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第47話 巽の過去 2
望月との関係は特に進展もなく、望月が卒業をすると会うこともなくなった。
巽も大学受験を機に水泳から遠ざかり、進学してからも同じだった。
彼女ができた時もあったり、バイト先の気の合う男友達とごっこ遊びでゲイのふりをしてキスや股間を触り合うこともあった。
大学三年生の時、インターンシップで訪れた会社で、巽の人生は大きく舵を振ることになった。
巽がインターンシップ先で選んだ企業は中堅の食品メーカーだった。
巽はマーケティングに興味があり、海外進出も視野に入れれているその会社で実際のマーケティング体験ができるということで応募した。
巽を担当することになったその男は、リョウダです、よろしく、と物静かに大人の男の貫禄を見せ、巽に名刺を渡した。名刺には菱田孝介とあった。
巽が名刺をじっと見ていると、
「菱田って書いて、リョウダって読むんだよ。菱の音読み。リョウダコウスケ、もう覚えただろ」
「はい。しっかり覚えました。5ヶ月間よろしくお願いします」
菱田は中堅社員の中でも群を抜いて仕事ができる人物だった。
英語は勿論のこと、中国語も堪能で、体格のいい巽よりも更に上背があり、身のこなしもシャープで、絵に描いたようなできる男だった。
菱田は巽にいきなり聞いてきた。
「巽君はスポーツは何かしてたのかな」
「はい。高校まで水泳をしていました」
「だろうね。胸板と肩幅を見てそうかなって思ったよ」
笑いながらではあるが、菱田の巽への視線には、スポーツや単純に体格の話しではない別の意味がある様に思え、何とも言えない違和感があった。
菱田は国内にとどまらず海外進出に向けての経営戦略を学生の巽でもわかるように熱心に説明をしてくれた。
数日後には実際にどの国にどんな需要があるか自分でリサーチして企画書を作るように言われた。
「自由な発想でいいからね。まず自分だったらどうしてみたいかという視点で、考えてみて」
そう言うと菱田は参考になるからと巽を資料室に連れて行った。
書棚には種別分けされたファイルがぎっしりと並べられていた。
巽がファイルに手を伸ばそうとした時、菱田が背後から体を密着させて、巽の股間に触れてきた。
「菱田さん、冗談がきついですよ。やめてください」
と言って菱田の手を払おうとしたが、その手を掴まれた。
「拒むのが遅いよ。普通だったら、やめてくださいの前に突き飛ばすけどね。巽君は今周りに誰もいないかとか考えたでしょ。巽君とは気が合いそうだなって、初めて見た時から思っていたんだよ。仕事以外の事も色々おしえてあげるよ」
菱田は巽のズボンのファスナーを下ろして手を突っ込んだ。
「巽君って、前閉じ派なんだ。こういう時は前開きの方が楽しめるから、明日から前開きにしてよ」
「本当にやめてください。それにどんな下着でもいいでしょう」
「まぁ、いいけど。折角出会ったんだから、楽しもうよ。でも仕事はきっちり教えるからね」
菱田は蛇の道は蛇とばかりに、巽の心の内を見抜いていた。
翌日。
巽は経営会議に同席させられた。
菱田の、上司であっても臆する事なく問題点を指摘し解決に導く辣腕振りに、巽は舌を巻いた。
会議後、菱田は巽に近寄って
「俺に付いていれば、いい勉強になるだろ」
巽は、はい、としか言いようがなかった。
菱田のお触りはあの資料室以降は何もなく、巽はやっぱり冗談だったんだと思った頃、巽の歓迎会をすると菱田から食事の誘いがあった。
数名で居酒屋で飲んだ後、二次会はバーで飲み、その頃は巽も酩酊していた。
酔った巽を菱田がタクシーで送る事になった時、巽は気付くべきだったが、菱田の自宅に連れられて、関係を持つ事になった。
「酔った状態で迫るのは、俺の流儀に反するんだけど、巽君とはこうでもしないと仲良くなれそうにないからね」
菱田は慣れた手つきで巽を裸にして愛撫をした。
「巽君はいつもされるより、する方なんだろ?俺といる時は何も考えないで、俺に身を任せてみて。可愛がってあげるから」
言われた事がない言葉をどう受け止めるか、酔った頭では難しかった。
ただ、菱田の愛撫は感じた事がないくらい優しいものだった。
菱田の手練手管で、学生の巽はあっという間に菱田の魅力に陥ってしまった。
菱田が求めるままに初めてアナルセックスを経験した。
最初はただ辛い行為であったが、菱田を喜ばせたい一心で我慢をするうちに、巽も楽しめるようになっていった。
体が慣れてくると菱田は体格が自分と近い巽だからこそできる体位をあれこれ要求した。
そして毎月決まった頃に菱田の自宅に数日間泊まり込んで、受けと攻めを交代しながら楽しんでいた。
菱田は変わらずキレキレの他を圧倒する仕事振りで、巽への指導も完璧であった。
仕事でも性交でも、巽は菱田に心酔していた。
菱田は意のままになる巽を玩具のように扱い始めていた。
普通の性行為では飽き足らず、器具を使うようになり、徐々に不衛生な行為になっていった。
ある朝、巽は微熱と倦怠感で起きるのが難しく、自宅で静養をする事になった。単に風邪でも引いたと思っていたが、その夜には容態が悪化した。
高熱と倦怠感、肛門部の腫脹と鈍痛。
巽は迷ったが菱田に連絡をして、助けを求めたが、体の良い言葉を並べて断られた。
翌朝、巽はなんとか自力で受診をすると、感染症と診断された。すぐに点滴治療が必要で入院となってしまった。
菱田に入院する事になったと電話で伝えると、心配どころか、毎月のお泊まりが出来なくなる事を残念がった。
巽はついさっきまで心惹かれていたものがすうっと消えていくのを感じた。
そして、あれは凌辱だったと思った。
今更ながら受け入れていた自分を蔑んだ。
巽は看護師に伴われて、入院病棟に移動し、二人部屋に入った。たまたま、もう一つのベッドは空いていたので、実質個室状態だった。
ベッドに横になると、早速、点滴のルート確保のため、腕に点滴針を入れられ、動かないようにテープで固定された。
入院中、巽を担当する医師が部屋に入ってきた。
巽に血液検査の結果を基に治療方針を簡潔に伝えた。巽は同意をすると、医師は看護師に点滴薬の指示を出した。
「ご家族に連絡はしなくてもいいんだね」
白髪混じりの向老のその男性医師は巽の事情を察しているかのように、穏やかに話した。
「数日の点滴で、熱も下がって、尻の状態も良くなるだろうから。じゃ、後は看護師と手続きをしておいて。お大事に」
巽は点滴スタンドにぶら下げられた、数個の点滴バッグを見つめていた。
この数ヶ月間、菱田という男に関わって、仕事と性の対極を同時進行で教え込まれていた。
自分が望んだ末に招いた結果を甘んじて受け入れるが、巽の何が欠落したのか、何に侵されたのか、言葉では言い表せないもどかしさを感じていた。
3日後、医師の診断通り、巽の若さもあり退院できるまで回復した。最後の回診で医師は巽に諭すように言った。
「私は別に人の趣味嗜好に言及するつもりはないんだが」
と前置きをして、巽の目を見て続けた。
「いいかい。自分の身を守れるのは自分だけなんだよ。相手のせいでもない、自分の甘さで今回のような大変な事態になってしまう事もある。その事をしっかりと肝に銘じておいてほしいんだ。まぁ、とりあえず明日退院していいからね。大事にするんだよ」
巽は、はい、とだけ言うと頭を下げた。
翌日、大学には体調を理由に半月前倒しでインターンシップを終了したい旨を伝えた。
体調もほぼ回復し、巽はレポートの作成に取り掛かった。
菱田に教えてもらった仕事は純粋に今後の巽にとってプラスになることが多くあった。
模擬の企画書作成も勉強になることばかりであった。
巽は真剣にレポートを作成した。
意地になっているのは否めなかった。
体調不良でインターンシップを途中で辞めてしまった為、お詫びとお礼を兼ねて、その会社にレポートを直接渡しに行った。
総務課を訪ねると、人の良さそうな課長が出迎えてくれた。
「わざわざありがとう。もう体調はいいの?菱田からは風邪をこじらしたと聞いていたんだけど、元気そうだね」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。担当してくださった菱田さんにもよろしくお伝えください」
「せっかくだから菱田にも会っていって。アイツ再来月に結婚するらしくて、で来月社内の有志でお祝いの会をするんだ。よかったら巽君も出てよ」
巽は出席の返事は曖昧にして、菱田のいるオフィスに向かった。
菱田はボールペンで書類を突きながら、何かについて言い合っていた。
その相手が、巽の姿に気付き、菱田を促した。
「お世話になりました。菱田さん。さっき総務課長さんにインターンシップのレポートをお渡ししてきたところです」
「そうなんだ」
菱田は巽をオフィスの外に出して、誰もいなさそうな場所に連れて行った。
「総務の課長おしゃべりだから、聞いたかな?俺の結婚のこと。参ったよ、まさか子供ができたなんてさ…妊娠危険日の辺りは巽君と楽しんでいたのに。脆くも作戦失敗だよ。これからどうしようかな…巽君さえよかったらさ、まだ続けない?この関係」
「菱田さん、結婚おめでとうございます。これからは奥さんとどうぞお幸せに。関係はこれで終わりですよ。僕もこれから就活や卒論の準備で忙しくなりますし。さっき、課長さんにお渡ししたレポートよければお目通し下さいね。大学にも報告しなければいけないし。ではお世話になりました」
菱田は、そう、じゃあね、とあっさりとオフィスに戻って行った。
もう意のままにならないと判断すると、切り捨てるような態度だった。
数日後、巽が出したレポートは、担当職員からのコメントとして、ありきたりの言葉1行が記入されて戻ってきた。
巽のバイトの友人が、そんな巽を心配し元気付けようとして連れて行ったのが、ジュリアンだった。
その当時はユミママも血の気が多かったのか、巽の話しを聞いて
「まぁ酷い。そんな男のポコチンは昔あった事件みたいにちょん切っちゃえばいいのよ」
と怒りを露わにした。
そして巽を慈しむように言った。
「洵ちゃんも辛かったわね。でもね、いつか忘れられる時がくるし、いつか、忘れさせてくれる人が現れるのよ」
ユミママの野太い声は巽の琴線に触れ、その時だけは泣いた。
「洵ちゃん見て。これがあなたの辛い心とするでしょ。とにかく、そんな事には蓋をするのよ」
ママは巽が飲んでいたハイボールのグラスの下に敷いているコースターを、そのグラスの上に置いて蓋をした。
「ほら、もう飲めないでしょ。飲まなくていいの、わかった? ニコちゃん、洵ちゃんに新しいのをお願い」
ニコは静かに新しいハイボールを提供した。
「これは、アタシの奢りよ」
「ママ、ありがとう。もう大丈夫だよ。この先気付いた時にはこのグラスの中は空っぽになってるよね」
ママは和かに頷いた。
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