともない唾液を混ぜながら舌の裏に潜り込んで、縦横無尽に荒らしていく。  上顎の窪みを舌先が抉ると、ゾワゾワと言いようのない快感が走って、思わず腰が浮いてしまった。  口移しさせられたのが水なのか唾液なのかわからなくなった頃、口内にあふれる水分をこくりと飲み下して、ようやくアデルは唇を解放してくれた。  やけに頭が冴えて、はぁはぁと熱い息があふれる。ぼんやりしているのは酔いなのか酸欠なのか。  繋がった透明の糸がぷつりと途切れて、涙の滲んだ目尻に、チュウと両脇から吸い付かれた。 「どう? 楽になったでしょう?」 「ぁ、頭おかしい、んじゃないか」  熱くなった顔と、乱れた息を必死に整える俺にはそれくらいしか言えなかった。立派な性暴力に該当する。訴えたら勝てるはずだ。 「ふふっ」  きょとりと蒼玉をまん丸くしたあと、思わずといったように笑みをこぼしたアデルを睨みつける。 「なにが、おかしい」 「いえ、ふふ、すみません。威嚇する姿がまるで子猫みたいで愛らしいな、と」 「ッ馬鹿にするのも」 「馬鹿にしていないですって。アデルのあれは煽ってるように聞こえますが、褒めているんですよ」  ソファの肘置きに半分腰かけたカインによって、無理やり上を向かされる。 「な、にを」 「アデルばっかりずるいでしょう?」  首の後ろに手を差し込まれて、今度はカインに口づけられた。  アデルは啄むようなキスだったのに対して、カインのキスはとても荒々しく野性的だ。捕食されているような深いキスに、息をするのも必死だった。 「キスをしているときは鼻で息をするんですよ」と横から聞こえてくるけどそんなの俺も知ってるわ!  ぐちゅ、んちゅ、と生々しい水音に眉根が寄る。音で責め立てられている気がして、頭がおかしくなりそう。  人並に経験があるのは『俺』であって、すべてをマリアに管理された『ノエル』は、好きな子と自由に逢瀬をしたこともなかった。  記憶の、さらに奥深くの記憶の経験を頼りにするが、体は思ったように動かず、ただただアデルとカインに翻弄されてしまう。 「っはぁ」 「ふっ、あっ、ぁ、はぁ、はぁっ」  まつ毛が触れ合うくらい近い距離で、吐息を交換し合う。  ふと、まぶたを持ち上げた。冷たく澄んだ蒼い瞳が、ジリジリと燻る熱を抱えていて、ドキリと心臓が大きく高鳴る。 「好き、です。ずっと、ずっと、貴方に焦がれていました」 「――っ」  言い逃れできない、誤魔化せない、直球すぎる告白に息が詰まった。  舌の根が乾いて、目がグルグル回る。  なんと答えるのが正解なんだ。受け入れることは決してできない。だって、俺はデズモンドで、彼らはミラーだ。  熱の篭った、まっすぐな瞳に射抜かれる。  俺は、オタクだし、BLだとかGLだとか、偏見なく楽しめた。  しかし、だけれ、いざ自分がその対象になると頭が回らなくなる。  ――彼らのことを、気持ち悪いとは思わない。一族だとか、男同士だとか、俺を躊躇わせるのはそれだけじゃない。  彼らは、双子らしく好きな人が同じだと言った。俺には、どちらかを断ってどちらかを受け入れるなんでできない。そんな勇気、微塵もない。 「……俺は」 「今すぐに、返事が欲しいわけじゃあないんです」 「困らせてしまって、すみません。ただ、私たちは意識して欲しかったんです」  骨ばった指先が伸びてきて、髪を梳いていく。 「選ばなくていいんですよ」  アデルか、カインか。  目を閉じていた俺は判別がつけられなかった。二重のようにも聞こえたし、ひとりだけのようにも聞こえた。 「私たちはふたりでひとりです」 「貴方を愛するのも、ひとりの男です」 「……いや、お前らはちゃんとふたりいるだろ」 「いいえ。ふたりだけど、ひとりなんですよ」 「アデルは僕で」 「カインは私なんです」  脱力した体を好き勝手に触れられる。  髪を梳かれて、頭を撫でられて、手を取られて指を絡め、ドクドクと拍動する胸に耳を当てられた。 「どちらかを選ぶくらいなら」 「ふたりとも選んでください」  まるで悪魔の甘言だ。  穏やかで柔らかで、優しい甘やかな声。耳元から頭の中に滑り込んで、するりと溶け込んでいく。  もしかしたら、洗脳とか催眠とか、そういう類の異能なのかもしれない。だって、そうじゃなかったら、俺が警戒心を抱かないはずがない。  デズモンド閣下の宝石として、多方面から狙われる俺は気がついたらノアしか信じられなくなっていた。  純真無垢で穢れない天使のノア。幸せになって欲しい。可哀想な目にあってほしくない。泣いてる顔よりも笑顔が似合う。  生き延びるために、俺は信じることをやめた。過度な期待をしなければ、裏切られても悲しくなかった。  もし、このふたりを選んだとして。本当の意味で信じることができるのだろうか。  恋人関係って一対一の対等な関係だろ。ふたりとも選んでしまったら一対二になるじゃないか。  いくらセクシャルマイノリティに寛容な世界だとしても、複数人との姦淫は神様が許してくれない。 「好きです、ずっと好きでした、今も好きなんです」 「今日、貴方と出会うことができて、夢なんじゃないかと何度も思いました」 「信じなくてかまいません」 「信じて貰えるように僕たちが努力すればいいことです」 「愛がわからなくてもかまいません」 「僕たちと一緒に育んで、ゆっくり理解していけばいいんです」 「だから、一緒にいて欲しいんです」 「一緒に、僕たちと来て欲しいんです」  骨ばった手が頭を撫でる。丸く整えられた爪先が頬をくすぐる。  俺は、言葉を忘れてしまったかのように音で喘いだ。  ずっと、ずっと思っていたことがある。――誰かがこの地獄の監獄(デズモンド)から助け出してくれないだろうか、と。 「俺、相当面倒くさいけど、それでもいいのか? 愛も、恋もわかってない。俺の幸せはノアだ。母も父も、俺たちに特別目をかけてる。――ノアと、弟と一緒に攫ってくれるなら、地獄から()い上げてくれるのなら、お前らと……アデルと、カインと一緒に居てやってもいい」  悩みながら吐き出した言葉は、俺の願いだった。  絆されたとかじゃない。俺だけデズモンドから逃げるわけにいかない。ノアを置いていけない。ノアを、地獄から解放してあげたい。  彼らと一緒にいたら、連れ出されて逃げ出せたら――ノアは、異国の貴族の奴隷になることもないんだろうか。

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