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第32話
貧血でふらつく俺の手を引いて、ベアトリーチェが先を走る。
淡いクリーム色のドレスは、視たベアトリーチェが着ていたドレスと同じだった。
――ベアトリーチェは、アデルとカインに殺される。
光の筋はあとふたつ残っているけど、この状況で視ている余裕はない。
懲罰房を出て、地上に向かうための階段を上っていく。見上げれば地上の光が見えるけど、疲労しきった俺の体ではなかなか上りきるのに時間がかかってしまう。
俺が足を止めるたびにもどかしく歯噛みをするベアトリーチェには申し訳ないが、正直なところもう一歩も歩けなかった。
「……お前が思ってるほど、あの双子は優しくないぞ」
「そんなことないわ! だって、あの方の弟君たちだもの。きっと、私達のことも保護してくれるに決まってるわ」
白い頬を紅潮させて、いつになく興奮した様子のベアトリーチェに、ゆるく首を振った。
俺が何を言っても、きっとベアトリーチェは聞かない。
おそらく、きっと、あの未来は現実になる。胸を白銀の剣に貫かれて、息絶えるベアトリーチェを視ていられなかった。見たくなかった。
アデルとカインは、俺だから助けてくれるんだ。俺だから親切にしてうれて、ノアも俺の弟で、俺が大切にしているから優しくしているだけ。
そうじゃなかったら、俺だけを攫っていただろう。鎖で繋いで、外との関係を断って、囲われていた。
「……あなただけなんて、ズルいじゃない」
「え?」
ズルい? 俺が?
手首を掴んでいた手を離される。だらり、と重力に従って垂れ下がった手を、もう一度持ち上げて末妹のエイダを抱きかかえ直す。
ぐったりと意識のないエイダは眠っているだけのようで、ベアトリーチェが強硬手段に出るために薬で眠らされたんだろう。活発で無邪気なエイダが顔色を悪くしておとなしく眠っているのが奇妙だった。
「わたしだって、こんな家嫌なのに!! あ、あ、あなたはデズモンドを捨ててミラーに行くつもりなんでしょう!? わたしも連れてってよ! いいじゃない、外の世界に、憧れたって!」
――あ、これ、原作のセリフだ。
自由に外で遊び回るアリスに向かって、ベアトリーチェが心の悲鳴を叫ぶシーンだった。そういえば、ベアトリーチェの原作での最期は、恋慕う人に胸元を貫かれて終わるのだった。
デズモンドに縛られた、自由を夢見て憧れた少女は、なにひとつ夢を叶えられないままに死んでいってしまう。悪女ながら、ファンの多いキャラだったけど、俺は好きにはなれなかった。
何もかもを諦めて、運命の王子様が迎えに来てくれるいつかを夢見て、自ら逃げることを諦めてしまったベアトリーチェ。
きっと、同族嫌悪だった。
くしゃりと表情を歪めたベアトリーチェは、強く強く、同じ母から生まれた妹を抱きしめた。その姿が、ノアを抱く俺に見えて、言葉を紡ぐことができなかった。
「わたしだって、普通の女の子みたいに、恋をしてみたかった……! ねぇ、外の世界は広かった? 美しかった? わたしも、連れて行ってよ、ノエル……!」
「ベアトリーチェ……」
――次の瞬間。赤く、紅く、温かな液体が降り注いだ。
「あ、れ? ……どう、して?」
薄暗い階段に、白銀が閃く。
ふわり、と浮いたベアトリーチェが階上から落ちてくる。ぎょっとして、受け止めるために広げた腕は、ベアトリーチェじゃない誰かに引かれて、落ちていく虚ろな瞳が目に焼き付いた。
「……ベアトリーチェ……?」
階下まで転がり落ちた彼女の背中には、剣で一閃された赤が広がっていた。
冷たい石の上に血だまりが広がっていき、ぴくりとも動かないベアトリーチェ。
「死ん、」
血が下がり、全身が冷たくなっていく。掴まれた腕から広がる他人の体温にゾッとして、振り払おうとした。
「遅くなって、ごめん。助けにきたよ、ノエル」
低く、冷たく、艶めいた声が響く。
疲労しきって、血も足りずフラフラの体はいとも簡単に引き寄せられた。
「あ、……カイン」
「私もいるよ、ノエル」
「アデル……どうして、ここに」
呆然と、俺を抱き寄せるカインと、血に濡れた剣を手にするアデルを見る。
「なんで、ベアトリーチェを、殺したんだ……?」
俺の疑問が意外だったのか、蒼い瞳を丸くして顔を見合わせた双子はクツリと喉を震わせた。
「あの女が、ノエルに触れようとしたから」
「――それだけの、理由で?」
「ノエルに触れていいのは僕たちだけだ。それもあの女、僕たちに外へ連れていけだなんて図々しいんじゃないのか?」
「私たちが助けるのは、愛しいノエルだけだというのに。何か勘違いしているようだったね」
「……お前らは、俺にだけ優しいんだもんな」
それ以上何も言う気になれず、カインの胸に体を預けて、目をつむったまま彼らが口癖のように繰り返しているセリフを言った。
喜ぶ気配がして、彼らにとっての、俺にとっての正解を選べたのだと安堵する。
ベアトリーチェが死んだ。『先見』のとおりになった。
「ノエル、こんなに、傷だらけになって……」
「もっと、早く来れたら、」
「いーんだよ、十分、早く来てくれた。……迎えに来てくれた。それだけで、俺は嬉しい」
力の入らない体を、階段の上で難なく横抱きにしたカインが額に口づけてくる。いつもならそれに返すけど、首を伸ばす気力もない。
アデルとカインが迎えに来てくれた。これでもう、痛い思いをしなくていいんだと思うと、安心してしまった。
ベアトリーチェが殺された。アデルとカインに殺された。――ひとかけらでも涙を流せたらよかったんだけど、俺の心は凍てついたかのように悲しくもなんともなかった。
それなりに仲の良いきょうだいだったが、それ以上でも、それ以下でもない。俺の兄弟はノアだけだから、ベアトリーチェを可哀そうだとは思うものの、罪悪感は抱かなかった。
むしろ、ここで死ねてよかったんじゃないか。これ以上デズモンドに縛られることもなく、『死』という『生』からの解放を得られたのだから。
――俺は、死にたくないからそのために足掻くけど。
ノアを残しては逝けない。アデルとカインと離れたくない。死ぬんだったら、みんな殺して、俺も一緒に逝きたかった。
――ひとりに、なりたくなかった。
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