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恋するランウェイ 5

 それからも細かいことを色々頼まれていたけれど、実際ショーが始まって順調に流れ出すと逆に時間ができてきた。プロの仕事を邪魔しないように避けているのが精々だ。  終った後にまた忙しくなるからと休憩を勧められ、せっかくだからとアズサさんの言っていたケーキを紙皿にとって落ち着いて食べられる場所を探す。邪魔にならないところがいいな。  人の少ない場所を探して建物の裏口から出ると、駐車場の脇に座り込んでいる女性を見つけた。うずくまって頭を抱えている。具合が悪いのだろうか。 「あの、大丈夫ですか?」 「全然大丈夫じゃない」  早足で近寄って声をかけると、きっぱりと力強い声が返ってきた。  言われた内容と声の強さと反応のちぐはぐさに戸惑いながらも、とりあえず隣に膝をつく。 「誰か人呼んできましょうか。それとも救急車……」 「呼ばないで。放っておいて」  やっぱりはっきりとした声で告げられて、事情はわからないけど一人になりたいのだろうと判断して踵を返す。いや、返そうとしたけどできなかった。 「やっぱり君適度に聞いてくれそうだからいて」  立ち上がった途端に服の裾を引っ張られ、転げそうになりながら隣に座り込んだ。  どうやら具合が悪いわけではなく悩み事の類らしい。正直僕は相談相手には向いてないと思うんだけど、ここに居合わせたのもなにかの縁だろう。 「聞くだけだったらできますけど」 「聞くだけ? なんにもしてくれないの?」 「僕にできることなら自分でなんとかしてません?」 「それもそうだ」  我ながら無力な自覚はあるし、僕ができることなら大抵の人にはできると思う。もしここにシェアハウスの住人の誰かがいたらそれぞれの得意な方法でなんとかしてくれたかもしれないけど、あいにくと僕しかいない。  ならばできるのは溜まったなにかを吐き出す相手になることくらい。  その人も納得してくれたらしく、顔を上げてこちらを見た。  端が外に向かって三角に尖った変わった形の眼鏡をしている彼女は、「聞いてよ」と口を開いた。 「もう朝から最悪で、今日の運勢悪いし出かけ際にコーヒー零すし、ヒール欠けるし搬入トチるしパールどっか行ってるしモデルが骨折したとか言って抜けるし並び変更しなきゃでもーやだ。帰りたい」  ……どうやらスタイリストさんらしい。早口で一気に吐き出して、はあーと大きなため息をつく彼女は落ちていた小さな石を投げてわかりやすく不満を表す。  一つひとつは小さな悪いことが積み重なって、全部が嫌になる日ってあるもんな。  その一つひとつをフォローするのはきっと誰かが、それこそ本人ができることだろうし、僕が慰めたところで響きはしないだろう。  だから僕からは僕のできることを。 「今日なにか食べましたか?」 「食べてない。食べる気分じゃない」 「でもお腹空いてると気持ちがネガティブになりますよ。これ、良かったらどうぞ」  お皿に持ってきていた1口大のケーキを差し出すと、目を丸めて見られた。まあ確かにいきなりケーキを渡されたら僕も同じ顔をするかもしれない。 「美味しいって教えてもらいました。体力勝負の現場では食べて体力を保つのも仕事だって」 「それはそう」  合理的というか、納得すればすぐさま行動するらしい彼女は、大きく口を開けて一口でケーキを頬張った。アズサさんといい、この人といい、この業界の人は食べっぷりが気持ちいい。 「なにこれ美味しい」 「甘くて美味しいと気持ちが解れません?」  どうやらアズサさんお勧めのケーキはお気に召していただけたようで、悪かった顔色が少しだけ戻った。やたらネガティブになる時はお腹に物を入れた方がいいというのは経験から知っている。 「僕、この前バイト先がなくなった日に住んでたアパートが火事になって住むとこもなくなっちゃったんですけど」 「可愛い顔してドヘビーなことさらっと言うじゃん。続けて?」  ずれたメガネを上げて、その人は僕の顔を覗き込みながら口にはケーキを放り込む。紙皿ごと受け取ってくれた辺り、とりあえず食欲は出たようだ。 「でもすぐに親切な人に拾ってもらって、今前よりもいい環境で過ごせてて、なんか、頼れる人もいっぱいできて。あ、ここもその人にもらった仕事なんですけど」 「あ、棗ちゃんの知り合いか。そっか。そりゃ拾われたねぇ」  どうやら棗さんを知っていたらしく、妙な納得の仕方をされた。……棗さんの人脈ってどうなってるんだろう。 「月並みですけど悪いことの後には絶対いいことが来ますよ。僕がそうでしたから」 「君、怪しいパワーのアクセサリーとか売るようにならないでね? アタシ買っちゃうわ」  やっぱり妙なたとえをして、その人は最後のケーキを口に放り込む。それを飲み込んでから、自分で持っていたペットボトルで水分を補給した。  しばし喉を鳴らして飲み込むと、大きく息を吐いてからまた僕の顔を覗き込んでくる。 「ねぇ君、気になる子いる?」 「え?」 「気になるモデル」  まるで修学旅行の夜みたいなテンションで、突然されたことのない問いをされてまばたきを返してしまった。  今までの人生でそんなこと聞かれたことないけれど、もしかしてこの業界ではお天気の話題くらいのものなのだろうか。こういうところで働くならやっぱり興味があって当然なのか。 「すいません、僕全然詳しくなくて。アズサさんしか知らないんです」 「あーアタシあの子嫌い」 「え」 「ちゃんと遊んでんのに澄ました顔できっちり服着てんのほんとむかつくー。反則じゃない? あの顔」  思いきり否定されて言葉を失ったけど、嫌い方が独特というか、主に顔の話だ。  確かにアズサさんって付き合っている人の噂がたくさんあるらしいし、遊んでいると有名らしいし。  僕からしたら普段のだらだらした様子でああいう人だとわかっているけれど、話だけだったら苦手な人もいるかもしれない。 「なんでも似合うから嫌い」 「確かに、なに着ても似合いますね」 「どれでもいいじゃんってならない? なに着ても顔で持ってっちゃうなら、白T着せとけよって。顔良すぎて2次元すぎるからダメだと思うんだよね、あれは。そのくせウォーキングとかそつなくこなすの本当腹立つ」  やっぱり嫌い方が独特だ。とにかく顔がいいのがダメらしい。  その後もひたすら、もはや褒めてるんじゃないかという文句を早口でまくし立てたその人は、言うだけ言ってぱんっと膝を叩いた。 「よし、元気出た」  そして反動をつけて勢い良く立ち上がる。 「ここでへこんでても進まないし、戻るわ」 「良かったです」 「話聞いてくれてありがとね」  どうやら元気が戻ってくれたらしい。話を聞いていただけだけど、少しでもお役に立てたのなら良かった。 「そうだ。今日ぐらい配信あるかもしれないし、猫柳くんに課金するため頑張ろう」 「ねこやなぎくん……?」 「知らない? アタシの推しなの。ゲームとかしてるちょーカワイイ硬派な猫の配信者。アタシはあの子に貢ぐためにお金を稼いでんの。これもグッズ。可愛いでしょ」  そう言ってメガネを指されて、そこでその飛び出した三角が猫耳だということに気づいた。  猫の配信者。ゲーム。グッズ。課金。  ……まさかな。  なんとなく黒マスクの長身姿が思い浮かんだけど、そもそも配信者というものを全然知らないから当てはめてしまっただけで、普通にそういう人が他にいるのだろう。 「あ、君名前は?」 「種田です。種田巴」 「アタシ、ちなみ。千の波で千波。覚えておいて」  時間にすれば短い間だったけれど、強烈なインパクトと紙皿を残し、その人、千波さんは戻っていった。  なんだか最近、キャラの濃い人ばかり会うな。周りがそういう人たちばかりだと、より一層自分の地味さが際立つ。  せめて裏方の裏方として役立ちましょうかと僕も建物の中に戻った。  途中で再び調達したケーキは、アズサさんの言った通り美味しかったけど、シャインマスカットを見て赤面してしまったから、しばらくブドウの類は見られないと思う。

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