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第5話 約束⑤
授業終わりのチャイムが鳴ると、教室内は一気に響 めき始める。
次の授業は体育のため、この小休憩は慌ただしい。咲人も着替えるために、友人らと隣のクラスへと移動する。友人と談笑しながらズボンを履き替えていると、咲人はいつの間にか付けられていた吸血痕の存在に気づいた。
──そういえば昨日、理央にここから吸われたんだっけ。
昨日、足の怪我を手当てし終わった後。その場所と同じところを強く噛まれた。
最近の理央はそんな風に、自分の傷の場所と重ねて咲人の血を吸うようになったのだ。
咲人がもたもたしている間に友人らは着替え終わったようで、急いで身支度をする。
「おーい咲人、先行ってるよー」
「あ……うん!」
教室に一人取り残された咲人はいつも持ち歩いている絆創膏を取り出すと、その傷を隠すように貼り付けた。
今日の体育はドッジボールだった。咲人はこれが得意なので、俊敏 にコートの中を逃げ回る。周りの声援に応えるように反撃もしつつ、咲人は試合を楽しんでいた。そうやって楽しみながらふと、「理央は体育の日、どうしてるんだろう」と思った。
理央はいつも長袖長ズボンだけど、体育着に着替えたらあの傷は絶対に見えてしまうだろう。
やっぱり、見学しているのだろうか。理央が一人遠くから授業を見ているところを想像してしまい、咲人の胸がぎゅっと痛んだ。
気づけば咲人だけが最後まで生き残っていて、チームを勝利へと導いた。
解散となったところで、数名の生徒たちが後片付けをし始める。咲人も体育倉庫へボールを戻しに行くと、その中には下級生の男の子がいた。次の授業の準備をするためか、棚の上にあるカゴに手を伸ばしている。そのせいで、隣に置いてある箱がグラグラと揺れ始めた。
「っ危ない!」
咲人は急いで男の子の手を引くと、その箱を自分の体で受けた。
「……っ、大丈夫?怪我はない?」
咲人がそう聞くと、男の子はこくこくと頷いた。その様子に安心した咲人は、男の子が取ろうとしていたカゴを手渡した。倉庫から出ると、物が落ちる音が聞こえたのか、先生や友人たちが心配して見に来てくれていた。
「大丈夫、箱が落ちちゃっただけだから」
咲人はそう笑ってその場を収めようとしたが、先ほどの男の子に話しかけられた。
「お兄ちゃん、血」
「……え?」
「血出てるよ、腕のとこ!」
指摘されたところを確認すると、確かに血が流れている。
肌に沿って流れた血が床に垂れてしまうくらい、傷口はぱっくりと切れていた。それを見た周りの人たちは大騒ぎしていたが、咲人は床に落ちた自分の血を見て「ああ、もったいないな」なんて思ってしまった。
咲人は保健室で手当てをしてもらってから、教室に戻った。
教室に戻ると、友人らがさっきの試合を讃えにきた。
「てかあんだけ血出てるのに気づかないとか、咲人どんだけ強いんだよ!」
「あはは……ちょっとぼーっとしてたみたい」
「大丈夫かよー」
そんな風に誤魔化して、咲人は何も無かったかのように過ごした。
こうやってどんどん、自分の体は痛みに鈍感になっていくのだろうか。
いや……痛みを感じていても、気づかないふりを続けて行くのだろうか。
──理央もそうやって、自分を守ってきたのかな。
じめじめとした梅雨が明け、今日は朝から熱中症予報が出ていた。
首筋から次々と流れてくる汗を拭っているうちに違和感を感じて、咲人は顔を顰 める。
タオルを確認すると、鮮血が線を描いていた。どうやら治りかけのかさぶたに当たってしまったようだ。
ここのところ咲人の体には、いたる所に噛み跡が残っていた。
理央と共有しているあの行為が、ヒートアップしてしまっているからだ。
そろそろ本格的に夏がやってくる。暑がりな咲人がボタンを首元まできっちりしめていたら、家族や友達に不審に思われてしまうだろう。
理央の行為を抑えられるような、なにか良い方法はないのだろうか。
そんなことを考えながら歩いてると、いつの間にか公園に辿り着いていた。
園内をぐるっと見渡し、ベンチにランドセルを置いて佇む理央の姿を見つける。
「理央!きたぞ」
「……うん」
理央は頬に痣を作ってきたあの日から、あまり元気がない。
たまには息抜きしようとゲームに誘ってみても、前のように楽しんでもらえない。
理央は目に見えてわかるほど、疲弊していた。
でも今日はいつも以上に、元気がない気がする。
普段真っ白な理央の頬は赤く、目は虚 ろだ。
「理央、もしかして熱中症になってないか?」
「……気持ち……悪い」
そう言って、口元を押さえる理央。咲人は理央の背中をさすってやりながら、熱中症になるまでここで待たせてしまったことを後悔していた。
「家まで歩けそう?」
「ん……」
咲人は理央の体を支えながら、ひとまずすぐ近くの咲人の家に避難させることにした。
リビングのソファに理央を寝かせると、咲人は冷蔵庫からありったけの氷を持ち出して、理央の体を冷やした。
「待ってて、今母さん呼んでくるから」
「………いい」
そう言うと理央は、咲人の手をぎゅっと握ってきた。
「咲人……ここにいて」
「……わかったよ」
咲人はその場に腰を下ろすと、理央が眠りにつくまでそこにとどまった。
熱中症の場合は水分を多く摂ったほうがいいと聞く。
この場合、理央にも水を飲ませたほうがいいのだろうか。
理央が眠りについたのを確認すると、咲人はキッチンへと足を運んだ。
冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した後、咲人はふと思い立った。
目当てのものを無事に見つけ出し、さっそく準備に取り掛かる。
咲人は慣れない手付きで、りんごの皮を剥き始めた。
体調が悪い時はいつもこうやって母がりんごを剥いてくれるのだ。
「確かこんな感じで……」
母の姿を思い出しながら得意げに皮を剥いていた咲人だったが、勢い余って指先まで刃を滑べらせる。
「いっ………!」
傷口からぽたりと垂れ始めた咲人の血が、剥いたばかりのりんごの実を赤く汚していく。
洗い流せば平気か?いや、さすがにだめだろう。でも風味が出て理央的にはいいのかも……?なんてことをぐるぐると考えていたら、後ろから物音が聞こえてきた。
うるさくて起こしてしまったのか、理央が目をこすりながらこちらへやってきたのだ。
「り、理央!寝てなくて大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫……咲人、何やってるの?」
咲人は唸りながらなんとか誤魔化せないかと考えたが、結局理央に手元を覗かれてしまう。
「いやあの……ちょっと……失敗して。血が混じっちゃったんだけど……」
正直に隠していたりんごを見せると、理央はこくんっと喉を鳴らした。
「……それ……くれるの?」
「え……これでいいのか?」
咲人がそう聞くと、理央はりんごに目を向けたまま頷いた。
二人でソファに戻ると、咲人はりんごを一つ手に取って、理央の口元までそれを運んだ。
理央は咲人の手を掴むと、味わうようにゆっくりと咀嚼 し始めた。
一つ食べ終えると、咲人の傷ついた指先まで舌で舐めとってくる。
「咲人、もっと欲しい」
理央はそうやって、咲人の血がかかった赤い果実をねだった。
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