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第7話 残された絆①
──高一・春
綾瀬咲人 がこの世で一番嫌いなことといえば、勉強だ。
咲人は生まれた時から勉強が苦手だった。勉強よりも体を動かすことの方が得意だったし、そっちの方が女子からもモテた。
でも理央と出会ってから、勉強をすることに意味を見出した。
理央と別れたあの日、咲人は親友と同時に頼れる先生を失ってしまった。
今思い返せば理央は本当に優秀だった。
吸血種の人たちは元々頭が良いらしいのだが、理央は咲人が出会った『先生』のなかで一番教え方が上手かった。
理央との時間をもっともっと大切にしていれば良かったと、後悔するほどに。
つまるところ、理央がいなくなってから咲人の成績は、見る見るうちに元に戻ってしまったのだ。
周囲の人間には当たり前のように「志望校を下げたほうがいい」と言われた。
優しい兄にさえ、咲人には難しいかもしれないな……と遠回しに「やめとけ」と忠告された。
それでも咲人の強いこだわりを見て何か察したのだろう、家族は全力で協力してくれた。
そう、自分はものすごく頑張った。血の滲むような努力を経て、なんとかギリギリの成績で月ノ宮学園 に入れたのだ。
都心部から離れた山奥にひっそりとそびえ立つ、月ノ宮学園。
ここはただの全寮制ではなく、日本では数少ない吸血種寮が存在する。
吸血種の生徒数が多くて、そのぶん学力のレベルも高い。咲人が苦労した理由は、一般の生徒にも同等の学力が求められるからだった。
一般生徒に人気な理由は、授業レベルの高さだ。そして、月ノ宮学園の外観や制服はあまり見かけないロイヤルな作りになっているため、それも人気の一つらしい。
だが咲人にとって、そんなことはどうでも良かった。
校則がどんなに厳しくても、学食がどんなに不味くても(実はかなり美味しいらしい)咲人には何一つ関係ない。
咲人は明日、念願の月ノ宮学園に足を踏み入れる。たったひとつ、理央に会えることだけを信じて。
一般生徒が生活している『上弦寮 』は、正門から入って右手奥側に位置している。
対して吸血種が生活する『下弦寮 』は校舎を挟んで左手奥側にあり、両生徒は簡単に行き来が出来ないような造りになっている。
自分が入寮する上弦寮に着いた咲人は、実家から届いた荷物を整理していた。
しかしその動きは鈍く、しゃがんで作業をしている咲人の体は、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
部屋の窓からはちょうど、桜の木が見える。咲人は桜の花びらが風で飛んでいくのを見ながら、「ああ、俺もこのまま遠くへ飛んでいきたい」と思っていた。
すると突然ドアが開く音がして、咲人はそちらに振り返る。
玄関に立っていたのは、自分よりも少し背の高い、人が良さそうな好青年。
「どうも、同室の北見です。君は綾瀬……だよね?」
「あ……うん。綾瀬で合ってるよ」
北見大和 。さっき確認したルームプレートにそう書かれていた。彼は今日から一緒に生活していく、ルームメイトだ。
「一年間よろしく……って、入って早々なんでそんな死にそうな顔してるの?」
「いや……これは気にしないでくれ……」
「いやいや、そう言われると逆に気になるんだけど」
咲人は「ははは……」と愛想笑いをしながら、先ほど何度も目を通してぐしゃぐしゃになった一枚のプリントに目を向けた。
入学式を明日に控えた今日、入寮と同時にこのプリント……クラス名簿が校舎前で配られたのだ。
いきなり?もうここで?と内心焦ったが、咲人は周囲にいる生徒たちの姿も気にしつつ、ドキドキしながらクラス名簿へと目を向けた。
結論から言うと、クラス名簿の中に理央の名前は無かった。
理央の苗字は『緋良 』だったが、変わっている可能性も考えて『理央』の二文字を必死に探した。
自分の名前なんてそんなの後回しで、上から下まで何度も何度も血眼になって探した。
それでもやっぱり、理央の名前はどこにも無くて。
目の前の現実が受け入れられず、放心状態になった咲人は、しばらくその場から動けなかった。
自分が放心している間にも、周囲の生徒たちは期待に胸を膨らませた表情で校内へと向かっていく。
後ろからやってくる生徒たちも、軽い足取りで咲人を追い越し、前に進んでゆく。
自分の立っている場所だけ、時が止まったようだった。
そうして立ち尽くしているうちに、だんだんと色んな感情が溢れ出してきた。
なんで。どうして。約束したじゃないか。またここで会えると思っていたのに。悔しい。悲しい。寂しい。
ひょっとしてあの約束は、子ども同士の単なる口約束に過ぎなかったのか。ここまで信じていたのは、自分だけだった?
咲人は首筋の痣に手をやる。あの日からずっと、咲人の首には包帯が巻かれている。
今まで誰にも見せたことがない、咲人と理央だけの秘密。二人の約束の印。
その約束が破られてしまったことへの、深い悲しみ。
そして、これから始まる学校生活への漠然とした不安。
たとえ理央が隣にいなくても、咲人は三年間ここで過ごさなければいけないのだ。
まるで、迷子になった子どものような気分だった。
それからなんとか自分の部屋までは辿り着いたが、今もまだ、現実味があまりない。
「あー……つまり、一緒に通うはずだった親友が落ちたかもしれない、と」
目の前で腕を組みながら、北見はそう言った。
咲人が事の経緯を簡単に話したら、北見は真剣に聞いてくれた。
「いや、落ちることは……一〇〇%ないと思う。俺よりもずっと頭良かったし……」
「それじゃあ学費の問題とか」
「どうだろう……でも特待生なら学費免除があるし、あいつはそれくらい……いや多分それ以上に優秀だった」
そう。だって理央はあの頃既に大学レベルの問題を咲人の隣ですらすら解いていた、恐ろしい子どもだ。
「……ま!きっと親友なりの何か理由があったんだろ。綾瀬の親友はここにはいないかもしれないけどさ……俺らは今日から友達だし。てか、俺も外部生だからさ。同じ外部生同士、明日からよろしくな」
そう言って手を差し伸べ、自分を励ましてくれる北見。
だめだ、北見の優しさに涙が出そうになってきた。
咲人は北見の手を取り、二人はぎゅっと固い握手を交わす。
「……うん、ありがとう。これからよろしく!……あ、そうだ。北見は何組だったの?」
「俺も綾瀬と同じBクラスだよ。クラスも一緒とかラッキーだよな。色々助け合えるし」
「俺たちクラスも一緒なんだ!良かった……結構不安だったんだ」
「あー、わかる。なんかこう……みんなわりと、ビシッとしてるよな」
「そう、なんか場違いな気がしちゃって」
「はは、でもみんな内心そんなもんでしょ。明日入学式が終わったらさ、学校のなか色々見てみない?」
「そうだね、時間あるし」
……良かった。北見のおかげで、明日からなんとかやっていけそうだ。
こうして咲人の辛く悲しい、月ノ宮学園での初日が終わった。
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