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マッチと導火線 1

 温泉から帰り、再びアズサさんは多忙の日々に戻っていった。  基本的に帰るのは引っ越した方の家。明らかに仕事のためにはその方が効率が良くて、無理やりシェアハウスに顔を出しにきてはごろごろする間もなく藤さんに連れて帰られていた。だから会っても顔合わせ程度。  ……だけど今日は特別に一緒に時間が作れる日となった。  なぜか千波さんの仕事場にお邪魔した帰り、僕はアズサさんと2人で軽い食事をしにお店へ向かっていた。  なんでもアズサさんをメインモデルとして置いた「泥沼」シリーズの製作中の服を見てほしいと言われたんだ。  もちろん素人の僕になにができるという話で、どうして呼ばれたのかよくわからなかったけれど、アズサさんにも会えるしどうしても来てほしいと頼まれてお邪魔してきた。  千波さん曰く、デザインがよくわからなくてもファンとしての視点で見てほしいから、だそうな。  そしてその合間に千波さんの愚痴聞きと推しの「猫柳くん」の話をたくさん。たぶんこちらがメインだったんじゃないかと思われる。  作業の合間にお喋りしながらもこんな感じかこんな感じかと次々デザインを描き、その間に仮で作られた服をアズサさんに合わせて考えて修正するという作業を短い時間でこなしていた。本人曰く「なんでもする人」らしいのでストレスは溜まる一方だけど、それを癒してくれるのが猫柳くんなのだそう。  アズサさんはマネキンのように無になっていて、周りのスタイリストさんたちはいつものことだと作業する、かなり特殊な仕事場だった。  それでも普段のイメージとは違うけれど、すごく似合う服をとっかえひっかえ着せられているかっこいいアズサさんを堪能できてお得だった。  そして最後にはなぜか僕にぴったりサイズの合ったセンパの服と、猫柳くんグッズの帽子までいただいた。身軽な格好で着たつもりだけど、帰りには大きな紙袋とグッズの帽子で、なにをしに来た人かわからない格好になった。しかも紙袋はアズサさんがなんとも自然に持ってくれているので、帽子を被っただけの僕はもはやただの「猫柳くん」ファンだ。  それでもまた次も来て絶対、と念を込めて言われたからなにかしらの役には立ったんだろう。 「わざわざ来てくれてありがと。疲れた?」 「いえ、珍しい体験ができたので。それに僕はお喋りしてただけですから、アズサさんこそお疲れ様です」 「なんか妙に気合ってたけどなんの話?」 「アズサさんがかっこいいって話、ですかね?」  意訳するとそういう感じ。  実際のところ、なに着ても似合うからむかつくという文句と、だからこそもっとドはまりするものを作ってやるという決意をたくさん聞いた。だから意訳するとアズサさんかっこいい、でいいだろう。 「ま、いいけど」  釈然としないのか、前を見たままうそぶくアズサさん。  知らない町の通りでもまっすぐ前を見て歩くアズサさんはかっこよくて、その横顔に見惚れてしまう。  髪を切ってからというもの、やたらと爽やかだしだらだらとしているところを見ていないし、ただただひたすらにかっこいい人でしかないのはいかがなものか。  ただ、やっぱり忙しさが響いているのかほんの少し痩せた気がする。目の下に見える薄っすらしたクマも気になるし、ちゃんと食べているんだろうか。  そんな風に観察していた横顔が急にこちらを向いて、驚く僕の頭をつんと突いてきた。 「それよりそれ交換して」 「え?」 「ヨシのグッズ。似合ってるけどやだ」  アズサさんが指しているのは僕がかぶっている帽子。大雑把なシルエットは四角だけど、よく見れば三角の耳の形に盛り上がっている猫耳型の「猫柳くん」グッズだ。さっき千波さんにもらったもの。  ……って、やっぱり「猫柳くん」ってヨシくんなんだ。すごい角度から正体をバラされて、薄々感じていたけれど妙な気分になる。なにやらすごく人気のある配信者だとは聞いていたけれど、実際それを見ている人と会うと実感が沸くというか。  空木さんも映画化までされている小説家だったし、柾さんの働くホテルは有名な5つ星のラグジュアリーホテルだし、紫苑さんは看板が出てるナンバーワンだし。つくづく僕の平凡さが際立つ。  そしてこの年で猫耳帽子が似合っているのはどうなんだと思う傍ら、それでもこれは千波さんに僕がもらったもので。 「ダメですよ。僕がもらったものですから」 「じゃあ今はしまってこっちかぶって」 「わっ」  断ったけど問答無用で猫型のキャップを取り上げられて、代わりにアズサさんのかぶっていたキャップをかぶせられる。グッズの帽子はアズサさんの持っている紙袋の中に詰め込まれてしまった。 「なんですか嫉妬ですか」 「嫉妬」  キャップがなくなったことで乱れた髪を掻き上げながら、アズサさんが短く答える。  茶化そうと思ったことに真正面から返されて思わず口をつぐんだ。 「他の男に可愛くさせられてんのやだ」 「……なんですかそれ」  とりあえず乗せられたキャップをしっかりかぶって顔を隠す。相変わらずナチュラルに照れるようなことを言うなこの人。

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