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第24話 タケル

 健留と会ったその日、休憩後も急ぎの案件もなく、余裕で定時退社ができた。  有希也は前から気になっていた、薄手のシャツを買いに行こうと、大通りを歩いていた。  すると、通行人の喧騒や車の騒音の中、自分の名前を呼ぶ声がした。  有希也は辺りを見回すと、道路の向こう側で健留がオーバーアクションで手を振っていた。  正直会いたくない相手でもあったが、有希也は半ば仕方なく手を上げて応えた。  健留は少し先の横断歩道を指差している。  お互い横断歩道まで行くと、健留はこっちとばかりに手招きをして、有希也に横断歩道を渡らせた。 「お疲れ。今帰り? 俺さ、今から夕休憩なんだけど、コーヒー付き合ってよ」  屈託なく、まるで以前から知り合い、いや友達ででもあったかのような振る舞い。  有希也は、強引ではあるがこれくらい自分のしたい事を相手に言える健留の性格が少し羨ましくもあった。  大通りから少し外れて、夜はティーン達がたむろしてそうなビル群に埋もれた広場まで来ると、ミニバンで出店しているコーヒースタンドに近寄り、健留はアイスカフェオレを二つ買って、一つを有希也に渡した。 「昼間はごめん。これは俺の奢り」  健留は急に謝った。  そして、近くの植え込みのブロックに座った。 「えっ…? ありがとう」  有希也は不意をつかれた。 「なんかさ、俺、やな奴だったでしょう? 昼間あそこで会った時」  健留は頭を掻いた。 「なんか見た事ない触れなば落ちん風情の奴がさ、巽さんとホントいい雰囲気でカップルシートみたいに座って、見つめ合って喋っててさ、おまけに巽さんから有希也って呼び捨てにされてさぁ」  その時有希也はあっと思った。  巽はいつから自分を呼び捨てにするようになったのだろうか。巽のあまりの自然さに全く気付けなかった。 「はっきり言って嫉妬しました」  有希也は健留の清々しいくらいの言い方に思わず笑ってしまった。 「えぇっ? 余裕の笑いだな、それ」 「ごめん、そんなんじゃないよ」 「あのさ聞いていい?巽さんといつから付き合ってんの?」  直球だった。  有希也は迷った。  付き合っていると言っていいのか、確かに巽からの告白もあり、何回かキスもした。男同士でもこれで付き合っているというのが正解なのか。 「知り合って、まだそんなに経ってないんだけどね」  ふうん、と納得していない様子で更に聞いてきた。 「有希也君がつけてるその香水、巽さんからでしょ?」 「…うん。これがきっかけでね」  健留は有希也から巽との仲をもっと聞き出したい反面、おそらく有希也より自分の方が先に巽と知り合いであることを伝えて、少しマウントを取りたくなった。 「巽さんから聞いてるかどうかわからないけど」  と前置きして 「俺の店を出す時、ファリナさんには色々出店の企画の時からから相談に乗ってもらってて、その時に巽さんに香水のことでアドバイスも受けてね。モテる男は香りも必要って。でもギラギラしたやつじゃなく、すれ違った時にふわっと微かに香る中性的なのがいいからって事で、宮さんが、あっ調香師のオッサンね、何回か試作してくれて、その都度香りを試させてもらって、ほぼ完成っていう時に、巽さんからこれは甘すぎるって中断されたんだよ。で、その後すぐにオープニングの時期に合わせて、海を想起させる香りにしようってことで」  そこまで言うと健留はカフェオレをゴクゴクと飲んだ。 「それで怒ったのは宮さんで、でも宮さんってめちゃ職人気質の人でさ、どんな状況でもオーダーされたらイメージ通りの物を作るんだよね。オープンにはちゃんと間に合わせて作ってくれてさ、『夏の海』ってベタなネーミングなんだけど、それがまた結構売れてるんだよね。ここまで言ってわかったでしょ? 今、有希也君がつけてるの、たぶんその時に中断された香水って」  有希也は巽が照れくさそうに話してくれたことを思い出した。  健留は有希也の驚くでもなく、穏やかで少し恥ずかしそうにも見えるその様子に、敗北を感じ、マウントをとるのはあっさりと諦め友達モードに切り替えた。 「巽さんはさ、その香水、有希也君以外の人につけてほしくなかったんだろうね。マジで有希也君の雰囲気に合ってるし。さすが巽さんだよね。有希也君も気に入ってるんでしょ?でも公私混同も甚だしいよね、そう思わない?」  有希也はクスッと笑って、健留の意見に賛同した。 「せっかくだから、店に寄って行ってよ、この近くなんだ」  と言って健留は立ち上がり、有希也の予定も確認せずに促した。  有希也もシャツは今度でもいいかと思い、健留に促されるまま後をついていった。  健留の店が入っている商業ビルは歩いてすぐのところにあった。リニューアルしたてでもあり、平日でも大勢の人で賑わっていた。  2階の少し奥まった場所に『SATH』とネオン管で作られた看板の店を指して 「ここが、俺っていうか俺達の店。高校の時の後輩と共同経営してて」  有希也は健留が誇らしげに見えた。  おそらく自分と同年代でもあるのに、店を立ち上げるそのバイタリティは自分には無いなと思った。  健留は、看板のアルファベットを見ながら首を傾げて黙ったままの有希也を見た。 「これね、サスって読むんだ。サスのスは前歯で舌を挟んで言ってよ。中学の時に習っただろ?」  有希也は、健留の印象が最初に会った時とはだいぶ違ってきたと感じた。  どちらかというと、まだ苦手な部類ではあるが、明け透けで憎めない、すぐに上手く人の懐に潜り込んできそうなタイプ。有希也と真逆の人間。  有希也から質問した。 「難しいな。でも何でこの名前にしたの」 「共同経営の俺のパートナーの名前と俺の名前の頭文字の組み合わせ」  共同経営者が後輩からパートナーに言い方が変わった。  健留はそう言って店内に入ると、男性コスメが並べているコーナーで何かを探し始めた。  店内の客は高校生や大学生らしい男が主であった。テスターを手に取って付け心地を試したり、その感想を言い合ったり、さながら女子の様相だった。 「ハル。今日入った日焼け止めどこ?」  健留は探し物が見つからないのか、レジ奥に向かって大きめの声を出した。 「あっ、ごめん。まだここにあるわ」 「ったく。頼んどいただろ」  ハルと呼ばれた男が、ごめんといいながらも悪びれることもなく日焼け止めが入っている箱を持ってきた。  まだ少しおぼこさが残るその男は、有希也に気付いて、無言でぺこっと頭を下げた。 「有希也君、これ俺の恋人の陽彦。皆んなはハルっていってるけど」 「店内でその言い方はダメでしょ」  健留はハハハと笑って、箱の中の一つを取り出し、残りを陽彦に託してレジへ向かった。  有希也の意思も気にする事なく、チューブの日焼け止めを見せて言った。 「これ、絶対におすすめだから。男でもさ、紫外線気にした方がいいからね。まぁこんな日焼けした俺が何言ってんだって話だけど」  有希也は健留と違って、陽を浴びると直ぐに赤くなってしまう。今までは無頓着で、これといった肌ケアもせず、社会人になってようやく洗顔後の化粧水をつけるようになった。  巽に触れられる事を想うと肌ケアも気にしようと思った。 「うん、ありがとう。いくらかな?」 「今日はお友達価格でいいよ」 と言って500円を示した。  健留は少し照れた表情で 「俺さ、同年代でお互いのパートナーとかの話しを気兼ね無くできる友達っていうかさ、そういう相手がほしかったんだ。買い物しなくてもいいから、またいつでも店遊びに来てよ」 「いいよ、わかった」  有希也は、お互いのパートナーという言葉には戸惑いもあったが、素の健留を見たような気がした。 「それと、その使い心地、最低10人にはリコメンドしてよ」 「了解」  と言って有希也は支払いを済ませて店を出た。  有希也は、巽と一緒にいると周りからは付き合っているように見えているのだろうかと改めて思った。  少なくとも調香師の宮さんや健留にはそう思われているんだろうなと。  明日も巽と会えるかなと思いながら、シャツの店へ行くか迷っていた。

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