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第21話 告白
18時過ぎ。
有希也は一階のエレベーターの前で巽を待った。
いつからの事をどう話せばいいのか。
簡単に言ってしまえば、勘違いをして淡い想いが打ち砕かれた話である。
泣くほど取り乱すとは、有希也自身が一番驚いていた。
程なく巽もエレベーターから降りてきた。
「ごめん。だいぶ待たせたかな。」
巽の口調はいつもの優しいものだった。
「そんな事はないです。」
有希也は下を向いたまま答えた。
巽は少し歩こうか、と有希也の背中に手をやって促した。
「本当に今日はごめんなさい。ハンカチは洗濯してお返しします。」
「いいよ、洗濯なんか。今返してもらってもいいんだけど?」
「いえ、ちゃんと洗って返します。」
「そう。」
しばらく黙ったまま人ごみを避けるように歩いていた。
会社が入っているビルの最寄り駅から少し離れた場所にある公園にきた。
その公園の広い敷地内にはボート遊びもできるそこそこ大きな池もあった。その周辺に設置されているベンチに二人は腰をかけた。
「ニヶ月くらい前だったかな。喫煙室にいる巽さんを初めて見て…。」
有希也はその時の事を思い出しながら、ゆっくりと話し出した。
「タバコに火を点けて、煙をゆっくり吐き出して、また吸って、それだけなのに、巽さんの表情やその仕草に見惚れてしまったんです。」
有希也は冷静に話せるように、膝の上で握り拳をつくっていた。
「その次の日も、15時の休憩時間に巽さんの姿を見られて嬉しくて…」
辺りは薄暗く、はっきりとわからなかったが、おそらく有希也は顔を赤らめながら話してくれているのだろうと、巽にはなんとなく感じとれた。
「そしたら、巽さんから話しかけてくれて、俺に似合う香水を付けてくれて、一緒にご飯に行って、海にも行って、色んな話をして…」
有希也は膝上の拳を強く握った。
「それで今日、久しぶりに巽さんを見かけたら他の人とすごい楽しそうに話しをしていて。あぁ、俺が勝手に勘違いをしてたんだって気付いて…」
泣いてしまったとまでは言えなかった。
「あの時、モニター期間は終わっただなんて嫌な言い方をしてしまってごめんなさい。」
有希也はそこまで言い終えると、小さく息を吐いた。
「有希也君、少し離れるよ。タバコを吸いたいんだ。」
巽はそう言うと、立ち上がって5、6歩くらいの距離をとった。
ライターの火の明るさで巽の顔が一瞬見えたが、表情までは有希也にはわからなかった。
今まで巽は有希也の近くでタバコを吸ったことがなかった。
それは有希也があまりタバコを好まないことを知っていたからだ。
敢えて今吸うのはどういう意味なのか、有希也はなんとなく予想できたが、はっきりと巽の口から聞きたかった。
巽は有希也に煙がいかないように、横を向いてふうっと煙を吐き出した。そして向き直ることなく、言った。
「俺、有希也のこと好きなんだよ。」
巽は携帯用のアッシュトレイをポケットから出してタバコの火を消して入れた。
「タバコ、ごめん。でも吸わないと言えないよな。」
そう言って有希也の隣に座った。
「えっと…。」
想像すらもしていなかった巽の告白を受けて有希也は言葉が出なかった。
そして首筋から火照っていくのを感じた。
巽は手のひらで、俯き加減の有希也の頬に触れた。
「こんなに熱くなって…」
有希也の頬は巽の手のひらの中で一層熱くなっていった。
巽の長い指は有希也の耳たぶを軽く挟んだ。
そして親指で有希也の唇に触れた。
(キスみたいだ…)
有希也も触れられたその指に唇を押しあてた。
「ありがとう」
巽はそう言うと有希也の顎に指を移して、唇を重ねた。
ほんの数秒の交わり。
有希也は巽の胸元に顔を伏せた。
タバコの匂いは今はいやじゃなかった。
しばらくの間そのまま動けずにいた。
「だいぶ暗くなってきたから、場所移そうか」
巽は有希也の肩を抱いて言った。
有希也は頷いて、立ち上がり、巽に促されるまま、とりあえず駅の方へ向かって歩き出した。
お互い言葉を交わさなかった。むしろその方が心に触れられるような気がしていた。
すると急に巽が足を止めて言った。
「今日やってるよ。ほら。」
以前ジュリアンへ行く前に立ち寄ろうとしたが休みだったラーメン屋の屋台が、遠く前方に見えた。
「今度いつやってるかわからないから、食べない?」
「はい」
有希也も賛成した。
屋台に着くと、客はまだ巽達だけであった。
巽は、大将二つと声をかけて、屋台の横に並べられた簡易なテーブルの一つに腰を下ろした。
巽は勝手知った様子でプラスチックのコップにポットの水を入れて、有希也の前に置いた。
「有希也、ごめんな…って言うか謝っていいのかなんだけど」
巽も有希也同様どう話すか迷っていた。
「俺もどうしていいか、正直迷っていたんだ。有希也とは最初、俺の仕事絡みで喋るようになっただろ?香水のことで友達からのヒントもくれたし。俺はもっと個人的に有希也に向かって踏み込みたいと思っていたんだけど、有希也と俺の間には香水のモニターっていう関係があったからね。近づくことが有希也には迷惑な話しで、今までのように接することが出来なくなるかもしれないなんて考えると、連絡先を交換していても戸惑ってしまったんだ。俺がいつから出張だの、出張先はこんなだのとか伝えたところで、だからそれが何なんだって思われるんじゃないかってね」
言葉を一区切りさせたところで、堪らなくいい匂いをさせてラーメンが出来上がった。
「今日有希也の涙を見た時、まさかと思ったよ。俺が戸惑っていたばっかりに、ひょっとして有希也に淋しい思いをさせていたのか、どうしても確かめたくて、あの時追い詰めてしまう言い方になってしまった。悪かったね」
そう言い終えたあと、冷めないうちに食べようと付け足した。
ラーメンを啜りながら話す内容ではないなと、巽は自嘲した。
有希也は静かに巽の話しを聞いていた。
そして促されるままに、ラーメンを啜り始めた。
有希也は、巽からの思いもよらなかった告白に、心が追いつかなかった。
ラーメンを食べ終えても、有希也は地に足がつかないフワフワしたような感覚で、巽の後ろを歩いていた。
そんな様子の有希也を見て巽は
「今日は屋台のラーメンだったけど、次はどこに行こうか?有希也は何が好き?」
急に聞かれて困り顔の有希也に、巽は茶目っ気たっぷりな表情で言った。
「迷ってるんだったら、俺が好きって言ってくれてもいいんだけど?」
有希也は軽く握った手を口元にあててクスッと笑った。
「やっと笑ったな」
巽は両手で有希也の頬をぎゅっと挟みこみ、突き出された唇に軽めのキスをした。
驚いて固まっている有希也を楽しそうに見ながら
「ねぇ、3回目のキスはどこでしたい?」
「もう、完全にからかってるでしょう」
有希也は上目遣いで睨みながらも、なんだか楽しい気分になっていた。
そして小さな声で
「3回目は…明日かな」
と恥ずかしそうに言った。
巽は大人を焦らすもんじゃないよと言いながら有希也にヘッドロックを仕掛た。
「本当に有希也は可愛いいな。」
有希也は首に巻き付かれた巽の逞しい腕に形ばかりの抵抗をした。
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