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第17話 残された絆⑪
どんなに暗いところまで落ちても、結局夜は明けてしまう。
あの後、咲人は理央に『体調が悪くなったから帰る』と置き手紙だけ残して、自分の部屋に帰った。
勉強する気には到底なれず、本当に体調が悪くなったみたいにベッドから起き上がれなかった。
それから気づいたら眠っていて、いつも通り北見のアラームの音で目を覚ました。
スマホを見ると、理央からメッセージが何通か。
待ってると言ったくせに置き手紙だけ残して帰るなんて、自分は最低だ。理央の部屋を勝手に漁った最低野郎でもある。
それなのに、理央からは『大丈夫?』『明日休む場合は連絡してね』なんてメッセージが送られてきていた。
こんな心配までかけてしまって、もう理央に合わす顔がない。結局咲人は『大丈夫』とだけ理央に返した。
ぼーっとする頭で、校舎までの道を歩く。旧校舎に通りかかったところで「おい」と声をかけられた。
「長谷川か……なに?」
「……てっきりすぐ逃げ出すかと思ったんだが。なにお前、寝不足?」
「寝不足ではないけど……いや、寝不足なのかも」
「わけわかんねーけど、二度寝なら付き合うぜ」
そう言うと長谷川は咲人の腕を掴み、そのまま旧校舎に引き込んだ。
旧校舎の中は、人気のない教室がずらりと並んでいた。
「何ここ……もう使われてないの?」
「たまに使う時もあるらしいけど、普段は滅多に人は来ねーよ」
そうなのか。まだ綺麗で使えそうなのに、もったいないな。今度理央とこっちでお昼食べてみようかな。
「なあ、お前なんで今日はそんな素直なの?調子狂うんだけど」
「……は?別に俺はいつもこんな感じだ。それにお前は……理央のクラスメイトだろ。嫌いになりたくない」
「へぇ、彼氏気取りか。お前ら絶対ただの友達じゃないだろ」
「友達だよ、理央と俺は。昔から」
「……気付いてねーのか、純粋で可哀想なやつだな」
なんだ、こいつ。なに意味のわからないこと言ってんだ。やっぱり今後はもう無視しようかな。
咲人が訝しげに見つめていると、急に男の纏 う雰囲気が変わった。
「つーか、こんなとこまでのこのこ着いてきて……やっぱお前も気持ちいいことには興味あんだ?」
「何言ってんだよ。俺はお前とそういうことをしにきたんじゃない」
「ほーら怒んなって……それとも神崎に吸ってもらえないとか?」
どくん、と心臓が音を立てる。……違う。理央が自分以外を選んだことが嫌なだけで、俺は理央に血を吸われたいわけじゃ……
「はは、その顔は図星か?かわいい顔してんのにほんと可哀想だね、咲人クン」
窓際まで体を押され、両腕を掴まれた。目の前の大きな体に、逃げ道を無くされる。
「やめ……離せよ」
「今日は力弱いね?すこし吸われるくらい減るもんじゃねーから大丈夫だって」
片方の腕で器用にワイシャツのボタンを外され、咲人の首元が男の前に晒された。
「めんどいし、包帯の上からもらうな?」
そう言って、長谷川の顔が首元に埋められた。
やばい、吸われる。……けど、こいつが血を欲しがってるなら、別にあげてもいいんじゃないか?
少し吸われるくらいなら、本当にどーってことない。自分はそれをよく知っている。だから別に……
咲人が抵抗を辞めたその瞬間、教室のドアがガラリと開けられた。
「同意のない吸血行為は犯罪だよ、長谷川くん」
「……理央?」
教室に入ってきた理央は咲人の側まで来ると、長谷川の腕を捻り上げた。
「っ……すげー怒るじゃん。めずらし」
「咲人に手出したらどうなるか……わかってるよね?」
「こいつが誘ってきたんだよ!俺はノっただけ」
「はぁ?俺は誘ってなんか──」
「君がこの学園でしてきたこと全部……僕が親御さんに話そうか」
理央がそう言うと、長谷川の顔つきが変わった。
「お前……養子のくせに神崎の名前使うんだな」
「当たり前でしょ。君はそこまでのことをしたんだから」
長谷川を掴む理央の腕が、ぎりぎりと音を立てる。
咲人は咄嗟 に、理央の胸に飛び込んだ。
「理央!巻き込んでごめん……でも、長谷川は理央のクラスメイトだろ?だからそんなこと、するな」
理央の冷たい瞳が、咲人のことを見下した。咲人の背中にゾッと、寒気が走る。
理央は長谷川の腕を離すと、咲人の腕を引き、ドアに向かって歩き出した。
「次、咲人に近づいたら……君はこの学園から去ることになる」
去り際に、そう警告した理央。長谷川の腕には、理央の手形がくっきりと残っていた。
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無言で咲人の腕を掴んだまま、どこかへ歩き出す理央。その足取りは下弦寮へと向かっている。
「理央……痛い」
そう訴えるも、理央は黙ったまま腕の力を緩めない。
理央の部屋に着くと、咲人の体はベッドの上に投げ出された。
起きあがろうとしたが押し倒され、理央の顔が近づく。
「旧校舎であいつと何してたの?」
「……話、してた。ごめん俺……理央と昔からの友達だって、あいつに言っちゃった」
「僕が怒ってるのはそこじゃないよ、咲人」
掴まれた腕に力が込められ、その痛みに咲人が呻く。
「自分が何されそうになってたか、わかってる?」
「わか……ってる……っ」
「……そう。じゃああの続きを咲人は望んでいたの?」
「それは……っ、わから……ない」
理央から目を逸らし正直にそう伝えると、頭上からは鼻で笑うような声が聞こえた。
「君は、本当に……」
ギリギリと、腕に力を入れられる。痛い。今まで理央にこんな乱暴に触れられたことは、一度だってない。
「それと……部屋を探すときはもう少し丁寧にやらないとだめだよ」
「……へ」
「僕の部屋で、何探してたの?」
全部、バレてる。でも血液パックを探してたなんて、言えない……言いたくない。
「理央……ごめんなさい……」
「……そっか。それも言えないんだ」
理央の冷たい指先が咲人の首筋をなぞる。
はだけたワイシャツと、解けかかった包帯を見て、理央の目がスッと細められた。
「あっ……」
理央の手によって、首元の包帯が解かれていく。
まだ誰にも見せたことがない、理央だけが知っているその場所。
包帯が全て解かれ、理央の目の前に隠されていたその場所が晒される。
白い肌に広がる赤紫色の痣は痛々しく、同時に妖艶 さを纏 っていた。
「……あの日、何で僕がここまで強く噛んだかわかる?」
その場所をスルリと撫でられ、咲人の脳裏に遠い日の記憶が蘇る。
「最後だったから……手加減してる余裕もなかったんだろ……?」
「違うよ。咲人に僕を刻みつけるためだ。君が……一生僕のものである印がつけばいいと思ったんだ」
そんなの。そんなこと咲人にはわかるはずない。だってこれは、ずっと約束の印だと思っていたのだ。
「君のこの包帯を見るたび、僕はいつも高揚してた。……咲人は僕のものなんだって実感できるから」
理央の顔が首筋に埋められ、咲人はぎゅっと目を瞑る。
それからすぐに、ぬるりとした感触を肌に感じた。痣を舐められた。理央に。
何度も肌を甘く食まれ、強く吸われる。時々あたる尖った牙がそのまま肌に刺さってしまうのではないかと、咲人の体が無意識に震えてしまう。
「んっ……理央……」
噛んで、と咲人が口に出してしまいそうになった時。理央は咲人から離れていった。
「……理央?」
驚いたような顔で、自分の口元を押さえている理央。
「ごめん」
理央は一言だけそう言うと、部屋を出ていってしまった。
校舎から、一時間目の始まるを告げるチャイムが聞こえてくる。
咲人はしばらくその場から動けなかった。
いつの間にか流れていた、涙。でも自分がなぜ泣いているのかが、わからない。
理央を怒らせた。優しい理央をきっと、傷つけた。理央に……血を吸ってもらえなかった。
色んな感情がごちゃ混ぜで、それが涙になって溢れていく。理央に掴まれた場所がじんじんと痛んだ。
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