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第13話 珈琲と海

 大満足の天麩羅店の支払いは、最初に言っていた通り巽が行った。各テーブルでの会計方法であったので、カートンに入れて戻されたクレジットカードでは、支払い額は有希也にはわからなかった。 「ご馳走様でした。ほんとに美味しいかったです」  有希也は何度も礼を言った。 「そんなに喜んでもらえると、俺も、店も嬉しいよ。女将さんも喜んでたよね」 「あの、俺すっかり、大学の連れの感想を言うの忘れていて…すいません。よかったらコーヒーでも行きませんか」  巽も今気づいた様子だった。 「いつも行ってる喫茶店が近くにあるんだけど、そこでもいい」 「はい。そこは俺に任せてください。何杯でもどうぞ」  巽は今日会った時からずっと笑顔のままだった。  しばらく、歩道を歩くと、通り過ぎてしまいそうな狭い間口の喫茶店に着いた。  店の扉を開けると、思わず深く息を吸い込みたくなるほどの、香ばしい上質な香りがした。  店内は意外に広く、マホガニーのカウンターで、マスターがサイフォン式のコーヒーを淹れている。落ち着いた雰囲気の中、数人の客が思い思いコーヒーを楽しんでいた。  有希也は巽のセンスの良さに感心した。  席に着くと巽はモカを頼み、迷って有希也も同じ物にした。  有希也が話し始めた。 「この間の飲み会メンバーは独身男7人だったんですけど、香水よりは制汗剤の話しになってしまって。もちろん俺が付けた香りはみんないい香りだって、俺らしい香りと言ってくれたんですけど、自分達が付けるとなると、ちょっと女っぽいかなって言われて、じゃあどんな香りだと付けるのかって聞くと、付けるより体臭を防ぐ話になって」 「それで、制汗剤につながるのか」  巽から初めて笑顔が消えた。 「確かにな。欧米人ほど体臭は強くないけど、加齢臭だのなんだのって、女性は臭いに厳しいからね。」  そして、何かに納得したように 「ありがとう、参考になったよ」  と言って、運ばれてきたコーヒーを飲んだ。 そして、また、巽に笑顔が戻った。 「俺ね、コーヒーは酸味強めの味が好きで、時間がある時はここにくるんだよ」  コンビニのコーヒーが常である有希也にも、ここのコーヒーの香りと味の良さは十分にわかった。 「大学の友達って、サークルか何か?」  巽が聞いてきた。 「サークルではないんですけど、ダイビング仲間なんです」 「ダイビングって、スキューバダイビング?」  巽はコーヒーを飲む手を止めて、聞き直した。  有希也はその様子を見て、クスッと笑うと 「意外でしょ?よく言われるんです。おまえがダイビングするのって」 「ごめん。でも驚いた」 「いいんですよ。いつものリアクションです。海の男と真逆ですもんね、俺」 「大学の友達だから、結構長くやってるんだね」 「もうすぐ、10年かな。今の仲間の中の二人と大学一年の夏休みに沖縄の離島に行って、初めて潜ったんです」  有希也は懐かしそうに話した。 「最初は簡単に潜れると思って、体験ダイビングに参加したんですけど、安全のためって半日かけて色々レクチャーされて、ちょっと面倒臭いなと正直思ったんですけどね。講習が終わって、実際にボートから背中向きに海に沈んで、振り返ると海底が見えて、インストラクターにゆっくり手を引かれて底まで潜ったんですよ。でね、海底にある岩や砂地にいる小魚とかに見入っていたら、インストラクターが上の方を指さして」    有希也は一呼吸おいた。 「見上げると海面がはるか上の方になってて、透明度がかなり高い海だったから太陽の光で海の中がキラキラ輝いてたんです。両手で一掻きすると、体がふわっと浮いて、真っ青な空に飛び立ったような錯覚をするくらいの衝撃を受けました。で、帰った翌日にその友達も一緒にライセンスの申し込みに行きました。で学校でダイビングの話しをするうちに集まった連中が、今の仲間です」  先週その仲間と会ったばかりということもあって、海の話しへの懐かしさは余計に増していた。 「いいね。海か…」  巽はまたふと考え事をした。 「巽さんは何かスポーツしてましたよね。体格いいし。さっきの店で上着脱いだ時、巽さんの胸板厚って思って。裸で半パンツ姿もカッコいいんだろなって見てました」  天麩羅店でのお酒とダイビング話しの高揚感で、有希也にしては大胆な言い様だった。 「俺は水泳をしてたんだよ。海は潜ったことはないけど遠泳はよくしてたよ」 「巽さんって、水泳してたんですか。やっぱりなぁ。水泳選手って皆んな均整のとれた体つきですよね」 「まぁ、泳いでたら均等に筋肉を使うからね。それより、有希也君はどの辺りの海によく行くの」 「あぁ、そうですね。日本海より太平洋側の方が多いかな。でもここ数年は行けてなくて」  有希也は残念がった。  ダイビングは必ずバディを組んで潜るため一人では行けなかった。学生と違って社会人になるとそれぞれのスケジュールの調整が難しくなっている。独身男であっても。 「ねぇ、有希也君。一緒に海行かない?」 「えっ…?」 有希也は急な巽の提案に驚きを隠せなかった。

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