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第34話(アデルside)

 熱に魘され、汗を滲ませる額を冷たい水で濡らしたハンカチで拭う。  私たちが過ごしていた蒼薔薇の館は黒い炭と化してしまったため、仕方なく、ミラー本邸へとノエルを連れてきた。  三階の一番奥のゲストルームをノエルの仮部屋としたが、物が少なく殺風景で、ノエルも連れて来てから寝込んでいるために寂しい雰囲気だ。 「早く、良くなって」  はふはふと熱い息をこぼすノエルはとても辛そうで、私が変わってあげられたらいいのに、と何度も思った。  私の異能の『調和』は、熱や苦しさを和らげることしかできず、こんなとき妹の異能が羨ましかった。  聖女候補筆頭と期待され、大聖教会で日々修練をする妹の異能は『癒し』  直接的な怪我を治癒することはできないものの自然治癒能力を活性化させ、長期的な病や気の落ち込みの快復だけでなく、果ては枯れた大地を復活させることができる聖女に相応しい異能だ。  なら、妹に頼めばいいじゃないかと思うが、どうしてもそれは嫌だった。ノエルを、私たち以外の誰にも触れさせたくない。  ちっぽけで矮小な独占欲。  男の嫉妬は醜いというけれど、ノエルが接する人間すべてに私たちは嫉妬している。世界がノエルと私たちだけになればいいのに。  穏やかな笑顔の裏で、いつもヂリヂリと身を焦がす黒い炎が燃えているなんてノエルは知らない。否、気づいていて、知らないふりをしてくれているのかもしれなかった。 『癒し』ほど目覚ましい効果はないとわかっていても、少しでも苦しさが和らいでくれたら、と異能を使い続ける。  ノエルが思っているほど、私たちは綺麗じゃない。 「白と蒼の薔薇は、まるでお前たちみたいだ」と甘い香りに頬を緩めたノエルは、まるで花の女神のようだった。  社交界でノエル・デズモンドと言えば「太陽のように輝かしい美貌の令息」だとか「人形のように整った美しさ」だとか、ありきたりなことばかりが聞こえてくる。  何も知らないくせに、私たちのノエルを好き勝手語るな、と何度思ったことだろう。  汗を滲ませてなお、美しい(かんばせ)。  太陽のよう、とよく言われる金髪は、月の光を七日七晩かけて染み込ませたしっとりと秘めた輝きであり、ルビーと比喩される瞳はルビーよりも鮮やかで、甘やかでとろりと滑らかなザクロのような深紅である。  細く繊細な輪郭はガラス細工というよりも、冬の薄氷を思わせたし、月の女神セレネと美の女神アプロディタが相談をして目鼻立ちを整えたに違いない、見る者を狂わせる美貌。  絵画に残したい気持ちと、絵画にするのも烏滸がましいと思う気持ちがいつも背反している。  いつだったか、ノエルを中心に僕たちが左右に立った絵を描かせたい、とカインが言っていたけれど、同じ額縁の中にいてもいいんだろうか、と頭を悩ませているために、その話は一切先に進んでいない。  ――トントン、と小さくノックが聞こえた。 「……少しだけ待っていてね」  熱のある額にキスをして、ベッドから離れる。 「誰?」  薄く扉を開けば、食事を持ったエレノアがいた。 「お昼時をとっくに過ぎておりますよ。お食事をお持ちいたしましたので、どうぞお食べください」  取り分けられたサラダと、一人分の鶏肉のスープ、山盛りのサンドウィッチ。  明らかに一人分ではないそれを二度見した。 「……さすがに、私ひとりじゃあ食べきれないな」 「カイン様がそろそろ戻られるので、多めに作りました。サラダとスープは、お戻りになってからお持ちします」 「あ、そう」  食べ残しに厳しいエレノアがまさかひとりで食べきれない量を持ってくるとは思わなかったので目を点にしてしまった。  しかしカインが戻ってくるのならば納得だ。あれは私よりも食べるところがあるから。  エレノアなら、部屋にいれてもいい。彼女は私たちが信頼するひとりだ。  テーブルにランチョンマットを敷いて食事の準備をするエレノアを眺める。極力物音を立てないように気遣ってくれている。わざわざこちらから言わなくとも、察してくれるところが好ましい。  私たちが幼い頃から付き従ってくれているからか、言葉に出す前に動いてくれるのだ。  ほかのメイドであればそうもいかない。そもそも、髪の長さが違うのに私とカインを間違えるって、使用人としてどうなんだ。わざわざ私たちが間違えないように、髪を切ったのに。 「まだ、熱は高いようですね」  ぽつり、とエレノアが小さくこぼす。 「ノア様が不安になさっておいでで、」 「エレノア」 「……申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」 「珍しいね。君がそんなことを言うなんて」  純粋に思ったことだった。彼女は私たちの機嫌が手に取るようにわかる。それなのにわざわざ、私の機嫌を損ねるようなことを口にするなんて、一体どんな気持ちの変化だろう。 「ただ、私も早く元気になってほしいと思っているだけでございます。……彼の方が寝たきりですと、どこかの双子様の機嫌が悪いものですから」 「おや、いったいどこの双子だろうね」 「……。カイン様がお戻りになりましたら、またお伺いします。足りないものはございませんか?」 「無いよ。……あ、いや、カインの食事を持ってくるのと一緒に、冷たい水と、新しい布を持ってきて。体を拭いてあげたいから」  かしこまりました、と一礼をして部屋を後にするエレノアに息を吐く。  エレノアが、取るわけないとわかっているのに、心はいつも不安で揺らいでいた。  私たちはいつも不安で怯えているんだ。ノエルがいなくなってしまわないか、消えてしまわないか。また、攫われてしまったら、今度こそ気がおかしくなってしまうだろう。  ノエルを生かすのも、殺すのも、私たちがいい。  最期は三人一緒だ。ひとりだって置いて逝かない。逝くなら一緒に逝く。カインを殺して、ノエルも殺して、私も死ぬんだ。  死んだ後のことはラカムに任せている。  一緒に燃やして、灰を混ぜたら、海に投げ捨ててもらうんだ。そうしたら、どこまでも一緒に飛んでいける。

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