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第26話
ランチの時間になってもノアが来ない。
メイド長に尋ねれば、小鳥に餌をやってから行くと言っていたそうだ。しかしそれにしても遅い。
アデルとカインの保護下にあるこの館でなにかあるとは思えなかったが、首の後ろがチリチリと焼けるような感覚が落ち着かない。五分、十分と待って、椅子から立ち上がった。
「ノアを探してくる」
「それならエリ―に行かせましょう」
「いや、俺も行く。……嫌な予感がするんだ」
落ち着いた面立ちのメイド長は一度壁掛け時計に目を向けてから「お供いたします」とスカートの裾を払った。
「あ、あにうえぇ……!! 小鳥さん、死んじゃったぁ……!!」
床にぶちまけられた鳥の餌と、横に転がった金色の鳥籠。
止まり木として入れていた枝は折れて、藁が散らばっている。
その中心で、蒼い羽を散らし、頭が落ちた果実のようになった小鳥が静かに事切れていた。
「ノア、ノア……!!」
子供が目にするには凄惨な光景だった。
駆け寄り、抱きしめて目を隠す。泣きじゃくるノアは胸元に縋りついてきて、涙でシャツが濡れていった。
ドキドキと、心臓が嫌な音を立てる。全身からじっとりと汗が滲んで、頭から血の気が下がってクラクラした。
酸欠みたいに息が浅くなり、口内に溜まった唾液を嚥下する。
――小鳥から、強い思念が伝わってきた。
俺が視ることができるのはこれから起こる未来。
バ、パ、パ、と切り替わる視点。ふらふらゆらゆら揺れる俺の視界に映ったのは、白い壁に赤色が飛び、エレノアや、マリーたちが倒れている光景だった。
不穏な雰囲気が漂う屋敷を包囲するのは、黒と赤の装束に身を包んだ長男 と長女 が率いるデズモンド家の騎士たち。
ぴゅろろろろ、と窓の外で鳥が旋回している。
は、と意識を目の前に戻して、俺は叫び混じりにエレノアを呼んだ。
「ノエル、様……?」
「エレノアさん、ノアを、ノアをお願いします。絶対に見つからない場所に、絶対に安全な場所にノアを隠して」
困惑するエレノアの疑問に応えてあげられない。とにかく時間が惜しかった。
あぁ、どうして今の今まで忘れていたんだろう。最近、よく鳥を見かけると気付いていたのに!
腹違いの妹に、鳥を使役することができる異能の持ち主がいる。
視えた未来に、その妹の姿があった。表情の薄い顔を不安そうにしながら、アレクシアとイザベラの陰に隠れていた。
四女・サーシャは鳥であればどんな鳥でも操ることが出来る。
目を借り、体を借り、汎用性の高いその異能は索敵に向いており、閣下や兄姉たちからも重宝されていた。
「ノア、聞いて、ノア」
「あにうえ……?」
「エレノアさんの言うことをよく聞いて。……アデルとカインが戻ってくるまで、かくれんぼをしよう。ずっと泣いていたら、小鳥さんも悲しくなっちゃうだろう。だから、泣き止むまで、ふたりが帰ってくるまで隠れてるんだ」
震える声を押さえつけて平然を装う。ノアは聡い子だから、機微ひとつで異変に気づいてしまうかもしれなかった。
泣いているノアから離れるのはとても心苦しかった。けど、きっと#アイツら__・__#の目的は俺だから、一緒にいるわけにはいかないんだ。
「ノエル様、何かが起こっているんですね?」
「あぁ。すまない。説明してる時間はないんだ。紅玉の子が迫ってる。異なる鳥の目に注意して。これしか言えないんだ」
それだけで、エレノアは十二分に理解をしてくれた。
紅玉はデズモンドの異名。『鳥の目』は異能で監視されてる、という意味合い。
いまだ泣き止まないノアを一際強く抱きしめた。
「兄上……? どう、されたのですか?」
「俺も、悲しいんだよ」
「泣かないで兄上。僕も泣き止むから……!」
これが今生の別れになるかもしれない。
――未来は変えられない。否、変える努力を俺がしなかったんだ。何がなんでも変えてやる。だって、原作はすでに破綻してる。こんな展開なかったもの。
原作が変わったなら、未来だって変えられる。
二次創作でよくあるじゃないか。原作破壊だの、救済エンドだの。
ノアのBADENDだけは回避する。そのためなら、俺は自分も捧げられる。
なんだって、双子がいないときなんだ。彼らが居たら、もっといい案があったかもしれないのに。
サーシャがずっと、鳥で俺たちのことを見ていたんだ。それで、双子が不在になった瞬間を狙って、この屋敷へと襲撃を仕掛けて来たんだろう。
「エレノアさん、ノアをお願いします」
「……ノエル様は」
「ここで待ちます。……もう、すぐそこまで来てる。ほかの方たちの避難も」
「地下に、」
「なに?」
「地下にシェルターがあります。一度入ったらアデル様とノエル様でなければ開けられない堅牢なシェルターです。ノエル様もそこに、一緒に、」
そんなところがあったなんて初耳だった。きっと本当に緊急時の避難用だったから、俺たちには知らされなかったんだろう。
一緒に避難すれば、逃れられる可能性もある。けど、イザベラもアレクシアもいないから諦めるような甘い性格じゃない。
見つからないなら見つかるまで破壊し尽くす。サディストのイザベラと、破壊癖のあるアレクシアを組ませるなんて滅多にないことだ。それだけ、俺とノアを探していたんだろう。
俺とノア、どちらかひとりでも見つかれば満足するかもしれない。俺が残って、ノアを逃がす。それしか考えられなかった。
「いいえ。俺は行けません」
「どうして……! アデル様たちが帰ってくるまで持ちこたえれば……!!」
「……俺は、アデルとカインに怪我をしてほしくない」
「ノエル、様……」
だからノアをお願いします。
諦念を浮かべた笑みに、エレノアはゆっくりと頭を下げた。
俺からノアを受け取り、「兄上? 兄上!?」と声を上げる弟を抱き上げて踵を返していく。
「ノア! かくれんぼだよ! 俺が見つけるまで――アデルとカインが帰ってくるまで隠れていること。いいね?」
「兄上っ!! ぜったい、絶対に見つけてください……!」
遠のいていく足音に、短く息を吐き出した。
目を瞑れば、迫る未来がまぶたの裏に広がる。どうか、これが未来を変える一手になってくれたら、と信じてもいない神様に祈った。
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