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効能は「運命」 9

「正直今すぐベッドに連れていきたいけど、ご飯来るから後にしよ」  背中に手を添えて体を起こされて、乱れた髪も直してもらう。  ご飯の話で我に返って慌てて時計を見れば、まだそれほど時間は経っていない。その慌てっぷりが面白かったのか、アズサさんが柔らかく笑って雰囲気が和んだ。  ……また気持ち良さに流されて恥ずかしいことをしてしまった。 「せっかくだから温泉楽しも」  立ち上がったアズサさんに手を掴まれ引っ張り上げられるようにして立つのを助けてもらう。足元が危ういのを支えてもらい、再び温泉の方へ。  縁側の方から向かったのは、たぶん寝室を意識しないようにだろう。  さっき僕がそちらを見て反応したのに気づかれていたんだと思う。  一応露天風呂と寝室の間には脱衣所としての空間があってドアもついているけれど、透明がゆえにベッドまで視線が一直線だから緊張してしまうのはしょうがない。  それでも部屋の中にある専用の露天風呂は、否が応でもテンションが上がった。温泉独特の香りがする。 「一緒に入る?」  香りを吸い込むように大きく息を吸ったタイミングで、アズサさんが振り返って言うものだから危うくむせそうになった。この流れで、ここで脱いで、一緒にお風呂、なんて僕ができるわけないのに。 「前にも一緒に入ってるんだし、恥ずかしいことないでしょ」 「恥ずかしいですよ!」  あの時だって十分恥ずかしかったけど、アズサさんがいたって普通の態度だったからまだ大丈夫だった。けれどこの流れではさすがに無理だ。  「普通に、意識しますよ。今の今だし」 「いくら俺でも風呂ではしない。のぼせるから」  今の状態で一緒にお風呂は、とためらう僕に、アズサさんは端的に言う。簡単に事実だけを言ったというような態度に引っ掛かってしまった。 「…………したことあるんですか」  こんなのわざわざ聞かなくても良かったかもしれない。でも、アズサさんと付き合う人ならきっと大人だろうし、そういうこともあるのかもしれないと思ったら急に気になってしまった。  思わず声を低めた僕に、アズサさんは平然とした顔で首を振る。 「いや。でも普通に考えたらそうでしょ。なに、想像した? 巴はえっちだな」 「……だって僕アズサさんみたいな経験豊富じゃないですもん」  アズサさんは笑うだろうけど、僕にとってはなにもかもが初めての経験なんだ。だからそんな当たり前だと言うことが当たり前なのかもわからない。  いつものからかいの言葉に拗ねたような返し方をしてしまったからか、アズサさんは少しだけ目を丸めて、それから僕のほっぺたをつついてきた。 「んじゃ俺と経験してみる?」 「アズサさんのえっち」 「ふふふ、好きだよ巴」 「……その返し方は卑怯ですよ」  やっぱり経験値の差だ。  さっき「好き」という気持ちを表せるようになった僕と違って、アズサさんはいつでも余裕がある。大人な付き合いだってさぞかししてきたのだろう。そりゃ僕なんか子ども扱いになりもする。  「わかった。1人で入ってきて。楽しみは後に取っておく」  膨れる僕の頬を柔らかく包んで小さなキスを落としたアズサさんはそうやって引いてくれた。やっぱり一緒にお風呂はまだハードルが高い。 「夜は独り占めしたいから、温泉旅行らしいことは先にしておいて。のぼせないように」  引く時はあっさりと。  アズサさんはそんなセリフを残して部屋に戻っていった。  すごくナチュラルに恥ずかしいことを言われたけれど、あまり考えないようにして脱衣所に向かった。……そこでなにも持っていないことに気づいて慌てて荷物と浴衣を取りに戻ったのはなんともかっこつかない話だ。

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