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第2話 約束②
翌日、咲人は朝から自宅近くの図書館にいた。
勉強嫌いの咲人は普段、こんなところへ来る機会がまったくない。そのため入るのに凄く緊張したが、それでも、吸血種について詳しく知りたかった。専門書をぱらぱらと読んで、いくつか分かったことがある。
まず、吸血種の食事は基本的には『血液のみ』だということ。
肉野菜の食事を摂ることもできるが、吸血種に必要な一番の栄養素は『人間の血液』でしか摂取できないのだ。
次に、彼らにとって、吸血行為はとてもプライベートなものであるということ。
その行為は人の目に触れないところで、慎ましく行われるのだという。
咲人が実際に血を摂取 しているところを見たことがなかったのは、おそらくこのためだ。
そして当たり前のことだが、同意なしの吸血行為は禁じられている。
これは吸血種たちの間では固い掟 として掲げられているらしいのだが、現状そういった行為に対する政府からの厳しい取り締まりはないらしい。そのため、実際の被害件数はほとんど把握できていないという。やっぱり、人間の方が格下だから……ということなのだろうか。
しかしそういった被害を増やさない為にも、吸血種の人たちへは政府からきちんと血液パックが配給されている。おそらくほとんどの吸血種たちは、この血液パックで生活しているのだろう。
──じゃあ、どうして理央はあんなことを……。
調べてみても、動物への吸血行為に関する詳しい情報は見つからなかった。
その昔、吸血鬼たちが飢えを凌 ぐ為に動物の血を摂取 していたという記実 は見つかったが、現代ではそれを行う必要も無くなったのだろう。
理央は血に飢えていた。
それに、理央の体は同い年にしては細く、体つきは咲人よりも頼りなかった。
血液パックだけでは足りていないのだろうか。もしかして、見た目に反して大食らいとか?あるいは……なんらかの理由で、血液パックが摂取 できていない。
咲人は理央と出会った日のことを思い返す。
理央はあの日、家に帰らなかった。公園で一日過ごしたということだ。もし咲人がそんなことをしたら、母さんは酷く心配するだろうし、すぐ大騒ぎになっていると思う。
だから咲人は理央に聞いたのだ。「家に帰らなくて平気だったの?」と。そうしたら理央は、「大丈夫」と答えたのだ。あれは一体どういう意味だったのか。
咲人は重たい専門書を棚に戻して、図書館を後にした。
それから再び理央に会えたのは、数日後のことだった。
学校が終わり、今日はまっすぐ家に帰ろうと通学路を歩いていた咲人。
理央と出会った公園に差し掛かった時、何人かの児童が集まって口論しているところを目撃した。見たところ、咲人の学校の生徒ではない。でもその中心には、理央がいたのだ。
「オレ知ってるぜ。お前、親に捨てられたんだろ?」
「俺はこいつが野良猫の血ぃ吸ってるところ、見たことある!」
「やば、あっち行けよ吸血鬼野郎!!」
連中そう言って、理央に砂や泥水をかけ始めたのだ。
それを見た瞬間、咲人は理央の元へ向かって走りだしていた。
「っ……なにしてんだよ、お前ら!!!」
咲人は理央を庇うようにして、前に立った。
目の前の連中は、見知らぬ人間の登場にさぞかし驚いているようだ。
だが理央は咲人に気づいているのかいないのか、何も言わない。
「なんだよお前っ……こいつの知り合いか?」
「気をつけた方がいいぜ、そいつはただの吸血鬼だから!」
「そーそー。こいつ親に育児放棄されてて、餌もらえてねーんだよ」
「学校でもいつも一人ぼっちでさぁ」
どうやら理央と同じ小学校の生徒のようだ。
奴らは言いたい放題言っているが、理央はなおも俯いたまま、何も言い返さない。
「……理央、立てるか?」
咲人は連中らの言葉は無視して、泥だらけになった理央の体を支え、立ち上がらせた。
その瞬間、咲人の体にも泥水がかけられる。
しかしそれも無視して、咲人は理央の手を取り、歩き出す。
奴らは後ろでまだ何か叫んでいるが、聞こえないふりをする。
理央の方を確認すると、彼は無表情のまま、自分の手と繋がれた咲人の手を見ていた。
それからもずっと黙ったままの理央の手を引いて、咲人は自宅へと繋がる道を歩いた。
家に着くとまず、母親に驚かれた。そしてすぐに二人は風呂場へ放り込まれた。
うちの母親の勢いにはさすがの理央もびっくりした様子で、そんな理央を見れたことがちょっと嬉しい。しかし脱衣所で理央の裸を見た瞬間、咲人は言葉を失ってしまう。
服にちょうど隠れる場所に付けられた、痣や傷跡。それらは全身に広がっている。
理央はそれを隠すことなく、泥水に汚れた自分の体を洗っていた。
「……咲人?」
「うっ……うぅ………っ」
気づいたら、咲人の目からは涙が止まらなくなっていた。
それを見た理央は不思議そうに、少し戸惑ったような顔をする。
「どっか痛かった?ごめん、僕のせいで……」
理央の言葉を否定するように、咲人は頭を横に振る。
「……なんでもないよ、これ終わったら一緒に遊ぼうな」
そう言って、お互いの体を洗いっこしながら、咲人は涙も一緒に洗い流した。
風呂から上がって脱衣所を出たところで、理央は早速ちびすけに威嚇 されていた。
ちびすけとは、理央に血を吸われていた子猫のことだ。今はすっかり元気になって、咲人の家で飼われている。
「……ごめんね」
理央は申し訳なさそうに、ちびすけに話しかけていた。
「ちびすけ、理央は悪い奴じゃないんだよ。だからもう仲直りな?」
そう言って首元を撫でてやると、ちびすけは「仕方ないから許してやる」と言った顔でお気
に入りの場所へと戻っていった。
「うち、動物病院やってるんだ。病院は隣で、うちにはちびすけしかいないけど……もしかして動物、苦手だった?」
「ううん、大丈夫」
──良かった。理央は動物が嫌いなわけじゃないんだ。
それがわかって、咲人は安心した。動物が嫌いだから、ちびすけの血を吸ってたわけじゃない。理央はただ……生きることに必死だっただけだ。
二人でリビングに顔を出すと、母親が忙しそうに仕事の支度をしていた。
「あ、咲人。お母さんもう病院の方戻るけど、何かあったら呼んでね?理央くんも、うちでゆっくりしてきなさい」
そう言って母は理央の頭を撫で、慌ただしく家を出て行った。
理央はというと、たった今撫でられたところに手を置いたまま、放心状態。玄関のドアが閉まっても、しばらくその場から動かなかった。咲人はそんな理央の手を、優しく引いた。
「理央、俺の部屋で一緒に遊ぼう」
二階の自室に入ると、咲人はさっそくゲーム機を取り出す。
「このゲーム面白いから、一緒にやろ!」
そう呼びかけるも、理央は入り口に立ったまま物珍しそうに部屋の中を見渡していた。
その姿をしばらく観察していると、理央の目がある一点で止まった。
「何か珍しいものでもあったか?」
理央の側に行きその視線を追うと、そこには咲人の家族写真が飾られていた。
「あー……これがさっきの母さんで、これが父さん。こっちがお兄ちゃんだよ」
「咲人には、兄弟がいるんだ」
「うん。でも兄ちゃんは遠くの高校に通ってて、たまにしか会えないんだ」
咲人の脳裏に、歳の離れた優しい兄の姿が思い浮かぶ。
長期休暇しか帰ってこない為、最後に会ったのは夏休みだった。
「……あ、そうだ。兄ちゃんの通ってるところは月ノ宮学園って言って、全寮制の学校なんだ。ここなら理央と、ずっと一緒にいれるかもな」
「……ずっと?」
「うん、多分門限とかないし。毎日会えるよ」
咲人がそう言うと、理央は小さな声でまた同じ言葉を呟いた。
「あ!でもここ、すごい頭いいとこなんだって。俺、入れるかな……」
「……じゃあ、僕が教えてあげる」
理央がランドセルから取り出したのは、花丸だらけのテスト用紙だった。
「えーー!すご……理央って頭良かったんだ!」
「まあ……勉強は好きだから」
「うわぁ、俺とは真逆だー」
咲人は直近のテスト結果を思い出し、げんなりする。そうやって咲人が落ち込んでいるうちに、理央はせっせと勉強道具をテーブルの上に広げていた。
「理央、ストーーップ!」
咲人がそう叫ぶと、理央は手を止めてこちらを見た。
「勉強もしないとだけどさ……まずは一緒に、ゲームしよ?」
そう言って、先ほど取り出したゲームを理央に見せた。
「うん……わかったよ」
理央は少し呆れたような、嬉しそうな顔をしていた。
初めて見るその表情になぜか、咲人の胸が高鳴った。
たった今、咲人たちの目の前では熱いバトルが繰り広げられている。
「理央、そっち!そっちに敵行ったよ!」
「了解」
二人は共闘し、自分たちの陣地を増やしていくゲームに熱中していた。
ゲームをやるのは初めてだと言っていたのに、理央の打った弾はすべて狙い通り敵に当たっている。
勉強もできて、その上ゲームも上手いだなんて。理央のポテンシャルの高さに咲人は驚かされた。
そうしてしばらくの間ゲームに没頭していると、隣に座っていた理央に小さな声で呼びかけられた。
振り向くと、手で胸を押さえながら、先ほどよりも荒い息遣いをしている理央がいた。
「血が……欲しい……」
「あっ……わ、わかった!」
咲人はすぐに手を止めて、理央の前に移動する。
理央に血を差し出すのは、これで二回目だ。一回目の時と違って今は少し冷静である分、なんだか緊張してしまう。咲人は着ていたシャツのボタンをいくつか外すと、その首筋を晒した。
「一応、服に隠れるところ……で」
そう言葉にした瞬間、風呂場で見た理央の体を思い出してしまい、胸が締め付けられた。
理央はすぐに咲人の首元、鎖骨に近い部分へと舌を這わす。それがくすぐったくて、咲人は思わず声を漏らしそうになってしまい、慌てて口元を掌で塞いだ。しばらくして、肌に理央の牙が突き刺さる感覚。その傷跡から流れ出した血液を、理央は何度も何度も舌で舐めとる。
「……っ………んっ」
「……………ありがとう」
あっという間に理央の唇は離れて行き、咲人の体は解放された。
「……咲人、大丈夫?」
なぜか今度は、咲人の息の方が上がっていた。咲人は息を大きく吐いて、呼吸を整える。
「ん……大丈夫」
心配そうにこちらを見つめる理央の瞳には、自分の姿が映っている。
それはまるで、理央の瞳の中に囚われてしまったような感覚だった。
それから咲人は放課後になるとまず、あの公園に向かった。
学校が終わったら、待ち合わせ。それが理央との約束だった。
公園で理央と合流したら、そのまま咲人の家へ一緒に向かう。
咲人の家に着いたら、まずは宿題を片付けて、終わったら一緒にゲームをする。この流れが二人の日課になっていた。
「理央の学校ってもしかして……俺の学校より頭良いの?」
咲人は理央が使っている教科書を見て、驚愕した。
咲人たちは今、小学五年生だ。しかし理央が持っていた教科書には、高等学校と書かれている。
「ううん、これはうちの学校のじゃないんだ。図書館で借りたやつ」
「なるほど、図書館で……じゃなくて、なんで理央が高校の教科書やってんの!」
理央の使っているノートには、咲人には理解不能な数式がたくさん並んでいた。
咲人が信じられないといった顔でそれを見つめていると、理央がぽつりと呟いた。
「咲人と……同じ高校に行きたいから」
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