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第28話

     奈月と二人きりでラブホテルという状況に、栄一は何の期待もしてはいなかった。ただ懸念はしていた。妄想も膨らんでいた。積極的に望んだものではなかったはずが果たして、それらは現実のものとなってしまった。 「最悪だ」  事の後、栄一は小さく呟いてしまった。声に出すつもりの無かった思いだった。 「勢いだけでするから」とすぐ隣りから、からかうみたいな声が聞こえた。 「忘れてあげようか?」 「違うッ!」  奈月の提案を栄一は力一杯、否定した。奈月は「びっくりしたあ。大きな声で」と微笑んだ。その表情や先の言動の真意が栄一にはまるで分からず、想像は全て悪い方へと向かってしまい、不安を覚える。怯えてしまう。 「そうではないんです」 「意固地だなあ。本音は『最悪』なんでしょう?」 「『最悪』なのは、流れというか、入り方というか、俺の心構えの話で、奈月さんとのその、ええと、セックスは『最高』でした」  あれだけの事をしておきながら「セックス」と口にしただけで栄一の顔は真っ赤になってしまっていた。熱い。暑い。恥ずかしい。情けない。  奈月にも、 「あはははは」  と大きく笑われてしまった。 「鈴木みたいに『運命』だとか『同性でも』だとか。もっとドラマチックに、ロマンチックな口説き文句で迫りたかった。どうせだったら」  小さくはなかった声で栄一は独り言ちた。 「正直、テンパリました。パニクりました。裸を見たからだなんて最低な切っ掛けで奈月さんを好きになって、今ならヤレそうだからみたいな最悪なタイミングで告白をしてしまって。何だかもうあまりにも動物的、本能的過ぎて。不純の極みです」  強い自己嫌悪とそれ以上に大きな呆れが栄一の胸に渦巻いていた。 「それでも。奈月さんとの行為自体には何の後悔もありません。本当に最高でした」 「開き直り?」  うふふと奈月は先程からずっと柔らかい表情を見せ続けてくれていた。怖い。 「でも」と栄一はまるで拙い言い訳を重ねるみたいに必死の勢いで語り続ける。 「嘘ではないんです。好きなんです。薄っぺらく聞こえるでしょうが。俺にとっては本当の事なんです」 「いいよ」と奈月は笑った。何が「良い」のか。栄一は不安を募らせる。奈月は、 「吊り橋効果だっけ? スリルのドキドキを恋と勘違いするとか昔からの王道だし。いいんじゃないの? 本能的とか動物的でも。バカみたいなキッカケで、勘違いからヤッちゃって。そんなものでしょ、レンアイ事なんて。タイミングと勢いと、あとはまあいいかっていう妥協とで。直感的に『ゼッタイにイヤ』じゃあなければ。別に」  もしかすると怒ってなどはいないのだろうか。本当に。その穏やかな態度は、度が過ぎて一回りしてしまった猛烈な激情の裏返し、もしくは嵐の前の静けさというわけではなかったのか。 「運命だとか覚悟だとか、私には重過ぎるから。そんな高尚なものじゃなくて良い。大袈裟なものでもなくて、格好良いものでもなくて。そこら中で皆がしてる、適当な恋で良い。立派じゃなくて、上等でもなくて。世の中に掃いて捨てるほど転がってる普通の恋で良い。三年後には思い出せなくなってるみたいな、間違いだらけの普通の恋が良い」  栄一の事は見ずに奈月は言っていた。まるで独り言のように? 何かを思い出しながら? それとも、自分に言い聞かせるみたいに? カノジョの真意など、やはり、栄一には分からない。勝手な想像は出来ても、その答えが合っているとは思えない。  栄一が分かるのは自分の気持ちだけだった。 「奈月さん」 「はい?」 「これまで、きちんと話した事も無かった、ほぼ見ず知らずの間柄ですが」 「面と向かっては、そうかあ。でも藏重君の事は鈴木君とかミトから聞かされたりもしてたから。見ず知らずって感じでもないよ。私的には」 「今更ですが。俺と付き合ってくれますか。俺の恋人になってくれますか」  語尾に疑問符を付けず、栄一は奈月に迫った。その口説き文句はロマンチックでもなく、ドラマチックでもない、単なる直球だった。 「え」と漏らしてから「うーん」と軽く唸った後、 「元はと言えばか。ホテルに誘ったのも私だしねえ」  奈月は自嘲気味な苦笑いを浮かべた。 「まあ。個人的に行きずりのエッチはハードルが高いというか。後付けでも」  主文を後回しにして、判決理由がぼそぼそと述べられていた。裁判だったら死刑の流れだ。栄一の顔が青白くなっていく。 「じゃあ。とりあえず」  不意にボリュームを上げて、奈月がきっぱりと言ってくれた。 「一週間くらいは付き合って欲しいかな」 「一週間だけ、ですか」  死刑判決でこそなかったが無期懲役くらいの重さは感じられた。それでもイノチは繋がっている。この結果に栄一は、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか分からずに間の抜けた声を上げてしまった。 「一週間だけっていうか。逆に一週間は別れるの禁止で。それから先はまた来週に、改めて話し合いたいかな」 「はあ」 「その頃にはお互い、頭も冷めるというか、目が覚めるというか。少なくとも今よりは冷静になれてると思うし」  奈月は「ね?」と栄一に、わざとらしいくらいに分かり易い笑顔を向けてくれた。  嗚呼。栄一は理解した。執行猶予みたいなものか。  取り消されて即日の死刑とされないように、頑張ろう。頑張らねば。 「頑張ります。来週、また更新をしてもらえるように。精進します」 「うーん。それはこちらのセリフでもあるんだけど」  奈月は「ありがとう。一緒に頑張ろうか」とはにかんでくれた。可愛らしかった。  好きだ。  思うでもなく、感じてしまった「好き」だった。 「ふう」と栄一は息を吐いた。もう一度、奈月の事を見る。やはり、可愛い。  本当に身勝手なもので藏重栄一はもう、その可愛らしくて可愛いカノジョから怖さなどは微塵も感じられなくなってしまっていた。先程までが全て嘘だったみたいだ。  右から左から斜めから、どの角度から眺めてみても可愛らしさしか感じられない。 「ん? なに? なに?」と奈月は不思議がっていた。  栄一は、 「頑張ろう」  と一人で小さく意気込んだ。

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