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第22話 遠い日の記憶①【理央side】

 僕はホストとその客との間にできた子どもだった。  父親は吸血種のホストで源氏名を『(しゅう)』と名乗り、母親は柊のために毎日違う男に体を売って生活していた。  二人が出会ったのは、この街で一番大きなホストクラブ。在籍しているキャストのほとんどが吸血種で、柊はそこのナンバーワンホストだった。    理央の母親は元々会社勤めだったが、柊に貢ぎすぎて借金が膨れ上がり、昼の仕事を辞めて体を売り始めた。  純粋だった母は柊の「あとこれだけ稼いできたら、ホストを辞めてお前と結婚する」という言葉を信じていた。母は柊と本気で結婚できると思っていたのだ。  しかし無情にも月日だけが流れ、どれだけ稼いできても柊はホストを辞めない。そんな柊に対して母は痺れを切らしていた。  柊はまだ若かった母を甘い言葉で誘惑し、売上を伸ばすためだけに母と寝ていた。そうして二人の間に、僕が生まれてしまった。  妊娠が発覚してから母は柊に貴方の子どもだということを伝えていたが、柊はその言葉を信じず、客との間にできた子どもだと思い込んだ。    理央の父親は本当に、柊だった。母にはその確信があった。なぜならこれは、母の計画的犯行によるものだったからだ。  そして母は結婚の最後の切り札として利用するために、僕を産んだ。  それでもなお、柊は理央を自分の子供だとは認知しなかった。  物心ついた頃から理央は母に、「あなたの顔は柊にそっくりね」と言われてきた。  僕自身も柊とは何度か会ったことがあるけれど、幼いながら自分と瓜二つな顔をしている男だと思っていた。    ── 小学五年生・春  畳部屋二間に台所がついた、ボロアパート。それが理央と母親が住んでいる場所だった。  学校が終わり家に帰ると、リビングからは肌がぶつかる音と母の嬌声が聞こえてくる。それが理央の日常だった。  生々しい音が響き渡る廊下を通り抜け、すぐ隣にある自室へと(こも)る。壁を通過して聞こえてくる音を無視して、理央は図書館で借りてきた本を開く。この音を聞き流すことに、体はもう慣れていた。    母とこの街に引っ越してきてからもうすぐ一年が経つが、新しい小学校に入っても結局、周囲の自分を見る目は何も変わらない。  ──まともじゃないお家の可哀想な子  どこへ行っても、自分の扱いはそうだ。  自分が他の家の子達とは違うことに気づいたのは、小学校に上がってからのことだった。  バタンと玄関が閉まる音がする。さっきいた客が帰ったのだ。理央は部屋から出ると、母親のいる居間へと顔を出す。 「……母さん、今日の分は」 「今お母さん忙しいから、後でね」  母は携帯をいじったまま、こちらに振り向いてもくれない。今日も、貰えない日だ。  最近、母は血液パックを渡してくれなくなった。毎月政府から届くそれは、幼い頃から母が管理している。  理央はそれがどこに隠してあるのか知っていたが、勝手に取ると何故かすぐにバレてしまうのだった。  これは後から知ったことだが、母は血液パックを勝手に他の吸血種に売って、生活費の足しにしていたという。  母は自分の思い通りにならないことがあると、すぐ理央に暴力を振るう。  母の怒りが治まるまで、理央はひたすら痛みに耐えなければならない。  でも暴力を振るわれることを、理央は仕方がないと思っていた。なぜなら母さん自身も、酷い暴力を受けているからだ。  客なのか、支援してもらっている男なのか。刺青の入った男たちがたまにふらっと現れては母さんの体を物のように扱い、犯した。  理央は母がそうやって暴力を受けている間も、自室にこもって自分の世界に逃げていた。  泣き叫ぶ母の声と男たちの怒号が怖くて、悲惨な行為を目の当たりにしたくなくて。  そんな時自分にできることは、早く終われと願うことしかなかった。  母が暴力を受けた後は、理央も母に同じことをされる。  痛みは二人で分かち合うもの。理央はそれを『愛情』だと思っていた。    喉の渇きを我慢しながら部屋にこもっていたところ、母が理央の元にやってきた。  「理央、柊のところに行ってきて」  血液パックを手渡しながら、理央にそんなことを言う。母は度々こういう手を使って、柊に会いに行けと言ってくるのだ。  自分じゃもう相手にしてもらえないから、自分達の子どもである理央を差し向ける。  そうやって、母は柊とまだ繋がった気でいる。母は捨てられてもなお、未だに柊のことを愛していた。  柊は相変わらず、ホスト業界にいた。だがプレイヤーは引退し、現在は経営側に回っている。  今でもナンバーワンホストの時から変わらない派手な生活をしていて、こちらの生活には見向きもしない。  理央はそんな柊のことを自分の父親だと思ったことは、一度もない。柊もまた、理央を一度も自分の子どもだと認めてはくれなかった。    電車を乗り継いで辿り着いたのは、都心のとある雑居ビル。ここが柊の職場だ。  理央は裏口に繋がる外階段を、鉄骨特有の音を踏み鳴らしながら登っていく。  目的の階に着いたところで、黒いスーツを着た男が煙草を吸っていた。 「坊や。キミまた柊に会いにきたの?」 「あいつはどこ」 「ごめんね、柊は今忙しくて出れないんだ」  目の前の男は煙草をふかしながら、張り付けたような笑顔でそう言う。 「この間もそう言われた。柊は、どこ」 「……キミも可哀想だよね、あんな人が父親なんてさ」  そう言うと男はポケットから一万円札を取り出し、理央に握らせた。 「ハイ、お兄さんがこれあげるから。これでお母さんの好きなものでも買って帰んな」  煙草を吸い殻ケースにしまうと、男はビルの中に戻って行った。  おそらくこうやって自分を追い払うように、柊に言われているのだろう。あの男はそういう役回りなのだ。  ……可哀想。みんな、理央のことを可哀想だと言う。でも、本当は違う。   「……ただいま」  家に帰ると、待ち侘びていたように母が理央の元にやってきた。 「柊は?柊は元気だった?私のことなんか言ってた?」 「これ……母さんにって」  そう言って手渡したのは、母が大好きな薔薇の花束。駅前の花屋で、理央が買ったものだ。 「柊がこれを私に?本当に?どうしよう、夢みたい!」   母は泣きながら理央のことを抱きしめた。 「理央、大好きよ。あなたが生まれてきてくれて本当に良かった」  そう言うと、母は薔薇の花束を大切そうに飾った。ゴミだらけの狭い部屋に飾られた、美しい薔薇の花束。  母は上機嫌でその花をずっと見つめている。理央はそんな母を見つめた後、黙って自室に戻った。  しばらくして、花を柊に見立てて話しかけている母の声が聞こえてくる。理央は全てを遮断して、自分の世界に閉じこもった。  本当に可哀想なのは、柊や自分に騙され続けている母なのだ。

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