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第46話 巽の過去

 巽が初めて男と触れたのは、高一の夏だった。  幼い頃から水泳教室に通い、中学生の頃は水泳教室に属しているクラブチームで指導を受けながら、大会でもそこそこの成績を出していた。  そして高校は水泳の強豪校に入学をした。  巽は生まれ持っての体格とセンスの良さで、入部早々頭角を現していた。  夏のインターハイに向けての予選出場では一年生でただ一人メドレーリレーのメンバーに選抜された。  その事で二年生の先輩からのやっかみや嫌がらせもあり、明らかに練習に集中できる環境ではなくなり、リレーのタイムが落ちる一方だった。  そんな時、引退近い三年の、巽の初めてのキスの相手になる先輩が、女々しくも不甲斐ない二年生の後輩に一喝した。  その後は目に見えての嫌がらせはなくなっていったが、巽を守ってくれた先輩が引退する前に結果を出して、つまらない奴らを黙らせてやると意気込んでいた。  その先輩はまた、時に空回りしそうな巽の熱情を抑え、方向性を誤らないようにもしてくれた。 「巽はさ、いつも自分でなんとかしないとって思っているでしょ。人に頼るのが苦手というか、うまく甘えられないんだよね」  夏休み前の練習後、その先輩、望月と部室に二人だけになった時に言われた。  巽は練習で疲れた身体を椅子に預けていた。 「今まで、頼れるような奴もいなかったんだろうな。何をするにもファーストペンギンでフロントランナーだったんだろ?」  望月は優しい眼差しだった。  巽は何も言えなかった。 (図星だ)  望月は巽の前にある机に腰かけた。 「これが、正しいのかはわからないけど」  と言って、巽の両頬を手ではさんで顔を上に向けた。  まだ湿っている巽の前髪を掻き上げ、おでこにそっと唇を寄せた。 (先輩…) 「無闇に力を入れてもしんどくなるしさ、少しだけしんどい気持ちの抜け道を作るのも大切じゃね?」 「それが、おでこのこれですか?」 「だから、正しいかどうかは分からんって言っただろ」  巽は心の奥で暖かく優しい何かを感じていた。 「じゃあ、望月さん。こっちにも」  巽は冗談めかして唇をすぼめて、突き出した。 「おまえなぁ」  望月は苦笑混じりに身体を屈めると、巽にキスをした。 「あぁ、これで俺達はもう離れられなくなりましたよ」 「アホ」  二人は爆笑した。  静かな部室に笑い声がしばらく響いていた。

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