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第16話

     ミトが「くらしげ君?」と不思議なものでも見るような目で栄一の事を見ていたが栄一はその視線に気が付いていなかった。少しだけぼんやりとしてしまっていた。  よく言われる話だとテレビに出ているアイドルだって私生活では普通に恋人が居たりして、それが許せないという人間も当然、居るのだろうが、ファン達の中には恋人が居るのは仕方がないとしてもバレないようにして欲しい、ファンの夢を壊さないで欲しいというような人間も居る。今現在、大好きなアイドルが居るわけではないが、どちらかと言えば栄一は許せない派ではなく、バレないようにして欲しい派だった。  それが栄一にとって不都合なものであるのなら、隠されている真実なんか暴かれて欲しくはなかった。何事も暴かれて不都合な可能性が無いものなんて無いのだから、栄一は全てに於いて裏側の真実なんか知りたいとは思えない。  感動の名曲が自身の不倫の実体験を元に作られていたなんて真実を知ってしまった後では、その感動も薄れてしまうどころか名曲とも思えなくなってしまったりする。  楽曲に罪は無いだのも言われるが、その楽曲をプロモートする際にジャケット写真やらメディアミックスやらのイメージ戦略で評価を高めようともしているのだから、作品の外枠も含めてその作品なのだと最初に言い出しているのはあちらの方だ。評価がマイナスに傾いた途端にイメージの部分を切り離そうというのは無理がある。  稚拙な絵画だが動物園の象が鼻で描いたから百万円の値段です。でも実は象が描いた事にしていただけで飼育員の人間が描きました。でも絵画に罪は無いから値段はそのまま百万円です。いや。これはただの詐欺か。  例え話を重ねれば重ねるほど事の本質からはどんどんとずれていってしまいそうだが、何と言えば栄一のわだかまりは上手に伝わるのだろうか。  本当に耳や目の肥えている人ならばそういったイメージ戦略の部分に惑わされず、楽曲なら楽曲、人間なら人間そのものだけを見て、自分なりの良い悪い、好き嫌いを覚えられるのだろうが、栄一程度の凡人がその背景の影響を全く受けずにずばりそのものだけを受け止める事などは出来やしない。  その背景が作品や人間にとってプラスになるのなら最初から隠そうとはしていないだろうから、わざわざ隠しているものを暴いて得をするとか良い気分になる事などはなかなかに無いだろう。  表面的なもので良いのだ。  少し考えれば分かる事なら考えたくもない。  品が無さ過ぎてミトは元より鈴木にも言えないような話だが、友人でも知人でも芸能人でも何でも良いが一組のカップルに子供が産まれたと聞かされて「おめでとう」とは思っても「じゃあそのトツキトオカ前にセックスしたんだ」とは考えないようなもので、事実としてはそういう事があってのおめでたなのだがわざわざ考えなくても良いというよりはむしろ考えてはいけないような事もある。  夏場に女性のつるっとした脚や脇を目にしてしまった際、昨夜の風呂場や何処かでムダ毛の処理をしている姿を連想してはいけない。  大食いのタレントを見て、この後のトイレは大変な事になりそうだとか思わない。  また少しばかり飛躍し過ぎている上に想像の話とはなるが、戦争やら紛争やら内戦やらの激戦地に国の兵士の一人として否応無しに参加させられたものの無事に帰って来られた身内に対し、生きて戻って来てくれて嬉しいとは思っても、じゃあ、お前は相手を殺して帰って来たのだなとは思ってはいけないような事だ。  身近な話で言えば、美味しい豚肉を食べている時に養豚場の事を考えなかったりやチョコレートを食べている時に原産国のカカオ農家が貧しいままだと言われている現実に思いを馳せないように今のこの瞬間を目一杯に楽しむ為には何事も深く考えてはいけないのかもしれない。  幸せでいたいのなら踏み込まない事も重要だ。掻き分けてみた先にあるものは手に負えないものが多い。そんな気がする。物理的にも気持ちの整理的にも解決が困難なものが多い気がするのだ。それならば知らない方が、考えない方が良い。  藏重栄一の座右の銘でも何でもないのだが「知らぬが仏」とは昔の人は本当によく言ったものだと思う。  大袈裟に言えばそんな感じだ。 「騙されたあとか思わない? もしも私が実は男なんだよおってコトになったら」  ミトが言った。 「どうだろうな。その場になってみないと実際のところは分からないけれども」  栄一の言葉に嘘偽りは無かったが果たして答えにはなっているのだろうか。 「さっきの話。俺の国籍が日本じゃあなかったらミトさんは騙されたって思うか?」 「へえ、そうなんだあって思うかなあ。後は、そうだねえ。じゃあ日本語と母国語も喋れるバイリンガル? 凄いねえって思うかも」 「騙されたとは思わない?」 「思わないんじゃないかなあ」 「それじゃあそういう事なのかも」 「ん~? そういうコトなのかなあ」とミトはあまり納得のいっていない顔をした。 「実際、くらしげ君の国籍は日本じゃあないのお?」 「いえ。日本です」 「日本なんじゃんっ」  ミトは切り株型のテーブルに軽く突っ伏しながら「騙されたあ」と笑った。 「まいったな」と栄一も苦笑する。それから「ああ、そうだ」と閃いた栄一は、 「俺はあのラーメン屋の店長っぽく見られるのかもしれないけれども実はただの新人アルバイトなんだ」  また別の例え話を繰り出してみた。 「うん。知ってるよお」 「俺が実はただのアルバイトだったって知ってミトさんは騙されたって思ったか?」 「ああ。そっかあ」とミトは大きく頷いた。 「それは私の勝手な勘違いだったなあって思っただけだったなあ」 「そういう事ですよ、きっと」と栄一もミトの後を追うみたいに小さく頷いた。  現状、見たままを捉えて栄一はミトを女性であるとしていた。  そのミトが実は男性であると「真実」を伝えられてしまった場合、栄一は何をどう思うのだろうか。何だかんだ言いながらもやはり騙されたなどと思うかもしれない。  人間の心の動きなど本当にその場になってみないと分からないものなのだ。  だからこそ栄一はその「真実」を知りたいとは思えないという話だった。  ミトの見た目や振る舞いが女性なら女性で良い。  日本国内で法的に結婚でもしようと思うなら戸籍上の性別は重要かもしれないが、栄一とミトの間にそんな予定があるわけもなかった。 「昼に合流って鈴木は言ってたけれども。まだ少し時間はあるな」  そう言って立ち上がった栄一は「もう少し見て回りませんか」とミトを誘った。 「見て回るだけえ?」とミトは意地悪っぽい笑顔を見せる。 「絶叫系でなければ付き合いますよ。喜んで」 「絶叫系? あったかなあ。ココって歓声系しかないと思うけどお」 「何ですか、その新ジャンル。取り敢えず、叫ばなくて済むものでお願いします」  ミトは「しょうがないなあ、くらしげ君はあ」と何処ぞの猫型ロボットの物真似をしながらに立ち上がった。  有名な昔の恋愛ドラマは分からなくても、そのくらいならば栄一も知っていた。

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