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第12話

     七月三週目の木曜日、小中高生はまだぎりぎりで夏休みには入っていないであろうこの日、藏重栄一は某遊園地の空の下に居た。  天気は快晴も快晴で湿気は少なく最高気温は三十度を超えるとも予想されていた。 「暑いな」  呟いた栄一に、 「はあい」  と横からカップが差し出される。それは水筒の蓋で中には透明の液体が適量、注がれていた。  栄一はそういうつもりで暑いなどと呟いたわけではなかったのだが、 「水で薄めたスポドリだよお。水分補給にねえ」  にこにこの笑顔でカップを差し出してくれている彼女、ミトにつっけんどんな態度を取るわけにもいかない。 「どうも。ありがとう」  と栄一はそれを受け取るとぐいっと一気に飲み干した。空になった水筒の蓋を逆さに強く振って、中に残されていたしずくを飛ばすと自分が口を付けた箇所をハンカチで軽く拭った。普段、滅多に使わないハンカチだが今ほど所持を習慣づけさせられていて良かったと思った事はなかった。小さな頃から口うるさく言い続けてくれていた母親に今更ながら栄一は感謝をしてしまう。 「ごちそうさまでした」と栄一はミトに水筒の蓋を返す。 「どういたしましてえ」とミトは受け取った蓋を水筒に被せた。  二人は今、順番待ちの長い列に並んでいた。列の先には人気のジェットコースターがあった。並び始めてからもう十分は過ぎているがこの調子だとあと三十分は待たされそうだった。 「えっと。ミトさん」  他にする事の見付けられない行列の途中で、仕方なくと言ってしまっては失礼だが栄一はミトに話し掛ける。 「はあい。なんでしょうかあ」  横並びの近い距離から栄一を軽く見上げたミトは破壊力抜群の可愛らしさを発揮していた。 「今日はどうしてこんな」と栄一は語尾をもごもごとさせてしまった。 「あは」と笑ったミトは、 「どうしてって言われてもお。すずき君が誘ってくれたんですよお」  まるで自分には何も分からないというような事を言った。  そうなのだ。つい先日の事、アルバイトを終えた栄一が店の中で待ってくれていた鈴木と二人で外に出たところ、 「おつかれさまでしたあ」  と栄一が出てくるのを待ち伏せしていたらしきミトに可愛らしい声を掛けられてしまった際の話だ。ミトのかたわらには連れの若い男性も居た。 「え? ミトさん?」 「はあい。ミトさんです」  栄一とミトが二言、三言を交わした直後、 「あの! 今日はもう遅いですしお話でしたらまた今度、ゆっくり、そうだ。今度、皆で一緒に遊園地とか行きませんか? ダブルデートと洒落込みませんか?」  二人の横から鈴木が鈴木っぽい台詞を鈴木らしくもないばたばたとした調子で差し込んできた。冗談めかされた鈴木一流の助け舟ではあったが残念ながら上手には漕げていなかった。  戸惑っている栄一を見て、鈴木は助けようとしてくれたのだろう。出し抜けに現れたミトを見て、鈴木も驚いたか怯えたか呆れたか何か感じたのだろう。しかし、 「きゃあ。良いですねえ。じゃあ今度の土曜日はお暇ですかあ?」  結果は裏目に出てしまったようだった。ミトは乗り気の返答をした。 「いや。えっと。土曜日はちょっと」 「日曜日はどうですかあ?」 「そうだな。その。まだ分からないかな」 「そうなんですかあ。それじゃあ、お暇が出来たら教えてくださいねえ」 「ああ。はい。それは。勿論。じゃあ。そういう事で」 「はあい。連絡先を交換しましょう」 「え」  ミトの提案は、鈴木が言い出した遊園地の件が嘘でないなら必然性があり、栄一も鈴木も断る事など出来ない流れだった。 「あの。良いんですか?」と栄一は連れの男性に向かって、小声で尋ねた。尋ねたというよりは暗に「止めてください」と頼んだようなものだった。  だが男性は無言のまま、ぷいと横を向いただけだった。表情は不服そうだったが、言葉での返事は何も無かった。  一体、彼はミトの何なのだろうか。発言権や主体性を取り上げられてしまっている機械的なボディーガードか何かなのだろうか。彼女の言動を妨げる事は許されておらず、ただ物理的な事故や攻撃からのみ彼女を守るように言い付けられているとか。 「わあ。これでお友達ですねえ」 「ええと。そうですね。『友だち追加』しましたね」  ミトに押し切られるようなかたちで連絡先を交換してしまった栄一だったが、 「あの。貴方とも連絡先を交換させて頂けませんか」  常にミトの半歩後ろに佇んでいる男性に声を掛けた。  何も無いとは思いたいがもしも何かがあってしまった時の為、更にはミトとだけ連絡先を交換するのではなくて彼とも交換する事で「連絡先を交換する」という事の価値観とでも言おうか重要性のようなものを少しでも薄めておきたかったというような思いが栄一にはあった。理由さえあれば友人ではない相手とも連絡先を交換するし、連絡先を交換したからと言って、イコールで友人だというわけではないという前例のようなものを作っておきたくなってしまったのだった。  無言のまま渋い表情を見せる男性に、 「あの! 俺も良いですか?」  と鈴木も援護射撃をしてくれた。  それでも横を向いてしまう男性だったが最終的には、 「してあげたらあ? 優蔵君」  ミトの後押しもあってか彼、優蔵は栄一と鈴木の前に自分のスマートフォンを差し出してくれた。彼の気が変わってしまう前にと栄一と鈴木の二人は急いでその画面に映されていたQRコードをスキャンした。 「ありがとうございます」  栄一が頭を下げた事に気が付いてだろう、一仕事を終えて気を抜いてしまっていた様子の鈴木も、 「あ。ありがとう。どうも」  と慌てた様子で頭を下げた。  元々、栄一の援護射撃でしかなかった鈴木にしてみれば単に付き合いで「俺も」と言ってくれたに過ぎず、栄一とは違って優蔵に連絡先を交換してもらった事に関して本当の意味での感謝の気持ちはなかったのだろうと思う。  栄一は鈴木と優蔵の二人共に対し、改めて有り難いという気持ちと罪悪感のようなものを覚えてしまった。 「ええと。今日はこれで」 「はあい。遊園地、楽しみにしてますねえ」 「ああ。えと」 「はあい?」 「その。もう暗くなりますから。帰り道、気を付けて下さい」 「はあい。ありがとうございますう」  と、その場はそれにてお開きと相成ったがその後、 「ミトさんからの連絡は今の所、無いけれども。これはこのまま放っておいて良いと思うか? 自然消滅してくれる話だと思うか?」 「いやあ。あの日の行動力を見ても、だなあ。相手が待ち切れなくなる前に藏重から連絡してやった方が安全というか、主導権は藏重が握れる気はするな」  栄一は鈴木と相談をしながらミトに連絡を入れた。 「先日の件ですが来週の木曜日なら大丈夫です。お二人の予定は如何ですか?」  と栄一からのメッセージは愛想の全く無い業務連絡のような文面となっていたが、ミトからの返信にはあらゆる意味でミトらしさが溢れていた。  そのメッセージは要約をすると「こちらも木曜日で大丈夫です」だった。  土曜日でも日曜日でもなく更には金曜日でもない完全な平日の木曜日を栄一が選んだ理由は次の日がある事を言い訳に早く帰宅する、あるいは帰宅させる為であった。ミト側から平日である事に対する文句や意見は無かった。  ミトと栄一の遣り取りはこの一度だけで終わり、連絡以外のお喋りはしなかった。栄一としてはミトに聞きたい事が無かったわけでもなかったのだが、どうせ数日後には顔を合わせるのだからその時に聞けば良いとも思えた。  鈴木のようにお喋りが得意なわけではなかったが、文字によるメッセージの遣り取りもまた言葉でのお喋り以上に不得意だった栄一は、 「どちらにしても藪をつつく事になってしまうのなら面と向かっていた方がその後の対処はし易い気がする」  と後者を選んだ。  ただミトからも何のメッセージも来なかった事が意外と言えば意外な気もしたが、気にしても仕方がない事として栄一は考える事を止めておいた。  木曜日の午前中、ミトが勤める喫茶店と栄一がアルバイトをしているラーメン屋がある駅を待ち合わせ場所にした四人、栄一、鈴木、ミト、優蔵らは揃って片道三十分の場所にある某遊園地へと向かった。  道中、鈴木ははしゃいでくれていた。優蔵は黙っていた。ミトはにこにことしていた。栄一はどんな顔をしていいのやら分からず、また実際にどんな顔をしていたのかも分かってはいなかった。

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