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第5話

    「それにしても」とどうにか落ち着きを取り戻したらしい鈴木が呟いた。 「マッチョ喫茶的なネタ系のコンセプトカフェかと思ったら、マジで喫茶店としてのクオリティが高いんだな。てか、高過ぎるだろう。その辺にある普通の喫茶店なんかよりもよっぽど本格的な喫茶店じゃねえか」 「何の話だ?」  鈴木はまるでこの店が普通の喫茶店ではないかのような事を言い出していた。 「ん、ああ。話すの忘れてた、というか実際に見ればすぐに分かると思ってたから、出落ちで笑わすつもりで事前の説明はしなかったんだよな。悪い悪い」  悪いとはまるで思っていない調子で鈴木は謝った。 「何がだよ」 「まあ、待て。焦るな。藏重君。この店の店員さんは皆、可愛らしいだろう?」  鈴木はにやにやしながら聞いてきた。栄一は正直に答える。 「皆かどうかは知らないが最初に案内をしてくれた方はとても美人だったと思うし、さっきの注文を取ってくれた方は確かに可愛らしかったな」  制服に差異もあってか、とてもではないが同じ店の従業員とは思えないようなキャラクターの違いは感じられたが、どちらの女性も大変に魅力的ではあった。 「それがどうかしたのか?」 「ちらっと見回して他の店員さんも見てみろ」 「何なんだ」と不審に思いながらも素直な栄一は言われた通りに店内を軽く見回してみた。そして気が付く。当然の事ながら全ての店員が見目麗しいわけではなかったがその表情は全員、生き生きとしていた。愛嬌があった。もしくは格好が良かった。  邪な下心ではない純粋な好感を持たされる。  幸せそうに働いているとまで言ってしまっては言い過ぎかもしれないが少なくとも誰一人として嫌々だったりや疲れているような様子は全く見せていなかった。  そういう店だという事だろうか。ガールズバーではないにしろ、同じように店員を売りにしているのか。生き生きと働いている彼女達を眺めてほっこりとする事を目的とした、例えるならば一所懸命に張り切っている我が子を見守る授業参観的な楽しみをする為の場所なのだろうか。結局は水商売の類という事か。  栄一は思わず眉をひそめてしまった。  身近にそういった仕事をしている者が居なかった栄一はドラマや何かといった創作物からしか水商売に対する印象を得ておらず、誇張されている部分と真実の見分けも付かずに、ただぼんやりと「水商売は褒められた職業ではない」と捉えていた。 「職業に貴賎なし」とは言うもののそういった言葉が存在するという事はつまり「職業に貴賎あり」が現実なのだろうとも思える。  この喫茶店が客目線の店ならば一生懸命な女の子達を見世物にしている悪い店で、女の子達目線の店ならば生き生きと働いているように振る舞わせて客を騙している悪い店だ。どちらにせよ、そのような裏があるとしたらと考えるだけで栄一がほっこりと抱かされていた好感は小さくしぼんでしまう。  何だか勿体無い話だ。まだ飲んでいないコーヒーの味は置いておくとしても建物の外観や内装も含めて店自体の雰囲気は決して悪くはないというのに。 「実はこの店な」  怪談話の落ちでも言うみたいに鈴木は低い声を絞り出していた。 「店員さんの半数以上が女装している男性なんだそうだ」 「はあ?」  栄一は大きな声を上げてしまった事に「あ」と気が付いて、すぐに周囲のテーブルに対して小声で「すみません、失礼しました、すみません」と何度も頭を下げた。 「冗談だろう」と栄一は小声のまま、鈴木に抗議する。 「マジです」 「鈴木が誰かに騙されただけなんじゃないのか」 「ノンノン。この店の公式のホームページで公表しております」 「マジか」 「マジです」と鈴木はまた言った。 「でも。それって雇ってる従業員の半数がそういう男性なだけで、さっきの二人みたいに客前に出てるのは普通に女性なんじゃないのか? そういう男性は奥でコーヒーを淹れてるとかカップを洗ってるとかで」 「そう言われると、まあ、んなこたあないとは言えないけどなあ。どうなんだろう」 「適当に店員を捕まえて、お前は男か? 女か? なんて聞けるわけがないしな」 「わはは。失礼過ぎるわ。店の出禁を通り越して、痴漢的容疑で逮捕されそうだ」  軽く笑った後、鈴木は取り出したスマホでこの店のホームページを開いてみせた。 「ほれ。見てみ。店内の紹介があって働いてる子の後ろ姿も映ってるだろ。んで下の方に注意書きみたいな感じで『従業員の半数は女装した男性です。』て書いてある」 「ああ。あるな。書き方的に、悪意あるミスリードじゃなければ、この後ろ姿の子が男性だと言っているように読める」  またその事を売りにはしていないような書き方にも見えて、一度はしぼんだ栄一のこの店に対する好感もまた少しふくらんでしまった。  この店は水商売の類でもなく、そういった男性を見世物にはしていない、ただ受け入れているだけの普通な喫茶店だという事だろうか。 「ネタ系の喫茶店だったら藏重も働けたかもしれなかったのに。このレベルが求められるんじゃあ藏重には無理だよな。残念。面接は通らなそうだ」 「お前、俺に女装させようとしてたのか」 「ままま、怒んなよ。俺だって笑う準備してきたってのにまさかのクオリティに心を奪われちまったわけだし。お互いに失敗のおあいこって事で。ノーサイドな」 「何がだよ」  怒るまでもなく栄一は気抜けしてしまった。  その後、そういったシステムなのかただの偶然なのか、注文を取ってくれたミトがまた運んできてくれたコーヒーとチョコレートケーキはとても美味しく感じられた。  栄一はコーヒーに詳しくもないし飲み慣れてもいないから本当の本当に味が良かったかどうかは分からない。もしかしたら店の造りや店員の醸し出していた雰囲気に惑わされて「美味しい」と感じさせられてしまっただけなのかもしれないが、それでも「美味しい」は「美味しい」だった。  コーヒーも飲み終えた栄一と鈴木の二人は普段、通っているファミレスよりはずっと高いが本格的なコーヒーだと考えればボッタクリとまでは思えない値段を支払って店を出る。  最初にテーブルまで案内をしてくれた方、注文を取ってまたそれを運んできてもくれた方、最後に会計をしてくれた方、この日、栄一と鈴木の対応をしてくれた店員は全部で三人だった。  鈴木が言うように、またこの店のホームページにも書いてあったように「従業員の半数以上が女装した男性」なのだとしたら、嘘みたいに格好の良かった最初の女性やテーマパークのマスコットみたいに可愛らしかった二人目の女性はむしろ女装をした男性で、最後に会計をしてくれた細っこい女性だけが本物の女性だったのではないのだろうかと栄一は感じていた。前の二人に比べると彼女の印象だけが妙に薄かった。本物の女性だからこそ過度に女性らしくはしていなかったのではないだろうか。  たまにニュースとなったりしているが逮捕された偽医者に関して近所の人間や患者となってしまっていた人間に取材をしてみると本物の医者なんかよりもよっぽど親身になって話を聞いてくれていたりなど意外にも評判が良かったりなんかして、偽医者なりに頑張って必死に医者っぽくあろうとしていた様子が窺えたりするらしいが、得てしてそういうものなのかもしれない。  彼女のネームプレートには「奈月」と書かれていた。  結局、コーヒーを一杯とチョコレートケーキを一個ではバリバリだった運動部出身男子大学生の腹が満たされるわけもなく、喫茶店から駅までを歩いている途中で目に入った個人商店らしきラーメン屋に飛び込んでしまった栄一はそこで醤油ラーメンと餃子を掻っ込むとそれを昼食とした。鈴木は、 「何か胸が一杯で。俺はいいわ」  と先に帰ってしまった。  安くて旨い店だった。客も多くて忙しそうだった。ラーメン屋には似つかわしくないような気弱げな男性が店長をしていた。貼り紙にてアルバイトを急募していた。  鈴木のお陰かお陰じゃないか、この日、栄一のアルバイト先は無事に決定をした。

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