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第14話 海の香

 巽の突然の誘いに、かなりの驚きはあったが有希也も久しぶりに、海に行ってみたくなった。 「はい。行きたいです」 有希也は迷わず、答えた。  有希也は、海に行くのも嬉しかったが、巽に誘われたことも嬉しかった。  巽のセンスの良さや、大人の振る舞い、またユーモラスな言い回し、今日一緒に食事をしてもっと巽を知りたいと思った。 「早速なんだけど、今週末とかどうかな。もう予定入ってる?」 「土曜日なら大丈夫です」 「じゃあ、決まり。土曜日に行こう。天気も大丈夫そうだし」  巽はスマホで天気を確認した。 「車、俺のでいい?」 「はい。いいんですか、出してもらって」 「最近、走らせてなかったし。行き先は有希也君に決めてもらっていいかな」  あの時、勇気を出して食事に誘った事で、大好きな海へドライブにまで行けるようになり、有希也は今日は出来過ぎているなと思った。    その日、有希也は家に帰ると、どの海に行くか思案した。砂浜か岸壁か。巽の希望をもう少し聞いておくべきだったと少し後悔した。  泳いだりダイビングをするわけではないので、海を一望できる高い場所とか、海沿いの松林とか、結局その夜は決めきれなかった。  海へのドライブは明後日だが、有希也はまだ行き先を決められなかった。  相談するにも、巽は忙しいのか15時のタバコ休憩に毎日来るわけではなく、結局、比較的近めで、遠くに岸壁が見える砂浜の海に決めた。海開きもまだ先のため、ゆっくり砂浜を歩いたり、貝殻や流木を探すのも楽しいかもしれないと思った。  有希也はSNSで巽に伝えた。  その日の夕方、巽から待ち合わせの場所や時間が送られてきた。    ドライブ当日は天気予報通り、朝から快晴だった。  有希也は仕事に行く時とさほど変わらない服装にキャップを被り、足元は白のスニーカーにした。  巽は有希也の家の最寄駅まで、来てくれた。 車種も伝えてくれていたので、すぐに巽の車を見つけられた。  白のSUV車。巽が車から降りて有希也に手を振った。  グレイのフルジップパーカーに白のTシャツビンテージ風のジーンズ。いつものスーツ姿からは想像ができない様相ではあったが、これも似合っていると、有希也は思った。 「おはようございます。いい天気でよかったですね」 「日頃の行いが良かったんだよ」 「缶ですけど、コーヒー買いました」  巽に手渡すとサンキューと言って受け取り、車に乗り込んだ。  しばらく走ると、巽はスマホを操作して音楽をかけた。 「有希也君は知らないと思うけど」  車内のスピーカーから聴こえる曲は聴いた事はあるが、言われた通り誰の曲かはさっぱりだった。 「有希也君は運転は?」 「ダイビングに行く時くらいですね、運転するのは。レンタルしたミニバンを皆んなで交代しながらですけど」  有希也は巽のアクセルワークとブレーキングは自分の感覚と似ていると思った。  話しながら車の振動に心地よさを感じていた。  特に混雑もなく、だいたいの予想時間通りにに到着した。 「運転お疲れ様です」  有希也は車から降りて両腕を上げて伸びをする巽を労った。 「あぁ。気持ちがいいね。潮風」 「やっぱり、海はいいですよ」  二人は砂浜の方へ向かって歩いた。  陽の光を受けて海面はキラキラと輝き、時折りザザーンと音をたてて、波が打ち寄せていた。  巽は、波打ち際から少し離れた所で、座ろうかと言って腰を下ろした。  視線が下がると、水平線がより遠くに感じられた。 「巽さん、知ってます?海によって匂いが違うこと」 「そうなんだ」  巽は興味深そうに、聞いた。 「海の匂いって、プランクトンの死骸の臭いなんですよ。」  巽は一瞬顔をしかめた。 「沖縄とか南の海はプランクトンが少ないからあまり匂いがしなくて、逆に日本海側とかの漁場はプランクトンが多くいるから、よくいう磯の香りがするんです」 「磯の香りが実はプランクトンの死骸の匂いって聞くと、ちょっと残念だな」 「俺たちは潜ってるから、あんまり気にしませんけどね」  昔、ダイビングを始めた頃に漁師に教えてもらった話しだ。  じゃあ、俺からも、と言って巽も話始めた。 「匂いの記憶の話しなんだけど。人間の五感の中で、長く記憶に残るのが嗅覚なんだって。嗅覚以外は脳幹を通って前頭葉にいくけど、嗅覚は直接前頭葉に到達するから、匂いの記憶は何十年も残るんだって」 「あぁ、そう言われたら、食べ物の匂いでも、懐かしく感んじるのありますよね」 「俺は、誰かの記憶にずっと残る香りを作りたいんだよね」 巽は視線を水平線から有希也に移して、語りかけるように言った。 「今日の海の香りも…」  有希也は言葉を止めた。 「どうした?」 「あっ、なんでも無いです」  有希也は、この先どこかで海の香りを感じると、巽と一緒に来たこの海のことを思い出すのだろうかと、そんな思いがふっと頭に浮かんだ。 「何?気になるな。話してよ」 「いや、あの、この先潮の香りを感じる時があったら、今日の事を思い出すのかな、なんてちょっと思って、ははは」  有希也は照れながら言った。  巽はそう話す有希也の横顔を目を細めて見ていた。

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