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第33話 ハルの告発

 週明け、巽は出張後の打ち合わせや報告書の作成、出張旅費の精算をしていた。  あらかた終わった頃、神崎が巽宛に外線が入ってると伝えた。 「スオウですって言ってるけど」 (スオウ?)  巽はその名前に覚えがなかった。 「お待たせいたしました。巽です」 (お忙しいところすいません。陽彦です) 「あぁ。ハル君か。珍しいね。どうしたの?」 (今日、巽さんのお昼時間に会えませんか?) 「いいよ。じゃ今からでもいい?」  横で聞いていた神崎は健留君に渡したいサンプルがあるから、ウチに寄ってと言ってきた。 「ハル君、悪いんだけど、うちの怖い梨花お姉さんが渡したい物があるから、ウチに寄ってって、隣で言ってるんだけど。よかったらウチに来ない?」  神崎は巽を睨んで小さなクリップを投げつけた。 「10分後に来るってさ。用意しといてよサンプル」 「了解、サンキュー」  巽が陽彦と二人で話すのは、店のオープン以来だった。  経営的な事はほとんど健留とばかり話している。  巽は悪い話ではなければいいのにと思った。  陽彦が深刻な顔をしてやって来た。  空いている会議室に通した。 「悪かったね。呼び立てるかたちになって。ハル君がここに来るの久し振りだろ?」 「そうですね。すいません。お忙しいところ」 「いや、大丈夫だよ。それよりどうしたの」  陽彦は一息吸って、話し始めた。 「俺、『SATH』を辞めようと思ってるんです」  巽は陽彦一人が相談に来るということは、店を辞めるのではなく、健留と別れるという意味かもしれないと思った。 「辞めるの?」 「はい。俺が辞めるとあの店従業員は健留と二人だけだし、立ち行かなくなるのわかってるから、男性コスメとか詳しくて働けそうな人、巽さんの知り合いでいないかなと思って」 「ねぇ。この事、健留君はどう言ってるの?」 「健留はいいんです。俺の問題ですから」 「わかった。もう少し詳しく話しを聞いた方がいいと思うんだけど、どう?」  陽彦は今後の事を考えると、店の内情や健留との関係を知っている巽には、話しを聞いてもらった方がいいと思った。 「そうですね…じゃあ、19時にあそこのファミレスでいいですか」  陽彦は窓から見えるファミリーレストランを指さした。 「いいよ。19時ね。悪いけどサンプルお願いしてもいい?」 「いいですよ。すいませんがよろしくお願いします」  巽は神崎もこんな時に限って余計な事を言ってくる、と心の中で舌打ちをした。  その後で、有希也に連絡をした。  巽は一旦帰って、出張で空けていた家の掃除でもするかと、挨拶をしてオフィスを後にした。  19時  夕食の時間帯もあって、ファミレスはほぼ満席であった。陽彦はまだ来ていないようだったので、巽はレジ横のボードに名前を書いて、表で待つ事にした。 「お待たせしました」  息を切らして 陽彦がやって来た。 「俺もさっき来たとこ。店の中満席だったから名前は書いといたよ」 「すいません」  程なく、名前を呼ばれ、窓際の席に案内された。  タッチパネルで陽彦はオムライス、巽はカレーを注文した。  巽から切り出した。 「本当に店辞めるの?っていうか間違ってたらごめんだけど、健留君と別れるの?」 「そうです。昨日健留に言いました。別れたいって」  巽は何となくそういう話しになるのではないかと予測はしていた。  その理由を聞いた方がいいのか迷ったが、店の経営にも関わることでもあると判断し、聞くだけ聞いてみた。 「話せる範囲でいいんだけど。どうして別れる事にしたの?」 「健留から聞いているかもしれませんが、俺のうち、ちょっと普通じゃないというか、あんまり無いと思うんですが」  そんな話しは聞いたことはなかった。 「俺の父は大学教授、母は小児科医、二人の兄は、弁護士と外科医、姉は皮膚科医で妹が去年からCAです。で俺は三流大学卒」 「凄いね、ハル君のご家族」 「そうなんですよ。自分で言うのもアレですが俺以外は揃いも揃ってエリートです。でも家族は誰も俺だけこんなのでも何も言わないんです。特に母はあんたは普通で私達がおかしいのよって。世間の基準は俺だって言うんです。変わり物の母なんですけど、家族の中では引け目を感じた事はなかったんです。でも親戚や近所の人は好き勝手言ってましたけどね。健留は高校の一年先輩で、あんな性格だから俺の家族の事を聞くと、勝手に辛いよななんて言ってくるし、事ある毎に俺を守ろうとしてくるんです。で俺の事好きなんだなって思って、そこからの付き合いになったんです。健留がアメリカに行ってる時も、たまに俺もそっちに行ったりして、で日本に帰ってきてからファリナさんにもお世話なって『SATH』を立ち上げて。なんかその頃から健留は変わったというか、人と自分を比べるようになったんです。俺の家族の話しになると、お前はお前だとか、家族と比べることはないからなんて言っておきながら、店の立ち上げ前に、巽さんや梨花さんの仕事っぷりを間近に見て、自分はダメだとか、どうやったら巽さんみたいになれるんだろうとか、そんな事ばっかり言って。俺達が思うようにすればいいって言っても、それじゃ全然だめなんだって言う始末で、オープンした後は、俺の意見は全く聞き入れてくれないし、何か困ったら、俺じゃなく、巽さんや梨花さんに相談して、俺はただ決まった事の事後報告を受けるだけで。あんなに俺達の店を作ろうって言ってたくせに」  陽彦は今までの鬱憤を晴らすかのように一気に捲し立てた。  店を軌道に乗せようと、神崎や巽は尽力したが、その裏で陽彦は悩んで辛い思いをしていた事を知って、巽は胸が痛んだ。 「ごめん、ハル君。そんな辛い思いをしてたなんて知らなかった」 「ううん。巽さんや梨花さんのお陰で店は順調なので、感謝してます本当に。ただ健留が変わったんです」  注文していた料理が運ばれてきた。  陽彦はオムライスを突きながら、巽を見た。 「それに、最近すごく仲のいい人もできたみたいで、その人もちょくちょく店に遊びに来てて。健留と楽しそうにしゃべって」  巽のカレーを食べる手が止まった。 「今までも、高校の友達とか店に来てくれたけど、あそこまで楽しそうにしてる健留を見た事ないし。この間なんか、にやけて冗談言って肘で突いたり。その人も健留のこと好きなんだろうなって思えてきて。店に来る度どんどん艶っぽいっていうか、色っぽくなって。いつもニコニコして、幸せオーラ全開で。」  巽は陽彦が話してるのは、有希也のことだと確信した。 「そのうち、健留とその人は付き合うだろうし、だったら俺は邪魔者でしょ?そうなる前に俺から別れてやろうって」    陽彦は投げやりな言い方をした。  陽彦はかなり勘違いをしているが、今ここでその恋敵は、俺の恋人だと言ったとしても、余計に混乱をさせるだけだと巽は思った。  店の経営で不満はあるにしても、別れると決めた要因はおそらく有希也に対する健留の態度と認めたくないが有希也の変貌。  健留は男の恋人の話しを気兼ねなくできる有希也の存在が嬉しかったのだろう。    元々のお調子者の性格も手伝って、いつもより、はしゃぎ過ぎたのかもしれない。  一応巽は最後に聞いてみた。 「でも、その人とは単純に気が合う友達って事はないの?」 「ないですよ。健留はいくら仲がよくても、俺以外の人を下の名前で呼ばないですけど、なんだっけな…あっユキヤだ。その人が初めて店に来た時からユキヤ君ってそう言ってましたよ」  巽は有希也にはもう嫉妬はしないと言ったが、目の前でリアルな話しを聞くとまた心がざわめき始める。  あの時、泣きながら怒って、そして最後は泣き顔でキスをしてくれたのに、また嫉妬をし始めている自分が情けなくなった。 「ハル君の気持ちはわかったよ。でも別れるにしても健留君の話しを聞いてからでも遅くないと思うよ」  巽は当たり障りのない事しか言えなかった。  陽彦と別れたのは21時前だった。  有希也が健留と会うのは閉店後の21時過ぎだろう。  それから今晩中に有希也に会うとしても、まだ時間は先だった。  巽は時間潰しと、気持ちを落ち着かせるために、お気に入りの喫茶店へ向かった。

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