6 / 85

運命とはなんぞや 6

 仕事に戻るとドアを閉めた空木さんの部屋の向かいは203。今見た2部屋に比べると、並びに洗面台とトイレがある分なのか少し狭い感じがする。 「ここの住人は柾くん。朝早く夜遅い仕事だから顔を合わせることは少ないかもしれないけど、一番お兄さんだからなにかあったら頼ってね。おっきくて一見怖い感じだけど、ちゃんと話せば大丈夫だから」  一日中働いている人という先の説明がなかったらヤクザでもしているのかと思う表現だ。  というかここ、おっきくて怖い人多くないか。 「ちなみに基本的には彼の分のご飯はいりません。そういう予定とか連絡事項とかは、リビングのホワイトボードに書いてあるから。なにかあったら種田くんもそこに書いてね」 「はい」 「じゃあ1階に行こうか」  軽やかに階段を下りていく棗さんを追って下へ。今言われたことを反芻しながらなんとか覚え込む。幸いマンションタイプのシェアハウスじゃないから住人は多くないけど、せっかく手に入れた家と仕事だ。頑張りたい。  一階のリビングに戻って奥のドアを開けると、まっすぐ伸びる廊下があった。ここもまた玄関からはまっすぐ視線が届かないようになっている。だいぶプライバシーが配慮された作りになっているようだ。 「そこが洗面室とランドリー。朝は誰もいないだろうからゆっくり使って。その先がトイレね」  廊下に向かって左のドアの中には広い鏡と2つの洗面台。反対側にドラム式洗濯機が2台。こういうところはさすがにシェアハウスっぽい。 「こっちがお風呂。洗濯機はここにもあるから、お風呂入る時に使いたかったらこっち使って」 「広いし綺麗ですね」  ランドリーの向かいのドアの中に脱衣所とやっぱりドラム式洗濯機に、ファミリータイプの広いお風呂。足も伸ばせそう。 「疲れただろうから後でゆっくり入ってね。で、この先左のドアの102がさっき言ってた紫苑くんの部屋。もし女の子が訪ねてきても入れちゃダメだよ。……あ、忘れるところだった。この家、部外者は立ち入り禁止ね。悪いけど友達も禁止。あと家の中や住人を撮ってネット上に上げるのも禁止」 「大丈夫です。呼ぶような友人もいませんし、SNSもやってないので」 「うーん、こちらは都合いいんだけど」  むしろその条件だったら僕が一番アピールできるのはこれかもしれない。知り得た秘密も見たものも、友達がいなきゃ漏らす相手もいない。 「最後にここが種田くんに住んでもらう101……なんだけど」  少し躊躇うように開けられたドアの中を覗き込んで、思っていたのと違う風景に首を傾げる。 「……?」 「実はちょっと前に、前の住人が引っ越したんだけど荷物を全部置いていっちゃってね」 「……夜逃げですか?」 「違うんだけど、そう見えるよねぇ」  中には普通に人が住んでいるかのように家具が揃っている。  部屋の奥というか真ん中にモノクロのベッドカバーがかかった大きなベッド。手前にはコートやストールなんかが無造作にかかったハンガーラックがある。人の気配はないけどちょっと留守をしているだけかのようだ。 「実はここに住んでた子、仕事上便利だからって別のマンションに移ったんだけど、本人はここが気に入ってたから出たくなかったらしくて。荷造りしたくないってごねた結果、全部置いて我が身一つで行くことになってね」 「すごい未練ですね……。でも荷物持っていかなくて大丈夫なんですか?」 「新しいところに全部用意されてるから生活はできるんだけど、困ったもんだよねぇ」  それなりにすごいことをさらりと言って頬に手を当てる棗さんは、どこか微笑ましい様子だから元の住人は悪い人ではないのかもしれない。それにしたってここまで全部置いていくのはすごい。 「とりあえず本人が時間ある時に片付けに来てって言ってるんだけど、好きにしていいからって」 「これを、好きに?」 「だからとりあえず種田くんの生活が整うまでいるものは使ってもらって、後は少し片づけないと」 「むしろありがたいです。使っていいなら使わせてもらいます」  我が身一つなのは僕も同じ。というか家具付きの部屋にしたってここまで揃っていない。だから正直とてもありがたい。なんせ僕は毛布の一つも持っていないのだから。  色々な家を渡ってきたから比較的どこでも眠れるけれど、これを使っていいと言ってもらえるならこんなに助かることはない。 「服はサイズがあるから着られるかどうかわからないけど、スウェットとかなら大丈夫だと思うから」 「そこまでいいんですか? ていうかなんでもありがたいです」  クローゼットの中にかかっている服は部屋の色合いと同じ、黒と白のわかりやすいモノトーンっぷり。それだけだとシンプルでオシャレすぎるけど、グレーのスウェットがあることで途端に親近感が沸く。  ここまで揃っていると、不幸中の幸いにも程があるんじゃないか。 「下着なんかはさすがに買ってもらうしかないけど……あ、お風呂場に新品の下着がいくつかストックしてあったかも。それなら使っていいから」 「なんでもあるんですね」 「備えあれば憂いなしって言うしね。実際こうやって役に立つわけで」  そうやって嬉しそうに笑う棗さんは、根っからの世話焼きなのかもしれない。  むしろそういう人だからこそ僕は拾ってもらえたわけで。「わびさび」様様だ。 「今日は疲れたでしょ。仕事は明日からでいいから今日は休んで」 「いえ、夕飯作ります。こんなにしてもらって、少しでも働きたいですし」 「そう? じゃあ一緒に作ろうか」 「目まぐるしい一日だったな……」  家を失ってバイト先もなくなって、立ち尽くしていたのがさっきの出来事。  その数時間後には、温かいお風呂に入って人様の服を着て大きなベッドで寝ているなんて、どんな御伽噺だろう。  部屋の大半を占める大きなベッドはたぶんダブルベッドだ。広々としたそれは、両手を広げても余裕の大きさ。部外者立ち入り禁止のシェアハウスなのだから、恋人を呼ぶ用ではなくゆっくり眠るための広さなのだろう。  そこに寝転がって、目を閉じて今日のことを思い返す。  まさか自分がシェアハウスに住むことになるとは思わなかった。ただ、知らない人と暮らすことには慣れている。  幸いみんな大人だし、生活リズムも違いそうだからお互い干渉することも少ないだろう。  いつも通り、距離を置いて干渉しすぎず、迷惑かけずに地味に過ごすだけ。  空木さんが心配しているようなアルファのなんだかんだという色恋沙汰も、僕には関係のない話だ。運命の出会いだの番だのはそっちで勝手にやってほしい。あれだけ注意されたから紫髪さんとは一応距離を取るけれど、そもそも目には入らないだろう。それでいい。 「なんか、いい匂いする……」  柔軟剤の匂いだろうか。スウェットからもベッドからも甘くていい匂いがする。ふわふわと包んでくれる暖かい匂い。これは寒い冬の日に眠りに誘う布団の気配だ。  高い柔軟剤なのかな。それとも香水の類だろうか。  ほんの少し前まで今日の夜の寝床に困っていたというのに、あまりにもよく眠れそうな匂いがすることに笑って、穏やかに目を閉じた。  まさか、その数時間後、穏やかとは程遠い朝を迎えるとは思わずに。

ともだちにシェアしよう!