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第14話
栄一が立って歩けるようになるまでの数分間、ミトは黙ってそばに居てくれた。
「向こうのベンチ、埋まっちゃったねえ」と呟いた後、
「お昼にはまだ早いけど、お店に入ってゆっくりしようかあ」
ミトは栄一にミトっぽい笑顔を向けた。
「いや。もう大丈夫。絶叫系は別として何か他のアトラクションとかなら」
栄一はお詫びやお礼の気持ちも含めて持ち掛けたのだが、
「最初から一回だけ付き合ってくださいねえってお願いだったしい」
ミトは「ううん」と首を横に振った。
栄一には、
「ちょっとお話しましょうかあ」
「あ。ええと。はい」
ミトからのその提案を断る理由なんて何もなかった。
「お天気も良いしい。店舗の中に入っちゃうよりは外の方が気持ちが良いよねえ」
ミトに言われるがまま、その後ろに付いて歩いて、すぐの場所に在ったカウンターサービス型の飲食エリアに入る。切り株を模した椅子とテーブルが店舗の前に並べられていて、受け取った食べ物は歩きながら食べるも良し、そちらに腰を下ろしてゆっくりと食べても良しというような販売スタイルになっていた。
カップの中にシリアルとジャムを詰めてソフトクリームを乗せたサンデーに名物の揚げ菓子を可愛らしく突き刺したという非常に写真映えしそうなスイーツを、ミトは目当てにしていたらしかったが夏場はかき氷へとメニューが変更されているらしく、
「えええええ。一ヶ月、遅かったかあ」
泣く泣くそのかき氷にソフトクリームが乗せてある品を注文していた。
栄一はソフトクリーム無しのかき氷にした。
「テレビでも雑誌でも個人のヒトが上げてるブログとかでもオススメされてて可愛いしゼッタイ食べたかったのにえええええもうすごいショックだああ食べたかったあ」
「まあ。九月になったら復活するみたいだし。また来たら」と適当に慰める栄一を、
「え、なあに。また連れて来てくれるって?」
ミトは小首を傾げながらに見上げた。背の低かったミトとそこそこ背の高い栄一には結構な身長差があって、ミトは自然と下から栄一の顔を覗き上げるみたいな格好となっていた。
「ええと。優蔵さんとか」
栄一は目を逸らす。そうした理由は二つほどあった。
「えええ」とまた何か言い始めたミトの話は聞かない事にして、栄一は歩き出した。ミトもぶつぶつと何か言いながらも栄一の後に付いて来ていた。
それぞれのかき氷を手に切り株造りのテラス席へと移動した二人は、
「あ。そっちのも美味しそう。一口、ちょーだい?」
「いいよ。はい。あーん」
だなんて、あちらの方に居られるカップルのような事はせず、向かい合って静かに同じ味のかき氷を食べ始める。
「くらしげ君が別の味の頼んでたら私も一口ちょうだいって言えたんだけどなあ。残念。あ。私のソフトクリーム、一口食べる? はい、あーん」
「しません。同じ味で良かったです」
「ええ。そんなに私のあーんが嫌なんだあ。またまたショックう」
「同じ物を食べれば美味しくても美味しくなくても同じ気持ちで話し合えますから」
「んん? ポジティブなんだかネガティブなんだかビミョーな。でもちょっとミラーリングっぽいねえ。くらしげ君て実はこういうの慣れてたりするう?」
「ミラーリング? ええと。鏡の指輪ですか?」
真顔で聞き返した栄一を「あはは」とミトは笑った。
「鏡の指輪ってちょっとシンデレラっぽくなあい? ガラスの靴的な」
「ああ。何か少し分かるかも」
栄一は頬を緩ませた。ミトも顔をほころばせていた。
「それで」
と本題に入ったのはどちらからだったろうか。
「私がくらしげ君と話したかった内容の前に。どうしてくらしげ君と話がしたかったのか、からかなあ」
ミトが言った。栄一は話の腰を折らぬようにと無言で頷いた。
「最初は本当に偶然、あのラーメン屋さんから出てきた君達二人と擦れ違って」
確認するまでもなく二人とは栄一と鈴木の事だろう。あのラーメン屋とは龍玉だ。
栄一は鈴木としかあのラーメン屋こと「龍玉」から出てきた事はなかった。栄一にも鈴木以外の友人は居る。ただ鈴木以外の友人は栄一がラーメン屋でアルバイトをしているという事は知っていてもそれが何処に在る何という名前のラーメン屋なのかまでは知らないはずだった。悪友ばかりがいるわけでもなかったが仕事場に彼らが友人のノリで現れる事で、店に何かしらの迷惑が掛かる可能性を懸念した栄一は先にアルバイトの件で話をしていた鈴木以外、友人達の誰にも「龍玉」でアルバイトをしている事やその店の場所を話してはいなかった。
「カクテルパーティー効果っていうやつかな。今の自分が強い興味を持ってる事とか自分に深い関係がある事とか、もっと単純に自分の名前とか、ガヤガヤしてる中からでも無意識にその単語を聞き取っちゃうっていう」
軽く補足もしてくれながらミトは続ける。
「二人は『chiffon』の話をしてて。聞くともなしに聞いちゃった。もう何回も店に通ってたすずき君は『俺くらいになるとあの店の誰が女装した男で誰が本当の女か見分けがつくんだ』なんて話をしてた」
いつだったろうか。正確な日にちは覚えていなかったが確かにそんな話を鈴木としたような記憶は栄一の頭にも残っていた。
だがその時の事を幾ら思い出そうとしてみても栄一の記憶にはミトのミの字も浮かばなかった。
「二人は私に気付いてなかったみたいだけど」とミトは少しだけ目を細めた。
「良くお店にいらっしゃってくださってるお客様方の中には時々いらっしゃるから。そういう事を言う方が。でも男か女かなんて二択だからね。言った性別が当たってるか当たってないかも含めてどうでも良いと言えばどうでも良い感じなんだけど」
言葉の通り、ミトは鈴木が言った事に対して怒っているわけではなさそうだった。そういう事は言わないでくれとか、謝れだとか、間違っているから訂正したいとか、そういった話ではなさそうだった。
では何の話なのだろうか。いよいよもって謎だった。
「あの当時、すずき君は『chiffon』に何度も来てたけど、くらしげ君はまだ一回しか来てなかった」
ミトの言葉に栄一は頷いた。
「今日もくらしげ君は私の事を『よく知りもしない』って言った」
直接的にそう言ったわけではなかったが本質としてはそう言ったも同然だった。
「あの日、二人の会話が聞こえてきて。私が気に掛かったのは、どうしてたった一度だけの接客でくらしげ君は『Mito』と『彩花』が女装した男で『奈月』は本当の女だなんて思ったのかなっていう事だった。特に『Mito』の事なんてくらしげ君は『よく知りもしない』はずのに」
栄一の事を責めているふうでもなし、哀しんでいるようでもなし、冗談というか、笑いを誘うみたいに芝居がかっているというわけでもなかった。
ミトはただ淡々ともしくは粛々と事務的に作業でもこなしているかのようだった。
ああ。そうだ。栄一は覚えていた。鈴木と二人で訪れた初日の話だ。
「従業員の半数以上が女装した男性」だと公表している喫茶店で三人の店員に応対をされた栄一は、その情報を鵜呑みにしたなら三人の中の「半数以上」で二人が男性だという事になり、引っ掛け問題とは言われていなかったが自主的にむしろや敢えての精神で考えてしまった栄一は、三人の中では一番、女性らしくはなかった奈月だけが女性で他の二人は男性なのではないか、などという結論を付けた。
後日、鈴木との間で喫茶店の従業員方の中の誰が女装をしていた男性で誰が本当の女性かなどという話題になったとき、栄一も栄一で「彩花さんとミトさんは男性。最後の奈月さんが女性かな」なんて事を言ってしまっていたという覚えがあった。
この時にはもう鈴木が奈月に「恋」をしていて、その事も「奈月が女性である」とした事の一因になっていた。隣りに居る友人が「恋」をしている相手の事を「いや。彼女は女性ではない。女装をしてる男性だろう」とは流石に言い難かった。
栄一は答える。
「裏をかいたようなつもりでミトさんと彩花さんを男性だろうだなんて言ってしまいましたが何か理由があったわけではなかったんです。半数以上が云々の話があって、ちょっとしたクイズみたいな気持ちで考えてしまいました。申し訳ない」
改めて思い起こせば随分と失礼な事を考えてしまっていた。更にはそれを言葉にも出してしまっていた。しかも街中で。大変に迂闊だった。
栄一はミトに向かって、
「それも本人の耳に入れてしまっていたなんて。不快な思いをさせてしまいまして、本当にすみませんでした」
二度、続けて頭を下げた。
下手な例え話だが「今の話の何が失礼だったのか全く解らない」と本気で言い出しそうな栄一の粗雑な悪友連中にも分り易く解説してみようかと言い添えれば、
「こないだ話をした男達の中で誰が包茎で誰がズル剥けか分かる」
「鈴木は短小で藏重は早漏かな」
などというような勝手な想像や妄想を大声ではなかったとしても街中で言い合った挙げ句にその会話を本人に聞かれていたというような有様だ。
仮に事実や真実がどうであれ、そのモノを実際に目にする予定も無ければ、何かに影響を与えるような事も無い、何の関係も無い人間が実に根拠の乏しい思い込みで相手を品定めするような行為は何の意味も無いどころかその尊厳を傷付け、また貶める妄言と言えよう。勿論、そんな妄言を口にすれば己の品位も損なうに決まっている。
「そっかあ」
ミトは息を吐きながらに呟いた。栄一はまだ顔を上げられないでいた。
「くらしげ君は本当に私の事をよく知りもしないで男性だなんて思ってたんだねえ」
その声色を聞かされて、栄一は恐る恐るも顔を上げる。
栄一の目に映ったミトの表情は柔らかかった。もう淡々や粛々や事務的は欠片も感じられなかった。感じさせなかった。感じさせてはくれなかった。
それは栄一が知る「Mito」らしい顔ではあったが、何故だろう栄一は彼女の存在が遠く、もしくは薄く思えてしまった。
栄一は、
「悪かった」
この会話中、三度目の頭を深々と下げた。
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