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第33話
地上は大騒ぎだった。
懲罰房へ続く階段の前には、廊下の奥から赤い絨毯が敷かれていた。
恐怖の表情で息絶えた使用人、足を切り落とされた騎士、首と胴の離れた――。
「汚いから見ないで、ノエル」
ぼんやりと、惨劇を眺めていたら胸元に顔を押し付けられた。血と、汗と、カインのにおい。頭がクラクラした。
原作にも、こんなシーンがあった。
アレクシアに攫われたアリスを取り戻すために、ミラー家の長男がデズモンドに特攻を仕掛けてくるのだ。エインズワース家のご令嬢を救うという大義を掲げて、デズモンドは壊滅へと追い込まれる。
炎に包まれた黒く大きな屋敷。断罪された使用人や騎士たち。
まるで、小説の中の出来事を追体験しているみたいだ。
「お兄ちゃんを、どこに連れてくの」
「私たちのお兄ちゃんを離してよ」
甲高い、悲鳴じみた少女の声に目を見開く。
「ミーシャ、サーシャ……」
少女たちでも扱えるように、軽く作られた細長い剣を手にした双子の姉妹が立ちふさがる。
可愛いロリータドレスは所々が裂けて、青白い肌には黒く煤をつけていた。ミーシャは涙をこぼし、サーシャは目を吊り上げている。
瓜二つで、何もかもおそろいにしたがった双子の姉妹に「逃げろ」と言いたい。俺はもう、お前らの兄ではいられない。きょうだいごっこは、もうおしまいなんだ。
年下の女の子だろうと、アデルもカインも手加減をしないだろう。――俺を奪おうとする存在なら、なおさら。
「ノエルは私たちの天使様 だ。君たちのじゃないよ」
「私たちのお兄ちゃんを返してよ!!」
サーシャが怒り叫んだ瞬間、分厚い窓を突き破って弓矢のように鋭い何かが飛んでくる。翼で風を切り、切った風を巻き込んで飛んできたそれを、脇目も振らずにアデルは切り落とした。
ガァガァと鳴き声を上げて沈んだのは、真っ黒なカラス。
「――嗚呼、なるほど。デズモンドの『鳥獣遣い』か。あはは、そういうことか。私たちの屋敷を嗅ぎまわっていたのは、お前だな」
構えもせず、予備動作無しで地面を蹴ったアデルはサーシャの細い首を手のひらで柔らかく包み、力技で持ち上げた。
指先が顎の下の窪みを圧迫して、呼吸できない苦しさにサーシャは手足をバタつかせる。顔を真っ青にしたミーシャは手にした剣で斬りかかろうとするが、視線ひとつに射抜かれて、手から剣を取りこぼして腰を抜かしてしまった。
ミーシャは、妹のサーシャを守るために気の強い姉を演じているだけで、本当は臆病な子だった。全身をがたがたと震わせるミーシャは悲壮に暮れるけれど、アデルは慈悲など持ち合わせていない。
「や、やめて……サーシャを離して、お願い、お願い、お兄ちゃんを連れてっていいから、サーシャを殺さないで」
「なぁ゛、だ、ぇ、……! おぃ、ぢゃ、だ、め、ぇッ!」
「おやおや、双子なんだったら意見は揃えないと」
いつも通りの声音のアデルが恐ろしい。
ぎゅっとカインの胸元にすがる。何も視たくなかった。
「大丈夫だ、僕が守るから」
「双子がね、最も辛く苦しいのは片割れを失いことだよ」
「何も聞かなくていい、何も視なくていい」
「私はカインを失ったら、きっと息もできない」
「僕たちだけを見ていればいいよ、ノエル」
「カインが死んだら、ノエルを殺して、私も死ぬのさ」
「そうだな。死ぬときはみんな一緒だ。ノエルも、アデルも、僕も」
嬉しそうな声に、心臓が跳ねた。
「イヤァァァア!! サーシャ!! サーシャぁあ!!」
どしゃり、と糸の切れた人形のように崩れ落ちるサーシャに這いずり近寄るミーシャの足を、剣先で切り裂く。
足が傷つけられたのに、二度と立ち上がれなくなったのにも関わらず、ミーシャは返事をしないサーシャに縋って泣き叫んだ。
「さぁ、帰ろう。私たちの家に」
血の滴る剣を振り払い、腰へと収めたアデルは穏やかに笑う。
燃え盛る炎を背に、アデルの乗る騎馬に乗せられた。
あぁ、まるでアレクシアたちに連れ去られたときと同じ光景だった。大きなデズモンド邸は黒い煙を天高く伸ばしながら、炎に包まれていく。
――第一章のラストと、ひどく酷似していた。
きっと、もう原作もなにもかも崩壊している。ベアトリーチェが死んで、サーシャが死んだ。それなのに涙ひとつ出てこない俺の心も壊れてるに違いない。
ベアトリーチェの妹 は生きてるんだろうか。
サーシャの姉 は、これからどうするんだろう。
他のきょうだいたちは、原作通りならしぶとく生き延びる。そして第二章のラストで、報復へと動きだすのだ。
「アデル様、ゴルディア・デズモンドの死体を確認しました」
「西側の居住区画にてデズモンド夫人と見られる女性の死体も複数」
「アレクシア・デズモンドとイザベラ・デズモンドは?」
「おそらく、いち早く逃げたのかと」
アデルの胸に体を預け、目を閉じたまま会話に耳を傾ける。彼らの部下だろう騎士たちの視線がこちらに向けられているのがわかるが、反応するつもりはない。
アレクシアは、三日前から遠方に現れた魔物の討伐へと弟たちを連れて遠征に行っている。きっと男きょうだいがいたなら、こうも簡単にデズモンド邸は攻め落とせなかっただろう。運が彼らに味方したのか、それとも、わかっていたのか。
「……残党狩りはまた今度だな」
「今はとにかく、早く領地へ戻ろう」
炎の風から守るように、ローブをかぶせられる。
暗くなって視界に不安がよぎる。
「アデル、」
「馬の扱いはカインよりも上手だから安心して」
「いや、そうじゃなくて、顔が見えないから」
「……」
「アデル?」
「ノエル、それくらいにしてやって。見えないだろうけど、アデルの顔がリンゴみたいになってる」
「カイン!!」
ついさっき、俺のきょうだいを殺したとは思えないほど緩やかな空気だった。
これでいいのかわからない。デズモンドは――アレクシアは確実にミラー家へ報復するだろう。逃げのびたイザベラも、執念深い女だ。確実に、ミラー家を狙ってくる。
ミラー家とデズモンド家。今回の襲撃でヒビが入っていた関係は粉々になった。
もう二度と、戻ることはないだろうデズモンド領を背にした。
これで本当に、俺の帰る場所はアデルとカインになった。――なってしまったのだった。
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