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第18話

     連日の夏日に真夏日、更には猛暑日と厳しい暑さの途切れない八月の上旬。  例年、冷やし中華の提供をしていないラーメン屋「龍玉」では今年の夏も担々麺の売り上げが順調に伸びていっていた。 「鈴木君は辛いのが苦手なのかしらねえ。最近、見てないわよね?」  栄一に向かって、パートのオバちゃんが話し掛ける。仕事中に私語はどうなのだろうかと栄一などは思ってしまうが、このオバちゃんは毎度、栄一が手隙となる瞬間を見逃さず、見計らっているかのようなタイミングで話し掛けてきてくれる為、 「大学も夏休みに入りましたから。生活のパターンが変わったんじゃないですかね。食べるものが無いから此処には来ないって事ではないと思いますよ、鈴木も」  栄一も栄一で普通に答えてしまっていた。  そう。夏休みだ。栄一の生活パターンも少しだけ変わって、具体的に言えば、アルバイトに精を出す日数が増えた。時間も増えた。これまでは四時間勤務だったものが六時間や途中に休憩を挟んだ八時間になったりとしていた。忙しい。忙しい。  栄一でこうなのだから付き合いの幅が広い鈴木なら余計に慌ただしい毎日を送っているのではないだろうか。  言われてみれば、先月、栄一と鈴木とミトと優蔵の四人で遊園地に行って以降、鈴木は龍玉に来ていないかもしれないが別に音信不通となっているわけではなかった。  栄一は鈴木と顔こそ合わせてはいなかったがスマホでメッセージの遣り取りはしていた。その文面を見る限りでは鈴木に変わった様子は無いようにも思えたが、 「まあ。メッセージは推敲も出来るからな。本当は気が付いて欲しいだなんて微塵も思わずに本気で隠したい変化だったら普通に隠し切れそうだよな。特に鈴木なら」  週に二度も三度も来店していたような常連客が急に一週間も二週間も顔を出さなくなっていたらパートのオバちゃんも気に掛かるか。  かといって「俺のバイトしてるラーメン屋に食べに来いよ」とメッセージを送るのも気恥ずかしい。実際、食べに来てもらったところで仕事中となる栄一は鈴木に対して何を出来るわけでもなかった。呼び付けておいて「仕事中だから」と無視、または素っ気無い態度を取ってしまってはそれこそ、以降、音信不通にされかねない。 「いやいやいや。鈴木はそんなに心の狭い奴じゃあないか」  差し当たりミトに連絡を入れて、鈴木がミトの働いている喫茶店「chiffon」には通っているかどうかを尋ねてみようかと栄一は思った。本当に生活のパターンが変わっているのなら喫茶店にも通えていないかもしれない。鈴木はそもそも龍玉には喫茶店の帰りに立ち寄っていたのだから大本の喫茶店にも行っていなければ龍玉に来る道理は無かった。  その夜に頂いたミトからの返信は、 「来てないと思うよー。少なくとも私は見てないなあ」  だった。  遊園地の一件を機にミトは栄一にとって数少ない女性の友人となっていた。それも気兼ねのほとんど要らない貴重な相手だった。  今や必要事項でもない雑談のようなメッセージの遣り取りも気楽に出来てしまう。 「すずき君もだけど。くらしげ君もまた店に来なねー」  ミトの方が栄一の事をどう思っているかは分からないが、同じように思ってくれていたとすれば栄一は嬉しかった。  鈴木とは違ってミトは遊園地以降も栄一がアルバイトをしているラーメン屋によく食べに来てくれていた。そのお返しでもないが、 「機会がありましたら是非」 「うわ。すっごい社交辞令感」 「冗談です。近い内にまた本当に行かせて頂きます」  送ったメッセージの通り次のアルバイトが休みの日にでも行ってみようかと栄一は考えた。鈴木も誘って鈴木と一緒に行くべきかとも思ったがそうしてしまってはどうしても栄一は鈴木のお供のような立ち位置になってしまわないだろうか。  それでは「来なねー」と誘ってくれたミトに対して少々義理を欠いてしまうような気がしないでもなかった。栄一は、 「まあ。普通に喫茶店に入るだけだしな。ファミレスに入るのと一緒だ」  と今回は一人で行かせてもらってみようかと決めた。  それでも喫茶店「chiffon」は鈴木が特別に贔屓にしている店であったし、栄一もやはり友人の縄張りは荒らしたくないとの考えがあって、鈴木に断りのメッセージは入れておく事にした。  前回などは鈴木の方から栄一の事を誘っていたし、鈴木自身には縄張りだの何だのといった感覚は無いのかもしれないが、教えてくれた人に黙ってこそこそと教わった店を訪れるというような行為は単純に栄一の気持ちが悪かった。  この店がコンビニや本屋ならばきっとこのような感覚にはならないと思われるが、それは鈴木にとっての「chiffon」が単に用件を済ます為だけの場所ではなくてもっと大事な憩いの場のようなものなのであろうとの認識が栄一にあるからだろう。 「てなわけで。明日にでもミトさんの顔を見にシフォンに行ってみるわ」 「おう。行ってら。知ってる店員にヨロシク言えるタイミングがあればヨロシクな」  鈴木からの返信は簡単だった。  もし少しでも鈴木が一緒に行きたがったり、栄一が一人で行く事に難色を示すようだったら明日の予定は組み直そうと考えていたのだがそんな事にはならなかった。  そうして栄一が有言を実行に移してみたところ、 「わ。ホントに来てくれたあ」  などとミトに軽く絡まれたりはしたもののそれを見ていた他の客から嫉妬の眼差しを向けられたり舌打ちをされたりといったような事もなく、お馴染みのブレンドコーヒーと前回、鈴木が食べていた羊羹をまったりと堪能する事が出来た。 「ふう」と栄一は満足げに息を吐いてテーブルを立った。会計も無事に済ませる。  さて、帰るかと店から一歩、外に出た栄一の前に、 「お時間、少々、宜しいですか」  一人の給仕が立ち塞がった。見覚えのある女性だ。  彼女の台詞には疑問符が付けられていなかった。栄一は腕を掴まれて、 「え? は? あの」  否応も無しに連行される。まるで捕まえられた万引き犯のようだった。ここで少しでも栄一が抵抗の素振りを見せれば更に万引き犯然となってしまいそうだ。たまたまこの光景を目にした人間があらぬ誤解をされぬよう栄一は大人しく、むしろ自主的にすら見えるよう、その給仕と共に歩いていくしかなかった。  遠足は家に帰るまでが遠足だという名言を栄一は思い出していた。今度こそ無事に終わったかと思えた栄一、三度目の喫茶店「chiffon」体験は気を抜いた矢先に謎の急展開を迎える事となってしまった。

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