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変化する日常 3
その後、夕飯を作ったりその間にレポート課題をこなしたりお風呂に入ったりしてから、再度キッチンに戻った。
そろそろ空木さんがお腹を空かせる頃のはず。最初は全然夕飯を食べに来ないから心配していたけれど、最近は少し遅い夕飯くらいの時間にやってくるからわかりやすくなった。それでも集中しすぎていたり締め切り前だと相変わらず心配になるくらい部屋から出てこないけど。
とりあえずそれまでは食洗器に入っているお皿の片付けでもしていようと、リビングを通り過ぎたところでいつものクッションを二度見した。
「あ、アズサさん!? いつの間にそんなところに」
「……」
だらだらしつつも存在感の塊みたいな人が、なぜか今日はクッションに顔を伏せている。いつの間に帰ってきたのか気づかなかった。あまりに静かすぎる。
いつもはなんとなくその辺に寝転がっていて、適当に食べたり寝たりしていつの間にか帰っているという感じで、その行動範囲からなんとなく逃げていたのに。
静かすぎるアズサさんに驚いて、自分から声をかけてしまった。しかも返事がない。
「具合悪いんですか? グラタン食べます?」
さすがに心配になって近寄って声をかけると、くぐもった声で「食べる」と返ってきた。なんだ。お腹が減ってただけか。
「すぐ温めますから」
なんだ、意外と普通に話せるじゃないか
そのことにほっとして、改めてキッチンに向かう。
意識して構えていたせいで変な反応をしてしまっていたけれど、こういうアズサさんを見れば自然とドキドキも治まるというもの。やっぱりショーの興奮が続いていただけか。
そうやって納得して、アズサさんの分のグラタンをレンジで温める。ついでにトースターでちょっと焦げ目もつけるか。
「巴」
「ひゃいっ!?」
その時、ソファーの方で伏せっていると思っていたアズサさんの声がすぐ真後ろで聞こえて、変な声を上げてしまった。
だっていないと思っていた人が油断している耳元で名前を呼ぶから。
「な、なんですか」
ほとんど飛び跳ねる勢いでその場から離れて、ばくばくうるさい心臓に手を当てる。ちょっと背が高いと思って上から話しかけてくるんだから困ってしまう。いつまで経っても慣れやしない。
「巴はさ、苦手なことって挑戦した方がいいと思う?」
「苦手なこと?」
なんでそういうふざけたことを、と思って見たアズサさんは意外なことに真面目な顔をしていて驚く。あれ、なんか雰囲気が違う。
さすがにこんな顔を見たら、照れより心配が勝つ。なんだって言うんだ。
「どれぐらい苦手なことです?」
「悩むくらい」
レンジの温める音を背に、アズサさんが神妙な顔で返してくる。
この人にも苦手なことがあるんだ、と少し思う。
いや、普通は誰だって苦手なことはあるだろうし、人としては当たり前のことだとしても、なんとなくアズサさんはなんでもやれてしまえる気がしていたから。大した苦労もせず、いつもの顔で飄々と片付けてしまう気がしていた。
だけどこんな全部を持って生まれたような人でも苦手と思って、ためらうようなことがあるのか。
「楽しくないことですか?」
「……わかんない」
「アズサさんは興味あることですか」
「興味は、ある。けど」
珍しい。よっぽどの挑戦なんだろうか。
あれだけ堂々と一発本番のランウェイをこなしたアズサさんが、ためらうことがあるなんて。
険しいと言うほどじゃないけど眉間にしわを寄せて語尾を濁すアズサさんに、的確なアドバイスをできるほど深い人生を歩んでいない。
精々大きななくしものを幾度か経験しているだけ。大切だとか大事だとかわかる前に、僕の前から消えていってしまっただけだから。
だから僕ができるのは、僕が知っているアズサさんに思うことをそのまま告げるぐらい。
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