指先は冷たいのに唇は熱くて、その熱っぽさに耐え切れずに呼吸しようと口を薄く開ける。すると、唇が角度を変えてより触れる場所が多くなった。触れて擦れる感覚がするたび背筋をぞくぞくするものが伝って、頭の中が白くなる。脳みそが溶けそう。 　それでも離れた唇がもう一度触れて背中に手を回された瞬間、はっとしていつの間にか閉じていた目を開けた。 　ちょっと待って、なにをしてるんだ、これは。 「ん……っ、ちょ、っと待ってください。なんで急に」 「巴の目が俺のこと好きって言った」 「言ってないです」 「キスしていいって顔してた」 「してないですっ」 　キスした。キスされた。アズサさんとキスした……！ 　真面目な相談をされていると思っていたのに、どこからこんな流れになったのかさっぱりわからない。 　本当に、なにがどうなってそうなった？　僕がそんな顔をした？　そんな顔ってどんな顔だ？ 　だってキスって、恋人同士がしようとしてするものじゃないの？　それともアズサさんくらいになるとそういうものはいらなくなるの？ 　ああでも気持ち良かった。めちゃくちゃ気持ち良かった。キスってこんなに気持ちいいの？　それとも、アズサさんだから？ 　どうしよう。頭が働かない。考えがなにもまとまらないし、唇がじんじんする。 「ヤだった？」 　熱を持つ僕の唇に触れ、アズサさんが微妙に首を傾げる。唇に触れるのはやめてほしい。意識してしまう。 「俺はもっとしたい。続きもしたい」 「なっ……」 　だのにアズサさんはそれ以上の爆弾事案を囁いてきて、呼吸が乱れた。 　反射的に続きってなんだと問いそうになって、答えられたら僕の方が困ると気づいて飲み込む。 　こんなキスをされて続きだなんて言われたらそれがどういう意味か、いくら僕だってわかる。問題は、それを僕に向かって言っているということ。 「……なんてことを真面目な顔して言ってきてるんですか」 「真面目だから。ずっと言ってるけど」 　アルファって恐い。いや、普通にイケメンだからか。いや、アズサさんだからか。 　こんなの、目の前で、真剣な顔して言われたら、流されてしまう。 　冷めていくグラタンの前で、こんな誘い方されて、なにを言っているんですかと返さなきゃいけないのに、できない。 　どうしちゃったんだ僕。 「唇、やっぱり相性いいと思うんだけど。巴は、どう？」 　指先で濡れたままの唇をなぞられ、それだけでさっきのキスの感覚が蘇って腰が抜けそうになる。 　これ以上言われたらダメだ。だって、とてもとても気持ち良かったから。もう1回ぐらい、なんて思ってしまった。 「していいなら、するよ」 　そしてアズサさんは妙に押しが強くて、諦めてくれなかった。 　言われた言葉に、ダメだと答えなきゃいけないとわかっていても声が出ない。 　拒まないと絶対ダメだと理性は言っているし僕だってわかっているのに、どうしてか体が言うことを聞いてくれないんだ。いや、体だけじゃなくて、頭もほぼ働いていない。 　だって僕は、アズサさんのキスが気持ちいいことを知っている。もう一度くらい、と思ってしまった。 　ああ、どうしよう。絶対まずい。流される。 「種ちゃんグラタン！」 「……は、はい！」 　唇が触れてしまう、と身を硬くした瞬間、階段を駆け下りてくる音に続いて、空木さんの声が耳に入ってきた。 　その瞬間、スイッチが入ったみたいに我に返る。そして突き飛ばすようにしてアズサさんから距離を取った。さすがに咄嗟のことで踏みとどまれなかったアズサさんも1歩分後ろに下がって、結果的にだいぶ距離ができた。 　……びっくりした。 　まるで別人みたいにアズサさんにすべてを委ねようとしていた自分が、訳が分からなくて混乱する。なんで身を任せようとしたんだ。キスに驚いて思考停止していたとはいえ、さすがに流されすぎだろう。 「なに。なんか邪魔した？」 「いえ全然！　今温めますね。アズサさんも座ってください」 　キッチンを覗きに来た空木さんがそこにいるアズサさんを見て眉をひそめたけど、はっきり答えて2人をダイニングテーブルに追いやった。 「なにその不機嫌そうな顔。言いたいことがあれば言えば？」 「……別に」 　頬杖をついてそっぽを向くアズサさんになにかを感じ取っているのか、空木さんがストレートに問いかけているけど言えるわけもなく。 　そんなやり取りを耳にしながらも、ぱしぱしと自分の頬をはたいて気持ちを切り替えすぐに作業に取り掛かる。とは言っても、全員分のグラタンは全部器に分けてある。焼き立てを、とは思ったけどいつ食べるかわからないからもう焼いてしまったんだ。 　だから空木さんの分のグラタンと一緒に、冷めてしまったアズサさんの分も一緒に温める。今度こそ普通に食べてもらわねば。 　その後は空木さんがいてくれたことで表面上はなにもなかったし、ずっと突き刺さるような視線を向けられていたけれど、気づかないふりをしていたらなにも言われなかった。 　空木さんが来てくれて良かった。本当に、とんでもないことになるところだった。なんなら声をかけてくれなかったらとんでもないところを見られているところだったかもしれない。 　そのままアズサさんはマネージャーさんから電話がかかってきた上に迎えが来て自分の家に帰っていったけど、次に会った時にどうしたものか悩みは尽きない。