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第21話
右手に持ったハンドマイクを自らのあごに押し当てながら鈴木は、
「正直、すまんかった」
開口一番、謝った。
その雰囲気から察するに、どうやら何処ぞのプロレスラーを真似ているようだったが、その方面には明るくなかった栄一には具体的に誰のマイクパフォーマンスを再現しているのかまでは分からなかった。
「でも。今、俺はもう失うものは何も無い」
鈴木の声色も仕草も芝居っ気がたっぷりで、その行動は非常におちゃらけてはいたが栄一には精一杯の照れ隠しにしか見えなかった。
「リングに上がるんだったら」
「待て、待て。鈴木。止まれ。おい。まさかネタ見せの為に呼んだのか? だったら帰るぞ」
栄一が座っていたソファから腰を浮かせてみせると、某プロレスラーに成り切っていた鈴木は、
「ウソ、ウソ。ゴメンて。もうしないから」
慌てた様子で普段の鈴木に戻ってくれた。
「はあ」と聞こえよがしの溜め息を吐きながら栄一は再びソファに腰を下ろす。言わずもがな栄一は本当に帰るつもりも無ければ、気分を害してもいなかった。
ただ目には目を、芝居っ気には芝居っ気でと返しただけだった。
「奈月さんの件と併せて、夜分にお呼び立てしてしまい、すまんかったという事で」
低いテーブルを間に挟んで向かいのソファに座っていた鈴木が改めて深々と栄一に頭を下げた。
栄一と鈴木の二人は今、カラオケ屋の個室に居た。栄一は、いつものようにファミレスで話をするのだと思っていたのだが鈴木の、
「他の人間の耳がないトコロの方が話しやすいなあ」
との要望に応えて密会の場はカラオケボックスとなっていた。室料は三十分で五百五十円。受付には一時間で通したが鈴木の話がどれくらい長くなるのか、短く終わるのか、栄一には勿論の事、話をする鈴木本人にも分かっていなかった。
「話がソッコウで終わっちまったら残った時間は歌えばいいか」
などと鈴木は言っていたがその話の内容を栄一以外の誰にも聞かれたくはなかった為、ワンドリンクオーダー制で注文せざるを得なかったコーラとオレンジジュースを店員が届けに現れて帰るまでの間は本題に入れもせずに、
「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いていくのだと思います」
今さっき「もうしないから」と言っておきながらそれこそソッコウでその口約束を反故にしてでも、鈴木はプロレスラーのマイクパフォーマンスごっこで時間を無駄に潰すしかなくなっていた。栄一は、
「台詞は知らないけれども顎の突き出し方で誰の物真似なのか分かるのが凄いな」
呆れながら感心もしてしまっていた。ただ、くすりとも笑えはしなかった。
鈴木が、
「なあ。男が男を、同性を好きになるってのはやっぱりオカシイことだと思うか?」
と真面目な顔を見せたのはそれから六分後の事だった。鈴木と栄一の手元には既にコーラとオレンジジュースとが置かれていた。
「そうだな」と栄一は考える。
ただ鈴木が口にした「男が男を」とは誰と誰の事を指しているのか等は全く考慮しなかった。何も気が付いていないが如く、少しも気にしてはいなかった。
「『好き』をどう捉えるかだな。種の本能、生殖の取っ掛かりとして考えるならそのゴールが存在していない同性を『好き』になる事は無意味な間違いとも言える」
栄一は鈴木の言葉を真正面で受け止めて、真摯に返す。
「無意味で間違い、か」
「だが『好き』を人類特有の文化や高度な社会性から生まれた崇高な感情なのだとすればその先に生殖の無い同性への『好き』こそが混じり気の無い本当の、種の本能が介入する余地の無い、純粋な『好き』なのかもしれない」
鈴木の顔色を見て答えを変えたわけではなかった。前者を後者で否定したわけでもなかった。そのどちらともが栄一の出した答えだった。
まるで正反対の回答を二つ続けて差し出した栄一は卑怯だったろうか。鈴木は、
「ははは」
と声だけで笑った。
「本能じゃあない純粋な感情かあ」
鈴木は腕組みをして「どうかなあ」と首を傾けたがその表情は思いの外、柔らかくなっていた。
「自分の気持ちがそんなに偉そうなモノとは思えないけどなあ」
「何だ。鈴木の事だったのか」
ぼそりと栄一は呟いた。
「マジか」と鈴木は目を見張る。
「何の話だと思ってたんだよ」
「またプロレスラー誰それの名言かと」
「おいおいおい。いや、待てよ。だとしたら名言に対して真面目に答えてたのか」
「多分、定型の返しがあるんだろうなあとは思いつつも申し訳ないが俺は知らなかったからな。せめて、真面目に答えてみるかと」
「真面目か」
「真面目だ。悪いか」
「いや。まあ。悪かあねえな」
鈴木は苦笑した。それから間を持たせるみたいに一口だけコーラを飲んで、
「俺さ、奈月さんが好きなんだ」
と宣言をした。今更と言えば今更の話だ。
鈴木は以前から奈月に「恋」をしていると公言していた。
「変だよな」
と肩をすくめた鈴木に対して栄一は、
「いや」
即座に否定の言葉を口にした。
「分かる」
と続けてしまってから栄一は「何を分かっているというのだろう」と自問する。
何だろうか。何故だろうか。考えてみたところ、ああ。そうか。
栄一は自身の中に見付かった気がした一つの答えをすくい上げる。
「俺も奈月さんが好きだから」
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