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変化する日常 9

「なんて目立つ車で……」  そんな中、例のチョコのお詫びになにか買うと紫苑さんがうるさいので、普段の買い物の荷物持ちを頼むことにした。2人で買い物すれば買い溜めもできるし、紫苑さんの気も済むだろうし、一石二鳥だ。  いい考えだと思ったんだけど、待ち合わせ場所に大学の前を指定されて、嫌な予感しかしなかった。  いくつもの「なんで?」が浮かんだけれど聞き入れてもらえず、結局僕が折れた。僕へのお詫びのはずなのにおかしな話だ。  ともあれ大人しく待っていると、時間になってやってきたのはまさかの真っ赤なスポーツカーだった。詳しい車種はわからないけれど、とにかく目立って派手な車。  見えてるくせにわざわざクラクションを鳴らして注目を集めた上で窓から顔を覗かせたのは、紫色の髪をオールバックにしたサングラス姿の紫苑さん。ホストというよりかはもはやヤクザみたいな迫力だ。どれだけ目立ちたがり屋なんだこの人。 「乗って乗って」  手招きされなくたって最速で乗り込んで、早く出してくれと急かした。イタズラが成功した顔で笑いながらも素直に車を出した紫苑さんは、とてもご機嫌だ。 「スーパーに行くのになんて車で来てくれてるんですか」 「いやーやっぱかわいこちゃん迎えに行くには目立ってなんぼだからさ」  どこの国のルールなのか、紫苑さんは悪びれない。  意外と手慣れた運転で走っているけれど、シェアハウスには駐車場はないし普段乗っているとは思えない。まさかこのために借りてきたんだろうか? だったら余計この車種じゃない。 「にしても、本当に良かったわけ? なんでも買ってあげるって言ってんのに」 「いりません」  改めて自分の判断が正しかったと思う。  スーパーに行くのにこの車で来る人になにか買ってもらうなんて、絶対面倒なことになりそうだから断ってよかった。  ただ、やっぱり電車で行くのとは違って車は速い。まっすぐスーパーに向かえる分、だいぶ早く着きそうだ。  車窓の外を流れる景色は通り慣れない道のもので、新鮮さも相まってちょっとアトラクションに乗っている気分だ。元々あんまり車に乗ったことがないし、助手席からの風景なんて見えすぎて少し恐いくらい。 「で、狼さんとはヤったの?」 「は? え?」  そんな風に外を眺めていた僕は、かけられた言葉の意味が掴めず、振り返って紫苑さんを見る。さすがに運転中だからこっちは見ていなかったけれど、表情からは今聞こえた言葉を発したようには見えない。だから聞き返す。 「チョコ食べてムラムラ来て最後までヤったんじゃないの? いたんでしょ? その場に2人で。だったらしないのは嘘だろ」 「してませんよ、そんなこと!」  より具体的な説明と決めつけをされて、思わず返す声が大きくなる。  そりゃあ色んな意味で手は借りたけど、あれは僕が切羽詰まったから手伝ってくれただけ、のはず。そもそもアズサさんはチョコを食べていないんだ。  ……ただ、食べてないなら食べてないで、アズサさんは熱に浮かされていなかったんだから、どうしてあんなことしたのかはわからないけど。さすがに「優しい人」っていう話ではないのはわかっている。「好き」って言われたし。 「いやだってさ、運命の相手探してるとか言ってるわりに、寄ってくる子とすぐ付き合っては1回ヤったらなんか違ったって別れるっつーんだよ? だから最近来ないのはそういうことかと思ってた。なんだ、ヤってねーんだ」  運命の相手、という言葉とはかけ離れた無節操感。そういう話があるのは知っていたけれど、具体的に聞くとやっぱりアズサさんの世界との乖離を感じる。アズサさんにとって付き合うというのは、僕の思う付き合うではないのかもしれない。  しかも紫苑さんにはとんでもない勘違いをされているし、色々と別次元すぎる。 「最近種っち色っぽいから、1回やってエロが開花したのかと思ったのに」 「どんな冗談ですか」 「いやマジ」  まったくもっと見当違いの想像に眉をひそめると、紫苑さんはちらりとこちらに視線をやってからまた前を向いた。 「まあ面倒なことになるから本当に手は出さないけど、わりと最近ムラッと来る時あるよ。部屋に連れ込みたくなる」 「……恐い話やめてくださいよ」  2人きりの車内で、そんな話をされても困る。こういう話を平気でするから、空木さんに近寄らない方がいいと警告されるようなことになるんだ。 「しないって。そんな悪い男じゃないよ? 俺は。寄ってこられたら誰彼付き合っちゃう誰かさんとは違います。もちろん種っちから来てくれるなら喜んで抱くけど」 「紫苑さん」 「はいはい、ただの荷物持ちですよ今日のボクは」  咎めるように名前を呼べば、口笛を吹く真似をしてうそぶかれた。軽口だとわかっていても、こんな言い方をされれば警戒したくもなる。モテるホストの軽快なトークは、お客さんに披露してほしい。 「そもそもあーんなにご執心な男がいる相手に手を出したって面倒なだけだから」 「……執心って、アズサさんが? 僕に? それこそなんの冗談ですか」  軽いハンドルさばきと同じように、軽い口調で言われたそれは僕のイメージとは別の人の話。  そりゃあちょっかいはかけられるけれど、アズサさんはずっと変わらぬトーンだし、そういう強い気持ちとはあまり縁がない人に感じる。  簡単にキスするし、あんな時に「好き」なんて言葉言えてしまえるし、いつでも飄々としている。 「いや、あんなわかりやすいのにそれは可哀想でしょ。元々、引っ越し後も帰っては来てたけどこんな頻繁じゃなかったし。種っちに会いに来てんでしょうよ。すげーご執心だもん。だから俺が一服盛ったと思って問い詰めに来たんだし」  僕は僕の目線で見ているアズサさんしか知らない。だから他の時とどう違うのか、他の人にはどういう顔を見せているのかも知らない。  どんな風に返したものかわからず口を閉じる僕をよそに、車が停まる。いつの間にか見覚えのある景色の場所に来ていた。 「はい、到着しましたよお姫様。お供いたしますからなんでもお言いつけになってくださいな」  ホストから執事にチェンジした紫苑さんは、僕が下りるのを待ってからスーパーの中に入っていった。わかりやすく人目を引くその姿を見て、もしかしたら素直になにか買ってもらった方が良かったのかもと後悔したけど本当のところはどうかわかりやしない。  ただ1つわかるのは、紫苑さんは意地悪だってこと。

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