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第6話

     栄一がラーメン屋でアルバイトを始めてから早一ヶ月が過ぎようとしていた。  平日の夕方、大学が終わってからとの話で採用されたバイトだったが栄一の働きっぷりが良かったのかのそれとも単純に人手が足りなかったのか近頃では休日の昼から夜までのシフトにもちょくちょくと入れてもらっていた。  休日の遊び相手を一人奪われてしまった鈴木辺りからは、 「働かされ過ぎじゃねえか? 速攻で契約違反とか、ブラックなんじゃねえの」  などと冗談交じりに言われたりもしたが働きたい栄一と人手が欲しいラーメン屋の間でバランスは取れており、今のところはいわゆるWin-Winの関係であった。 「いらっしゃいませえ! 空いてるお席へどうぞお!」 「はい。味噌ラーメンをひとつと半チャーハンをひとつ。ありがとうございます!」 「お待たせしました。味噌ラーメンと半チャーハンです、ごゆっくりどうぞお!」 「はい。味噌いちと半チャーいちでお家計七百七十円になります。はい。千円から頂戴致しまして、二百三十円のお返しとなります。ありがとうございましたあ!」  厨房で料理を作るのは店長と古参の従業員で栄一の仕事は接客とテーブル拭き等の後片付けが主だった。 「お兄ちゃんが新しく入ったバイトの子か。本当だ。元気良いねえ。頑張れよ!」  客の中年男性から、からかい半分だろうがお褒めと激励のお言葉を頂いたり、 「あら。アルバイトの子だったの。ゴメンナサイね。店長さんかと思っちゃった」  食べ残した料理の持ち帰りは出来ないかと尋ねてきた中年女性には店の責任者と間違われたりもして、いつの間にかこの店の一員として馴染んできているような感覚が栄一にはとても嬉しかったりとした。働き甲斐がとってもあった。  それは何も客からだけの声ではなくて、 「大きいねえ。元気だねえ。心強いねえ。藏重君が居てくれたら強盗が入ってきたとしも一発で倒してくれそうだよねえ。よろしくねえ」 「藏重君が元気に大きな声を出すもんだから僕らまでつられて元気になっちゃうよ」 「店が明るくなったよね。そのせいかお客様からお声を頂く事も増えてさ、忙しさもちょっと増した気がしないでもないけど。あはは。雰囲気がより良くなったよね」  有り難くも店長を始めとした仕事仲間からも認めてもらえているみたいで、栄一の初アルバイトは順調に大成功中であった。  始めるまでは働く事自体から不安を感じてもいた栄一だったが、店と栄一の相性も良かったのだろう、想像していた中の「最高」よりもずっとずっと最高な職場と巡り会えてしまったようだった。  ただ、 「あの。店長。この辺りって治安が悪かったりするんですか? 強盗だなんて」 「ええ? 冗談だよお。藏重君なら鉄砲にも勝てそうだなあって思っただけで」 「無理ですよ。鉄砲で撃たれたら誰だって死にますから」 「そうかなあ。試してみた? 試してみる?」 「ええと。勘弁してください」  店長がたまに口にする不穏な冗談にはまだまだ慣れていない栄一であった。      昼のピーク時は過ぎて、夕飯どきからは少しだけ早い夕方の閑散期。  ラーメン店「龍玉」の店内には客と従業員の数を合わせてもたったの七人しか居なかった。主に接客が仕事の新米アルバイト店員が一人とカウンターの向こうの厨房に正社員と古株のパートが一人ずついて、この日のこの時間帯には店長は不在だった。 「ありがとうございました!」 「はい。ごちそうさんでした。美味しかったよ」 「ありがとうございます! またお越し下さい!」  一人が食べ終わって退店し、これで客の数は三人となったところにまた一人、今の客と入れ替わるように若い男性が来店された。 「いらっしゃいませえ!」  栄一はその客の顔を認めながらも普段通りに大きな声で出迎える。 「おっす。藏重。今日も働いてるな」  客として現れた友人の鈴木はにやにやなのかにこにこなのか判断に迷うような顔で栄一に声を掛ける。 「おう。仕事中だから私語は後でな。お一人様ですか。よろしければカウンター席にどうぞ。はい。お冷、こちらに置きますね。ご注文はもうお決まりですか?」 「はいよ。醤油ラーメンで。ええと。あと今日は味玉も追加な」 「はい。醤油ラーメンに味玉をトッピングで。かしこまりました」  客の注文を復唱した栄一は厨房に向かってもう一度、同じ事を言った。厨房からの返事をしっかりと確認して、ここでようやく一区切りだ。栄一はふっと静かに一息をついてから先程、退店した客が座っていた席の後片付けに入る。 「真面目に働いてんなあ」  頼んだ醤油ラーメンが来るまでの間、手持ち無沙汰となっている鈴木が栄一に余計なちょっかいを掛ける。栄一は最初に「私語は後でな」と言った通りに鈴木を無視していたのだが、 「本当に真面目よお」  厨房に居たパートのオバちゃんが栄一の代わりに応えてしまった。 「アレね、体育会系ってやつなのね。はきはきしてて。働き者のしっかり者ね」 「いやあ、オネエサン。アレでいて藏重はド天然なところもあるんすよ。まだ見せてませんか。仕事中は気を張ってんすかね。そういった意味でも頑張ってんすねえ」  何様のつもりか、鈴木は偉そうに語っていた。いや、栄一としては「騙っていた」と言いたい。誰がド天然か。 「藏重のメッキがボロボロと剥がれてきちゃっても彼をキライにはならないでやってくださいね。駄目なヤツでも悪いヤツじゃあないんで。可愛がってやってください」 「あらまあ。そんなのギャップ萌えってやつじゃないの。そんな藏重君、どうしたら良いのかしら。オバサン、困っちゃうわ」  困らないでください。どうもしなくて良いですから。 「わはは」と鈴木は笑っていた。  栄一がバイトを始めてからこの店に通い出した鈴木だったが今では週に二度、三度と顔を出す、立派な常連客の一人となっていた。 「安くて旨くて、藏重も居るしな」  薄い唇を横に引くようにして、にっと鈴木は笑っていた。そういったひとたらしな一面を遺憾無く発揮して、鈴木はこのパートのオバサンの他にも店長やら従業員やらと交流を持つようになってしまった。本当にすぐだった。現状、下手をすれば同じ仕事仲間の栄一よりもただの客であるはずの鈴木との仲の方が良いというような者すら居なくはなさそうな勢いだ。  仕事中は無駄話を一切せず、仕事が終わればだらだらもぐずぐずもしないですぐに帰ってしまっていた栄一が他の従業員方と仲良くなるのに時間が掛かってしまう事は道理なのだが、そうとしか出来ないのが藏重栄一だった。  仮に鈴木が栄一の立場なら簡単に皆と仲良くなっていそうだ。  学生のアルバイトとは言え、これは仕事なのだから業務に影響が出てしまうくらい悪いのでなければ、無理に仲良しこよしにならなくても良いのではないだろうかとも思えるが、それは負け惜しみというものだろうか。  従業員同士が仲良くなる事で日々の物事がより円滑に進むのなら、仲良くなる事も業務の内だという事か。鈴木のように他人とすぐに打ち解けられるという性格や性質は仕事をするという事に於いて非常に重要なスキルの一つなのかもしれない。それは今の栄一には無いもので、愚痴や泣き言ではないつもりだが正直に言ってしまえば、今後も得られる気がしないものだった。 「ええ? 店長さんて実はド天然だったりするんですか?」  不意に栄一は声を掛けられた。

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