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第4話
いつまでも店の出入り口で立ち尽くしていた鈴木の前に、これまた如何にも給仕然とした格好の女性が現れた。
女性は白いブラウスに黒のベスト、黒のパンツを着用していた。はじめ、タイトなロングスカートかと見間違えたものは腰巻きのエプロンだった。
女性の頭も落ち着きが出過ぎてしまう引っ詰め髪ではなく、上品で仕事の邪魔にもならなそうだが野暮ったさを感じさせないアレンジのされたまとめ髪だった。
少なくとも派手な付けまつ毛やらは無く、化粧も薄いように思えるがオレンジ色の照明も手伝って男の栄一の目では詳しくは分かりようがなかった。
「いらっしゃいませ。お二人様で宜しいでしょうか?」
しっかりと鈴木の前で立ち止まってから、その女性は口を開いた。
普段、栄一が気軽に利用しているファミレスのような慌ただしさは微塵も感じさせなかった。
「うえ。あ」
珍しくというか柄にもなく、しどろもどろとなりながら「おふたりです」と答えた鈴木を笑ったりや訝しむような事もなく、
「こちらへどうぞ」
女性は鈴木と栄一の二人を空いていたテーブル席へと案内してくれた。
外観も立派だったが中に入ってみるとまた思ったよりも広かった店内には老若男女と言ってしまっても良いのだろうか、子供は除いて、老人、若者、男性、女性が多く居た。栄一のぱっと見だが八割方の席は既に埋まっているようだった。
もう少し来るのが遅かったら満席となってしまっていて、待たされたりしたのかもしれない。それとも正午がピークでこれから徐々に席が空いていくのか。
どっこいしょと椅子に座った際、目線が下がったせいだろう、給仕の女性の腰巻きエプロンに付けられていた黒地に白文字のネームプレートがふと栄一の目に留まる。
「アヤカ?」
「彩花」と書かれていたものをつい読んでしまった。が呼んだつもりはなかった。
「サイカと申します」
驚きも嫌な顔もせずに彼女、彩花は答えてくれた。もしかしたら、こういった事に慣れてしまっているのだろうか。だとしたら本当に、だ。
「申し訳ない」
栄一は頭を下げた。
「不躾な事をした。目に入った文字をつい読んでしまっただけで他意は無かった」
頭を下げたまま栄一は言い訳を口にした。
「お気になさり過ぎませんように」
彩花はしっとりと目を細めた。
手に持っていたメニューを二冊、テーブルの上に丁寧に置くと、
「それでは。ご注文がお決まりになられましたらお声掛けくださいませ」
一礼をして、彩花はこの場から離れていった。
彼女の背中をきっちりと見送り終えると栄一は、
「ふう」
と大きめの息を吐いた。緊張をしてしまった。
「手が早いな。流石は疾風の藏重」
最低限の分別なのか単なるヘタレなのか彩花の後ろ姿が完全に見えなくなってから冷やかしてきた鈴木を、
「止めなさい」
栄一はぴしゃりと遮った。
それは自分がイジられたくないからというよりも、ただでさえ不快な思いをさせてしまった彼女を今度は内輪の冗談に巻き込んでしまい、その名誉を少しでも傷付けてしまうような事になってしまっては絶対にならないと思ったからだった。
栄一の堅固な思いが伝わったのか、
「了解」
と鈴木は大人しく引き下がってくれた。
「さてと」
呟いて、栄一はテーブルの上に置かれていたメニューに目を落とす。
「アメリカンから水出し、カフェラテ、エスプレッソと色々あって、本格的な喫茶店みたいだな。よく分からん。普通のコーヒーはアメリカンで良いのか?」
「さあ」
「さあって。鈴木はコーヒーに詳しかったりするんじゃないのか?」
「いや。別に。あ、ジャコウネコのコーヒーが高いっていう豆知識なら知ってるぞ」
「ジャコウネコ? 猫のコーヒー?」
「詳しくは昼メシを食い終わってから教えてやろう」
「あ、いや。遠慮しておく。急に聞きたくなくなった」
鈴木の性格と今の態度から察するに聞かなければ良かったと後悔をするような話に違いない。君子危うきに近寄らず、もしくは知らぬが仏だ。好奇心は猫をも殺すでも良い。
さておき、
「お前が来てみたかった店なんだろう? コーヒー好きには有名な店で、無類のコーヒー好きである鈴木も飲んでみたかった、とかじゃないのかよ」
栄一は何となく声をひそめながら鈴木に詰め寄る。実はコーヒーが異常に不味くて有名な店だから来てみたかったなどという答えだったとしたら、その店内でそんな回答を引き出してしまった栄一の責任も重くなりそうだ。
「わはは」と鈴木は笑った。
「悪いな。俺もコーヒーに関してはよく分からん。好きか嫌いかで言うと普通だ」
「『好き』か『嫌い』かで言ってねえじゃねえか」
「わはははは。何だ、その、ミルクと砂糖無しのブラックを飲めなくもない程度だ」
「それは、まあ、普通か? まあ、普通か」
鈴木は「アメリカンはゴクゴク飲むのに向いてる薄めのやつだったかなあ」と呟きながらメニューを眺める。
「ああ。メニューに詳細が書いてあったわ。カフェオレとカフェラテとカプチーノの違いとか。アメリカンは浅く焙煎した豆を使ったコーヒーでブレンドは二種類以上の豆を混ぜたものだと。業務用のを卸してんじゃなくて、配合を店でやってるみたいだから、このオリジナルブレンドってのが店のオススメというか、この店の味って事になるんかな」
「なるほどな。じゃあ、俺はオリジナルブレンドにしてみるか。それと、ああ、食い物は無いんだな。残念。腹も減ってるんだけどな」
「ケーキとかスコーンはあるけど。ナポリタンとかサンドイッチは無いみたいだな。あくまでもメインはコーヒーでお茶請け的なものはあっても食事は無しって感じか」
栄一と鈴木の二人は抑えめの声でこそこそと話し合いながら注文を決めていた。
店の雰囲気に呑まれてしまったというよりは彼らなりに思慮をしたつもりだった。栄一と鈴木の二人にそうさせるだけの雰囲気をこの店は醸し出していた。
しばらくがして、
「決まったか? そしたら声を掛けるぞ?」
鈴木が言った。気のせいか妙に気合が入っているように見えた。栄一は、
「いまどき、ボタンで呼び出すとかじゃないんだな」
素朴な疑問を口にした。クレームの気持ちは無かった。
「おいおいおい。もったいないだろ、そんなことしちゃったら」
鈴木が少しだけ大きめの声を上げた。
「勿体無い?」
訝しむ栄一に鈴木は軽く身を乗り出して二人の距離を近付けると囁くみたいな小声で教えてくれた。
「来店時の案内、注文、会計なんかは恰好の機会だろうが。何のって、触れ合いとか言ったら気持ち悪いか。えっと。交流とか、コミュニケーションを取る為のだ」
「ガールズバーか」
行った事は無いが聞いた事はあった単語が栄一の頭に浮かんだ。詳細は知らないがいかがわしくはない店員の女の子にいかがわしさを求めて客が来る事を狙っている、少なくとも理解はしている店という、いかがわしいのかいかがわしくないのか微妙な立ち位置にあるものだと栄一は「ガールズバー」なるものを認識していた。
どうなのだろう。どう思えば良いのだろうか。困惑気味に店内を見遣った栄一は、
「ん?」
とまた別の事にも気が付いた。
「店員の制服が全員、微妙に違わないか。私服じゃあないよな」
「ガールズバーじゃねえよとまずは言わせてもらおうか。それからよく気が付いたと褒めてやろう。お目が高いな、藏重君。店員さんの制服の違いはこの店の売りの一つでな、基本の型はあるにせよ、本人が着たい格好をしているらしい」
何故か鈴木は得意気に語ってくれた。
「女子高生が制服を着崩すみたいな感じか」
「どうかな。着崩して強引にアレンジしてるんじゃなくて、服自体が何種類もあってそこから好きに選んでるみたいだから。ちょっと違うかな」
そこまで言うと鈴木は「それはそうと頼む物はもう決まってるんだよな? な? もう呼ぶぞ」と痺れを切らした御様子で栄一に迫った。
栄一からの返事は持たずに鈴木は自身の胸元で小さく手を挙げると、比較的近くに居た店員と目を合わせる。
「すみません」
「はあーい。お待たせしましたあ」
ぱたぱたと小走りにやってきた店員は、
「ご注文はお決まりですかあ?」
甘ったるい声で可愛らしく言った。目が大きくて唇のぽっちゃりとした子だった。白いエプロンには沢山のフリルが付いていて、膝丈のフレアスカートをはいていた。髪は二つのお団子にしていて、水玉模様の大きな赤いリボンこそ付けていなかったがそのシルエットは夢の国のマスコットみたいだった。かわいいな。
彼女のネームプレートには「Mito」と書いてあったが今度は栄一も声に出して読んでしまったりはせずに「ミトか」と黙読で済ます事が出来た。
「ありがとうございますう」
不意に彼女はお礼を述べた。栄一も鈴木もまだ注文はしていなかった。
「ええと。ブレンドコーヒーとチョコレートケーキを」
栄一は不思議に思いながらも無難に注文を済ませたが、鈴木は、
「初めてお店に来させて頂いたんですけど。何かオススメとかってありますか?」
詐欺師みたいに爽やかな笑顔で尋ねたりとしていた。
数分後、
「それでは失礼いたしまあす」
鈴木との遣り取りも笑顔でこなした彼女がテーブルから去っていくなり、
「お前なあ」
鈴木はぐるんと首を大きく回して栄一の事を見た。
「何だ?」
「なんだじゃねえわ。いきなり、店員さんに『かわいいな』とか言うんじゃねえよ」
「は? 言ってないだろ」
「言ってたわ」
「はあ?」と栄一は大きく首を傾げる。
「彼女も『ありがとうございます』とか言ってただろ」
「ああ。何か急に言ったよな。何だったんだ、あれ」
「じゃねえよ。急に言ったのはお前の方だわ。超焦ったわ」
鈴木は小声でまくし立てる。
「お前個人が要注意軟派野郎認定されて、速攻でつまみ出された挙げ句に今後も出禁になるの勝手だけどな、お連れの人畜無害な健康優良児の俺ちゃんまでそういう目で見られていたらどうしてくれたんだい、ああん?」
「ちょっと待て。急にオススメとか聞いてみたりして、どちらかというとナンパっぽかったのは俺よりもお前だったんじゃあ」
「ふざけんな。一緒にするんじゃねえわ。お前の失言に対する反応を見てみて、客との会話を嫌がる系の子じゃあなさそうだって分かったからこそ、ほんの少しだけお喋りさせて頂いたんですう。こっちゃあ見極めてんだよ。お前さんのような迷惑自己中無自覚闇雲アタッカーと一緒にするなよ。お前が失言してなけりゃあゼッタイに話し掛けたりなんかしてなかったわ。そう考えると藏重サンのお陰で店員さんとお喋りが出来ましたわけで、どうもありがとうございました」
「俺は何を聞かされているんだ」
栄一は横を向いて、早く来てくれると助かるのだけれどもなあと現実逃避気味にブレンドコーヒーとチョコレートケーキの到着を待ち望んだ。
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