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第23話 遠い日の記憶②【理央side】
母に花束を渡した日から、数日が経った。
今のところ母の精神は安定していて、理央も無事に食料を貰える日が続いている。
だがそんな日が続いても、理央は気を抜かなかった。
良いことはそう長くは続かない。そしてすぐ後ろでは、不幸が大口を開けて待っている。
理央の人生はそういう風にできていた。だからその時に備えなくてはならない。
母は機嫌がいいと朝から晩まで客をとるようになるので、理央はなるべく家にいる時間を減らすようにしていた。
時間を潰す場所は図書館だったり公園だったり、その日の気分によって変えている。
今日はここ数日で来るようになった、学区外にある公園で時間を潰していた。
この公園には同じ学校の生徒もたまに来るので、理央はあまり目立たないように一番人気のない汚れた土管の中で、じっと本を読んでいる。
最近、理央には気になる存在ができた。それはこの時間になるとやってくる、一人の少年。
最初は、単なる興味本位だった。
その日も理央は同じようにこの場所で、本を読んでいた。すると、ふと聞こえてきた子どもの小さな泣き声。
いつもだったらそんなのが聞こえてきても、理央は無視して読書を続けている。でも今日はなんとなく気になったので、少しだけ外を覗いた。
いつの間に日が暮れていたのか、さっきまで騒がしく遊んでいた子どもたちの姿はもう見当たらない。
その代わり理央のすぐ側で、ランドセルを背負った少年が一人うずくまって泣いていた。
どうしたんだろう。もしかして、あの子も自分と同じように一人なのかな。そう思って見つめていると、少年は泣きながら小さな声で「くろすけ、ごめん。助けてあげられなくて、ごめんな」と呟いていた。
少年の手には、小さな首輪が握られている。それを見て、理央は察した。大方、飼っていた動物が死んだのだろう。
──……動物が死んだくらいで、あんなに泣けるものなのか。
理央にはその感情が分からなかった。弱いものから死んでいく。この世界とはそういうものだろう。
少年はなおも大粒の涙を流しながら、泣いている。何度も何度も拭ったのであろう目尻は赤く腫れ上がっていた。
さっぱりわからない。あの子と自分ではきっと、生きてる世界が違うのだ。理央は自分の中でそう、線引きした。
それなのに、心を痛め泣いている目の前の少年から、理央は目が離せなかった。
翌日。理央はまた昨日と同じ公園にいた。
自分でもなぜここにいるのかは分からなかったが、気づけば自然と足がここに動いていたのだ。
飲みかけのペットボトルやぐちゃぐちゃになった雑誌が散乱している遊具の中で、理央は一人外の様子を窺う。
しばらくすると、昨日の少年がやってくるのが見えた。でも昨日とは違い、少年の周りには複数の友人がいた。
友人らと楽しそうにはしゃぐ少年の声が、理央のいるところまで聞こえてくる。
──今日は、泣いてないんだ。
なんとなくがっかりしたような気持ちになって、手元の本に意識を戻す。
自分は一体、何をしてるんだろう。名前も知らない少年のことを気にして、一体何の意味がある。
けれども次の日もその次の日も、気づけば理央はここで少年が現れるのを待っていた。
理央の予想した通り、母の安定した日は長く続かなかった。
学校が終わり家に帰ると、割れた食器や理央の教科書がぐちゃぐちゃになって散乱していた。
それを拾い集めながら、理央は自分の部屋へとこもる。
「どうして!どうして柊は私に会いにきてくれないの?」
母はそう泣き叫びながら、家中を荒らしていた。
薔薇の花束はとっくに枯れていて、その花びらが理央の部屋で粉々になって散らばっている。
理央は破かれた教科書をテープで直しながら、母の悲しみが治まるのを待った。
しばらくして、部屋の扉が開かれると同時に、理央の体に割れたグラスが投げつけられた。
「嘘つき!理央の嘘つき!あんたのせいよ!!」
そう言いながら、母は何度も何度も理央の体を踏みつけ、蹴り上げた。理央は黙ってそれを受け入れる。
だが母はどれだけこの体を傷つけても、絶対に理央の顔だけは傷つけなかった。
それはきっと、理央の顔が柊に似ていたからなのだろう。
そんな風に同じようなことを何度も繰り返しながら理央の毎日は過ぎて行き、あっという間に冬になった。
季節がいくつ変わっても、理央は相変わらず同じ場所であの少年が現れるのを待っている。
最近は寒くなってきたせいか、見かけない日が多くなっていた。きっと、一緒にいた友人らとどこか温かい場所で遊んでいるのだろう。
母に殴られたお腹を庇いながら理央は一人遊具の中で、あの少年の姿を思い出す。
泣いている顔、怒っている顔、笑っている顔。いつもここからひっそりと、その姿を見ていた。
でも泣いていたあの日以外、少年の周りにはいつも誰かがいた。理央はそれがとても気に入らなかった。
あの子だけを視界に入れていたいのに、他の人間がチラつくのだ。
そうやって今までのことを思い返しているうちに、自分もあの子に近づきたくなった。
自分に笑ってほしい。自分のために泣いてほしい。そうして理央の本能が訴え始める。
「あの子が欲しい、あの子の血が飲みたい」と。
公園から家に帰ると、母の姿はなかった。
母はこうしてたまにふらっといなくなる時がある。一体どこで何をしているのかはわからないが、次の日の夜には帰ってくるので理央は特に気にしない。母がいない夜、家はとても静かになる。理央は早速借りてきた本を開き、自分の世界に没頭した。
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