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第28話 俺はどうしたい?

 まさしく痴話喧嘩の後、互いに何を話していいのか分からず、そのまま帰ることになった。  帰り道、有希也は、さっきキスをされた巽は少し照れていたなと思った。  自分からはソフトからハードまで多様なキスをするくせに、と有希也は微苦笑した。  キス一つで、思いを伝える事もできるが、気持ちをちゃんと言葉で伝える事も、今の自分には必要だと思った。 (明日、いつも通りに会えるかな)  翌日の15時  巽は有希也より先に来て、ソファに座っていた。  横に腰かけた有希也に言った。 「昨日、キスしてくれてありがとう。嬉しかった」  巽は照れていた。 「どういたしまして。巽さんちょっとカッコ悪かったけど。でも…」 「でも、何?」 「好き、かな」 「何だよ、その疑問形」  巽はさすがにここでは抱きしめる事は憚られると思ったが、どうしても有希也に触れたくて思いを言葉にした。 「今俺の頭の中で、抱きしめてキスしてるから」 「巽さんって、キス好きだよね」  巽は有希也を横目で見ながら 「キスが好きなんじゃなくて、有希也が好きなんだよ」 「もう…」  有希也の顔はいつものように赤くなった。  その日の仕事終わり、二人はまたジュリアンに行くことにした。  有希也はまた揶揄われる事はわかっているが、何故かママのあのしゃべりをまた聞いてみたいと思った。  巽が常連になる理由が何となくわかった。  あのオネェ言葉は中毒性があるようだった。  ビルの一階で待ち合わせをして、ジュリアンに行く前に軽く腹ごしらえをしようという事になった。  有希也は麺類以外の物がいいと言ったため、牛丼を食べる事にした。   「いらっしゃいませぇ」    ジュリアンの扉を開けると聴こえる、ママのいつもの野太い声。  今日のママの出で立ちは、紫の着物の襟を大きく抜いて、ラメの黒っぽい帯を締めていた。  その日もソファ席には先客がいた。 「ユキちゃんに洵ちゃん、いらっしゃい。ありがとね。来てくれて」 「ママ、和装もいいね」 「もう、洵ちゃんったら、ありがと。あっそうそう、この口紅この間のよ」  そう言ってユミママは唇をすぼめてみせた。 「キスしたくなる色でしょう。ユキちゃんもどう?塗ってみる?」  有希也は噴き出すのを我慢しながら、遠慮しますと手を振った。  有希也は小声で巽に言った。 「巽さんって、ママとキスした事あるの?」 「アホ…んなわけないだろ」  睨みつける巽に有希也はケラケラ笑った。 「もう、アンタ達は来る度に幸せオーラ引っ提げてくるわね。ユキちゃん、洵ちゃんといい事してるの?」 「それは巽さんに聞いてください」  有希也は余裕で悪戯っぽく言った。 「あらぁ?もう明太子ちゃんにならないのね。つまんない」 「ジュリアンに慣れたってことだよ」  巽は笑顔で言った。 「じゃあ、次はジュリアン中毒にしちゃうわよ」  そこに、バーテンダーのニコが飲み物の注文を聞いた。  二人で話したり、ニコも交えて話したり、ママのエッチ話しに笑ったりした。  時折り、扉を開けては、いっぱいだねと残念そうに帰る客もいた。  巽はそろそろ行こうかと有希也を促した。  巽が会計をしている時、有希也はカウンターの奥にいるママに呼ばれた。  そして手の平くらいのカードを手渡された。  有希也が不思議そうな顔をしていると 「わかってるの。大きなお世話だってことも。でもね、洵ちゃんは本当にいい男なのよ。洵ちゃんのこと信じて。」  ママはさっきまで下世話な冗談を言っていたのが信じられないくらいの真顔だった。  有希也はカードを見ると、ビジネスホテルの名前が印刷されていた。  それはカードキーだった。 「えっ…。どうして?」 「どうするかは、ユキちゃんが決めていいのよ。」  それだけ言ってママはソファ席のお客の所へ行ってしまった。  巽は店の扉を開けながら、有希也に目で行くよと合図をした。  有希也は店を出ると巽に支払いの礼を言った。  自然に振る舞おうとしても、手の中のカードキーがぎこちなくさせる。 (俺から巽さんをホテルに誘うってこと…?)  有希也はあまりの突然の展開に考えが全くまとまらず、前を歩く巽の背中をただみつめるだけだった。  手にあるカードキーを見せなければ、このまま何もなかったことにできる。  でも、これを見せたら巽はどうするだろう。    ママの冗談とばかりに笑いとばすだろうか。    それとも…。 (じゃあ、俺はどうしたい?) 「有希也?…どうした?ママに何か言われた?」  巽はそう言って、優しく有希也の前髪をかきあげた。 「えっ?あぁ…うん…。」  有希也は巽の顔を見た。  少し首を傾げて優しい表情だった。  心の中は見せるかどうか迷っているのに、手が勝手に動いてしまった。 「…これ」  と手を差し出して、開いた。  巽は有希也の手ごと掴んで、白いカード状の物をじっと見た。  フッと息を吐いて、そういうことか、と表情を変えずに言った。  雑居ビルの階段を降りて、通りに出た。 「そのビジホさ、以前酔っ払って終電逃して、泊まったことがあってね。その角曲がって少し行ったところにあるんだ」  巽は普段と変わらない様子で話している。  そして、その曲がり角まで行くと、巽は足を止めて有希也の顔を見た。 「有希也はどうしたい?」  巽はずるい質問だと思った。有希也に決めさせようとするなんて。 「…巽さんは?」  雑踏の中に消え入りそうな声だった。  巽は、いやならカードキーを自分に見せなければいいと思った。ママから手渡されていた事は何も知らなかったのだから。  敢えて伝えるのは、有希也は迷っているのか。  何に?   今なのか、まだ先か。  俺と、してもいいのか、いやなのか。  考えを巡らせながら巽はしばらく口を閉ざしていた。  黙っている自分を目の前にして、有希也のどうしていいのかわからない様子が見てとれた。  巽はママの気遣いだからといって連れていくのだけは自尊心がなさすぎると思った。 「正直に言っていいなら」  と前置きをして 「有希也への俺の気持ちは、わかっているよね」  有希也は小さく頷いた。 「有希也がどうしたいかなんて関係なかった。聞いておいてごめんだけど」  巽は、今まで見せた事がないくらい真剣な顔をして言った。 「俺は、今すぐにでも有希也を抱えて連れて行きたいよ」  有希也はわかっていた。  巽は求めてくる。  巽にそう言われたかったから、巽にどうしたいかって聞いてみたんだと。 「せめて、手繋ぎくらいにしてよ」  そう言って、巽の手を握った。

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