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運命とはなんぞや 8

 その人が、今目の前でものすごくだらしない格好をしている。  ぼさぼさの髪をそのままにクッションに沈み込み、そのまま溶けてしまうんじゃないかというだらけた体勢で朝ご飯を待っている。  ……別人かもしれない。  たまたま特徴がよく似た一般人の可能性が強い。それぐらいイメージが違う。そもそも孤高の狼は人が寝ているベッドに潜り込んでこないだろう。  たとえそれが自分のベッドだったとしても、そこに誰か寝ていたら普通は一緒に寝たりしない。  ただの変な前の住人だ。  そう自分を納得させて、やっと手足に体温が戻ってきて大きく息が吐けた。 「……!」  そんなタイミングで、今度は玄関が開く音がした。続いてガッチャンと閉まった音はだいぶ乱暴で、誰だろうと視線をやるとそこにはまだ見たことのない男の人がいた。  いや、知らないけれど、紫の髪を見てピンときた。  この人が102の紫苑さんか。空木さんの言うところの「無節操クズアルファ」、だっけ? 「は、お前また来たの? 暇人かよ」  それはクッションと一体化している人への言葉で、ぞんざいな言葉遣いは慣れている様子だった。  一応スーツではあるけれどジャケットは肩にかけているしシャツはくしゃくしゃで、わかりやすい朝帰りの格好だ。 「あ、紫苑くんおかえり」  その答え合わせは、キッチンから顔を覗かせた棗さんの言葉。やっぱりこの人が紫苑さんか。  次から次に、わかりやすくアルファの人がやってきて目がチカチカする。話からして後の2人もアルファっぽいし、もしかしてこのシェアハウスはアルファばかりなのだろうか。 「あれ、棗さんが朝から男連れ込んでるんすけど。そういうの禁止じゃなかったでしたっけー?」 「紫苑くんじゃないからそんなことしないよ」  セットが崩れた髪を掻き上げた紫苑さんがからかう口調で示したのは、頭を抱えた僕。矛先がこちらへ向いた。とりあえず頭を下げてみる。 「種田です」 「タネダクン」 「新しく住み込みで働いてもらうことになった種田くん。僕の仕事を引き継いでもらうんだ。ご飯作ってくれるんだからちゃんと挨拶して」 「ふぅーん」  上から下まで値踏みするように見られて、1歩踏み出されたと同時に思わず1歩下がった。  180くらいだろうか。体格がいいし、目つきが鋭くて向かい合うだけで威圧されている気がする。 「種ちゃん未成年?」 「……違いますけど」  いきなりの種ちゃん呼びに面食らって、それでも否定するとその人は歯を見せて笑った。棗さんとは違う種類の、肉食獣の威嚇みたいな笑い方。いや、犬歯の鋭さで鮫にも見える。 「じゃあ名刺あげちゃう」  ジャケットの胸ポケットから取り出されたのは、紫のキラキラする紙に金色の筆文字で紫苑と書いてある名刺。傾けるとその文字まで輝いている派手な作りだ。これならどんなに記憶力が悪い人でも覚えられるだろう。 「『シャルム』のぬわんばーわんの紫苑クンでっす。お友達連れてきてねッ!」 「……ホストさんですか?」 「そうそう、ホストさんだよ。紫の紫苑くんって覚えてね」  どうやらその髪の髪も名前を連想させるためらしい。チャラい感じに見えてちゃんと戦略的だ。  身をすくめている僕が面白いのか、紫苑さんは見下ろす顔を近づけて僕の反応を探る。  その時くいっとスウェットの裾を引かれ、振り返ったら長い腕がクッションから伸びていた。灰色の目がなにも言わずにこちらを見ている。 「紫苑くん、朝ご飯は?」  引かれて下がった一歩分距離ができたタイミングで棗さんが声をかけてくれて、紫苑さんは少しつまらなそうに髪をかき混ぜた。 「あーいいっす。シャワー浴びて寝まーす。てか、そこの部外者追い出した方がいいっすよ」 「部外者じゃないし」 「笑う。あんまマネージャー困らせんなよ」  乾いた笑いを浮かべて、紫苑さんはドアを開けて奥の廊下へ去っていった。  リビングに取り残されたのは、立ち尽くす僕と潰れた金髪の人。その目が、じっと僕を見ている。

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