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プリンの戦争と平和 3

「俺も食べたい」 「あなたは食べたでしょう。ていうか食べたから空木さんに怒られたんじゃないですか」 「巴の作ったのが食べたい」  この反省のなさは空木さんに怒られるやつだ。  だから甘やかしちゃダメだとわかってはいるけれど、じっと見つめる瞳の強さがその決心を揺らがせる。  この、独特の揺らめき方をする灰色の瞳で見つめながらお願いしてくるのは卑怯だと思う。わかってやっているんだ。自分の顔が良くて、それがお願い事に適しすぎていることを。  そもそも人はそんなに人の目を凝視しない。催眠術でもかけようとしてるのかと思ってしまう。  なにより、ナチュラルに人の名前を呼び捨てにして不快な感じがしないのだから美形ってお得だ。 「……わかりましたよ。作りますけど、今度からは空木さんのプリン食べちゃダメですよ」 「食べない。今度お詫び買ってくる。だから作って。巴が作ってくれたら他の食べないから」  ……本当に。こういうのをさらりとやるから嫌だなこの人。こういう感じで色々な人を口説いているんだろうし、それが有効だから次々と相手が変わるんだろうけど良くないってことを誰か教えないといけないと思う。僕には荷が重すぎて無理だけど。  僕にできることといえば、せいぜい翻弄されないように流すだけだ。  大きくため息をついて、カップを手にキッチンに戻る。どうせなら他のカップも使っていくつか作っておこうか。それと今度買い物に行った時に多めにプリンを買っておこう。 「……あの。近いんですけど」 「待ちきれない。早く食べたい」  作る過程に興味があるのか覗き込んでくるのはまだいい。だけどそういうセリフを耳元で囁くのはいけない。内容は小学生でもそれをやっているのが超絶イケメンモデルとなると話が変わるでしょうが。  紫苑さんみたいなタイプの人がやるならまだわかりやすいけど、アズサさんみたいな無表情に近いクール顔でやられるとひたすら困惑する。この人は一体どういうつもりなんだ。そんなに僕みたいな人間をからかうのが面白いのだろうか。物珍しいのかもしれないけれど、早く飽きてくれるといいのに。  それにしても、簡単なレシピで良かった。こんな状態で料理するのは危険だ。  手元が狂いそうになりながらもなんとか完成させ、ついでに自分の分も作って一緒に食べることにした。これだけバニラエッセンスの香りを嗅いでいたらお腹が空いてなくても食べたくなってしまう。 「熱いから気をつけてくださいね」 「ん。これ食べたら今日帰るから。あ、うまい」 「え、帰るんですか?」 「帰ってほしくない?」  どうしてそうナチュラルに口説き文句みたいなセリフが出てくるのか、いっそ感心してしまう。  いつもポーカーフェイスみたいなものだし、心理戦はさぞ強かろう。 「いや、当たり前にここで寝ていくものかと」 「今日藤さんに怒られたから。いい加減家に帰れって」  藤さんはアズサさんのマネージャーの人だと聞いている。そもそもアズサさんを引っ越しさせたのもその人らしい。  確かに車が入ってくるには微妙な場所にある家だし、毎回迎えに来るのも大変だろう。そもそもここにいる時のアズサさんはわがままで子供っぽくてだらしないというダメな大人だから、自立して少しは大人になってくれると期待したんだろうけど。  現状は元住居に入り浸っている状態だからどうしようもない。  そもそも仕事に便利だからと移ったマンションなら、ここに帰ってくるより早く着いて多く休めるだろうに。マネージャーからしたらたまらないだろう。もっと怒られていい。 「俺、家とかだとあんまうまく寝られないんだよね」 「……いつも寝てません?」 「ここ以外の話。あ、でも巴が一緒に寝てくれるなら寝れると思う」  基本的にリビングでいつもごろごろしてるしそのまま寝てることもあるし、なにより最初にベッドに潜り込んできた人が寝られないとは?  訝しがるより早く同じトーンのまま続いた言葉に呆れてしまった。  なにを言っても平然とした顔のままだから、なにが冗談でなにが本当かわかりやしない。疑問は多々あれど、寝られないだなんて言うからちょっとだけ心配したのに一瞬で損した。 「いつもそういう口説き方してるんですか?」 「他の子なら口説かなくても来る」  最後の1口を絡めとったスプーンを口に運び、しれっとした口調で言われて頭を抱えそうになる。  そりゃこれだけ顔のいいアルファだったら引く手あまただろう。苦労とか悩みとか、そういうものとは縁遠い生き方をしてきたに違いない。 「そりゃあそうでしょうね……」  そういうマンガがなにかあったはず。モテるのが当たり前だからこそ、自分になびかない相手が珍しくて興味を持つ、みたいな。走って逃げるとより一層興奮して追ってくる犬のような感じだろうか。狼だから狩り感覚なのかもしれない。  まあ確かにこの顔で「運命」だとか言われたら、笑い飛ばすよりドキリとしてしまうものなのかもしれないけど。それにしたってベータの地味な男をターゲットにするとか、どれだけ興味のない層がいないんだ。 「うーん、やっぱ泊まってこうかな。巴1人で寝るの寂しくない?」 「ないです。おやすみなさい。気をつけて帰ってくださいね」  元々はアズサさんのベッドだから、本当に寝るのならベッドは譲って僕はソファーで寝たっていい。僕はどこでだって眠れるから、問題はそこじゃない。アズサさんが言いたいのはそういう意味じゃないだろうし、本来の家に戻った方がどう考えても一人でのびのびと休めるはずだ。朝だって迎えに来てもらう時間が遅くて済むだろう。  だから本人のためにもしっかりと断って、カップを片付けてさっさと部屋に戻った。  それで、平和に終わったと思っていた、のに。

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