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第36話
炎に巻かれたデズモンド邸は、かろうじて骨組みを残し、すべてが燃え尽きた。
アデルとカインが指揮する騎士団の団員総出で炭となった本邸を捜索したが、これといって目ぼしいモノは見つからなかったらしい。何を探していたのか見当もつかないが、デズモンドにあるものと言えば、ろくでもないモノばかりだ。
屋敷が燃え尽きる前にゴルディア・デズモンド以下四名の夫人の遺体は運び出されており、すでに大聖教会へと運び込まれた。
生前の罪を改め、穢れを清める儀式が行われた後、火葬されるのが一連の流れだ。
ベアトリーチェとサーシャの遺体はなかったと聞いた時、背筋が粟立った。アレクシアだ。アイツは一等きょうだいのことを大切にしていたから、きっと遺体を連れて行ったに違いない。
ミラー家とデズモンド家の衝突は、貴族界隈を大きく賑わせているだろう。
悪逆非道の一族とは言うが、甘い汁を啜ろうとする虫はどこにでもいる。きっと、その虫たちを隠れ蓑にしているのだろう。
「まぁ、しばらくは平和だろう」
「何があっても、ノエルだけは僕たちが守るから安心して」
「……俺も、自衛できるくらい鍛えようかな」
「ダメ」と声を揃えて却下された。病み上がりだからと声を揃えるが、きっと病み上がりじゃなくても却下されていた。
「せめて、ひとりで馬に乗れるくらいにはなりたいんだが」
「ひとりで」
「馬に……?」
仲が良いな。
愕然と顔色を青くする双子を横目に、味のないお粥モドキを無心で飲み込んだ。
「馬に乗って、まさか、ここから」
「逃げないって言ってるだろ。お前ら、さては俺のことをそんなに信用していないな」
「逃げるつもりなら、閉じ込めて、囲って、足を切らないと」
「だぁから! 逃げないって、ゴホッ、ごほっ、げほっ、」
あまりにもしつこいのでつい声を荒げたら、お粥モドキが変なところに入って咽せ返った。
口元を押さえて何度も咳き込めば、血相を変えてふたりして背中を摩り、水を差し出される。
「も、もう、大丈夫だから……はぁ、お前らのせいだからな」
「僕らの、せい……? だから嫌になって逃げるとか、そういう」
「しつこいな! ――俺の帰る場所は、もうお前らのとこしかないって、いうのに」
なんで俺、そんなに逃げられると思ってるんだよ。
俺が逃げる場所なんてないし、ノアもたぶんこの屋敷にいるんだろうし、このふたりから逃げられるとも思っていない。逃げるつもりもない。
「逃げるんだろう」と言われるたびに、心がチクチクと針で刺されたように痛んだ。
恋も愛もわからないと、言ったからだろうか。俺のこの感情は、恋じゃないんだろうか。愛ってなんだよ。俺は、ふたりのことを愛しているのに。アデルとカインは、どうして俺の気持ちを信じてくれないんだろう。
「――俺は、アデルとカインのことが好きなのに」
「ノエル、」
ソッと、手に持っていた椀を取られる。
両側からふたりが詰め寄ってくる。いつになく静かで、凪いだ蒼色が恐ろしかった。
「信じる。信じるよ」
「だから泣かないで」
「ノエルに泣かれたら、どうしたらいいかわからなくなる」
「涙を流す表情もかわいいけど、ノエルには笑っていてほしいんだ」
「ノエルをさらう奴も、僕たちの邪魔をする奴も、全員殺すから、」
「どうか、どうか泣かないで、私たちの天使様 」
「ノエルが望むなら、父も、母も、兄も、みんなみぃんな殺してみせるから」
「だからどうか、天使様 を愛してしまった愚かな私たちを、愛して」
俺は泣いてない。頬を伝うのは涙じゃない。
ドロドロに煮詰まった愛に放り込まれる。
久しぶりの口づけは、塩っぱかった。
恋がこんなに苦しいものだと思わなかった。恋をしなければ、辛い思いをしなくてもよかったのに、それでも俺は、きっとこの二人のことを好きになっていただろう。
肌の上を滑る、少しだけ冷たい手が、体温が移って温かくなっていく。
溶けて、混ざって、一緒になる。腹の奥を突かれるたびに、喜びと苦しさで生を実感して、名前を呼ばれるたびに、俺は『ノエル』なんだとぼんやりした輪郭がはっきりしていく。
汗と涙が混ざって、身も心も溶け合って、一緒になれたらよかった。
ふたりに抱きしめられて、歪んだ愛を注ぎ込まれて、もう俺の中はいっぱいになっているのに無理やり詰め込んでくる。両腕を広げてもこぼれてしまう感情に押しつぶされながら、微睡に意識を落とした。
次ぐに目を覚ました時、一番に目にするのがアデルとカインなら嬉しいのに。
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