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第46話

 ドレスの裾を乱し、上品さもマナーもかなぐり捨てて、振り上げられる剣とアレクシアの間に体を滑り込ませたのはアリス・エインズワースだった。 「お待ちくださいッ、セドリック様……!! 」  その細腕はアレクシアを庇うように広げられている。  お……っと? これは、まさかの展開では?  俺は自他共に認める原作CP厨厄介古参オタクだけど、今はもう、ちゃんと目が覚めている。夢じゃない。物語の中でもない。  俺は生きてて、アデルも、カインも、登場人物なんかじゃない。  だから、ヒロインがヒーローと恋をするとも限らない。 「あ、アレクは、あたしのために負けてくれたんです……! だからお願い、この人を殺さないで」  アリス・ミラーは、良く言えば姉よりも妹よりもヒロインらしいヒロインだ。悪く言うなら、『ヒロインすぎるヒロイン』だ。  自分が世界の中心、とまで言うわけではないが、何をするにもトラブルが起こり、イベントの中心であり、まさに台風の目のような少女。  ロリーナを老舗レーベルの耽美小説のヒロイン、イーディスを濃密な文章と表現で圧倒する少女文芸のヒロインとするなら、アリスは今流行の少女向けラノベのヒロインだった。  良くも悪くも、アリスはヒロインなのだ。  まるで剣を向けるセドリックが悪いとでも言うかのような表情のアリスに、俺は溜め息をこぼしてしまうのを我慢できなかった。  血統裁判は一対一の、絶対的不可侵だ。それを、アリスは破り割って入ってしまった。  遠くでエインズワース閣下が血の気を下げた顔をしている。かわいそうに、お転婆もここまで来ると可愛くない。 「やっぱり私、あの子嫌いだなぁ」 「だろうね。アデルと反りも馬も合わなさそうだ」 「そういうカインだって、下の子が嫌いだろう」 「言いたいことも口に出さないでお行儀が良すぎるんだ」  ぼそり、と両脇から囁かれた言葉に苦笑いだ。  笑顔の裏でなんてことを言うんだコイツらは。もし誰かに聞かれでもしたらデズモンドだけじゃなく、エインズワースとの関係も悪化するかもしれないじゃないか。 「誰も聞いていないなら、言ってもいいと?」 「人が何を思おうと自由だ。時と場合さえ選ぶなら俺は関与しない」 「僕、ノエルのそういうところ好きだよ」 「私も」  どんなところだよ、と言いかけてやめた。 「懐に入れた身内以外、興味なところとか」 「僕たちとノア君以外、どうでもいいと思っているところとか」 「薄情なのに気づいてないところとか」 「この裁判も飽きてきてるところとか」  にぃんまり、と瞳を弓形に歪めたのを見て、ろくな答えが返ってこなさそうだったからやめたのに!  俺がノア以外に興味を持てなかったのは、小説の中だからとか、その登場人物だからとか、そんな言い訳はもうできない。――本当はもうわかってた。  ああだこうだって言い訳みたいなことをつらづらと語っているけど、別に認めたくないわけじゃない。一般的に俺は異常と言われるのかもしれないけど、別にそれがどうした。 「俺は、アデルとカインと、ノアがいればそれでいいから」 「あぁ、もう、私たちのノエルがこんなにも可愛い」 「あとダイナも」 「……まぁ、ダイナは猫だし」  ふてくされてはいるものの許容してくれる双子に笑みがこぼれてしまう。  はじめの頃ならきっとノアの存在すら許さなかっただろうに、なんだかんだでアデルもカインも優しい。 「優しいお前たちが俺は大好きだよ」 「……意地悪な私たちは?」 「……もちろん好きだけど、なんか文句でもある?」 「ふ、ふふっ。可愛いノエルが僕も好きだよ」 「……可愛くない俺は?」 「可愛くないノエルも可愛いから好き」  バカップルかよ。  むず痒いし照れくさくなって鼻を鳴らして目を反らした。  あっちも、ヒロインらしく話がまとまったようだ。  涙を浮かべたアリス(ヒロイン)アレクシア(ヴィラン)が抱き合って、セドリック(ヒーロー)が放置されているという不思議な光景が広がっていた。  セドリックがアリスと関係を深めていないのは気づいていたけど、まさかアレクシアとアリスがくっつくとも思っていなかった。  いつからだろう。ヒロイン力って凄いんだな。あのサイコパス野郎が言いなりになってる。  大団円、でいいのだろうか。血統裁判なのに締りがないなぁ。セドリックは毒気を抜かれたようだし、アレクシアは殺されなかったけどデズモンドの敗北は決まった。  これで、デズモンド家の取り潰しは決まったも同然だろう。  ――ホッとした。 「――よかったね、ノエル」 「え?」 「無くなればいいってずっと思ってただろう」  心の中を見透かされた。それくらい、ふたりは俺のことをよくわかってる。  自分のことは自分が一番わかっているはずなんだけど、アデルとカインに関しては俺よりも俺のことをわかってるんじゃないか。だって、あまりにも俺への理解度が高すぎるんだもの。  俺、熱したピクルスが苦手だったなんてアデルに言われなかったら気づかなかったぞ。むしろ気づかなくてもよかったんだが。 「ハッピーエンドなんて許さないわ……!!」  地面を這う、女の声に演習場内はしんと静まり返る。 「何よ、なんだっていうのよ……許すわけないじゃない、あたしはデズモンドなのよ、ねぇ、アレクシア、どうしたっていうのよ、そこの小娘に誑かされたのよね? あぁ、もう、どいつもこいつも、あたしの邪魔ばっかり……!」  意地とプライドで燃え滾る激情を覆い隠していた。  綺麗に編み込んで結い上げられていた髪をぐちゃぐちゃにかき乱して、幽鬼のような足取りでアレクシアを憎々し気に睥睨する。  その手には鋭く光るナイフが握られており、イザベラのことだから毒でも塗り込まれているんだろう。 「デズモンドが滅ぶのなら、あたしたちは死ぬべきだわ」  ゾッとするほど、凪いだ#表情__かお__#だった。  怖気が走る。ゾワリと足元から這い上がってくる寒気に誰も動くことができない。  ゆらり、ゆらり、アレクシアへと近づいていくイザベラを止められない。 「あたしはアナスタシア・デズモンドの娘。デズモンドのために生まれて、デズモンドと共に散るのよ……それなら、同じ母から生まれた貴方も死ぬべきだわ、そうよね、アレクシア――」 「――せっかくハッピーエンドになるんだからさぁ、それでいーだろ、ねーさん」 「リチャー、ド……? なん、で? どうして、」 「#悪役__ヴィラン__#だって、ハッピーエンドに憧れたっていーだろ」  誰も動けなかった中で、ただひっそりと、息を潜めていたリチャードがイザベラの華奢な背中から胸を一突きにしていた。  結い上げていた金髪が広がって、赤色が溢れていく。  嗚呼、こうしてみると、ベアトリーチェの横顔はイザベラに似ていたんだ。

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