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第24話 遠い日の記憶③【理央side】

 母が家に帰ってこなくなってから、三日が経った。こんなに長く母が家を開けることは、初めてのことだった。  ついに自分は、捨てられてしまったのだろうか。理央は重たい体を引きずりながら、そんなことを思う。  今日もなんとか学校に登校したが、喉の渇きで頭がおかしくなりそうだった。 「血……、血を飲まなきゃ……」  もう、限界だった。いま血を飲まなければ、自分は死んでしまうだろう。  そう思った理央は母の言いつけを破り、血液パックが隠してある場所を開けた。 「……ない」  棚の中は、もぬけの殻だった。  ここから血の匂いがしなくなっていたのは、一体いつからだっただろう。  そんなことにも気づけないほど、自分の体は限界を超えていたのか。  理央はこの時、自分は本当に母に捨てられたのだと悟った。    もつれそうになる足を必死で動かしながら、理央は家を出る。  あてもなく歩き続け、気づけば理央はあの公園にいた。きっと、頭のどこかであの少年に助けを求めていたのだ。  自分は馬鹿だ。ここに来たところで、会えるはずもないのに。会えたところで、自分はあの子の友達でもなんでもない。助けてもらえるわけないのに。    寒さに耐えながら遊具の中でうずくまっていると、足元に小さな何かが擦り寄ってきた。子猫だった。  血液パックがもらえなくてどうしようもなく飢えた時、理央は野良猫の血を飲んで凌いでいた。  動物の血は人間の血と違って、決して美味しいものではない。だが生きるために理央が頼れるものは、これくらいしかないのだ。  もちろん、殺すつもりはない。少しもらうだけ。そう思いながら、子猫の首元に噛み付いた。  子猫はその痛みに鳴き声を上げ、暴れ始める。それでも構わず理央は血を吸い続けた。  暴れている子猫の鋭利な爪が、理央の手に刺さる。その瞬間、理央は首元から口を離した。  腕の中の小さな命は、荒い呼吸をしている。次にもう一度牙を刺したら、この子は死んでしまうだろう。  けれど理央の意志とは反対に、再び子猫の首元に近づく牙。  血に飢えたこの体を、理央には止めることができなかった。  こんな自分を誰か止めてほしい。お願い。誰か、助けて。お願い。  そう願いながら、もう一度牙を突き刺そうとした瞬間── 「っ……!やめろっ!なに……して……」  そこには、理央が求めてやまなかった少年の姿があった。  これは夢だと思った。飢えすぎて、最後に自分の願望を神様が見せてくれたのだと。 「もしかして……子猫の血を……飲んだ……の……?」  ああ、あの子が自分のことを見てる。やっと自分の存在に気づいてくれた。  あの子が、子猫を渡してほしいと言っている。子猫を渡したら、自分はここで死んでしまうだろう。別にそれでも構わなかった。こうして最後に、自分の存在を認識してもらえたから。  ……でもそうだ。どうせ死ぬのなら、最後に──君の血が飲みたい。    これは理央の、賭けでもあった。少年に血を直接もらえたら、理央の命は助かる。  理央の言葉に少年は頷いてくれたが、もう戻ってくる気はないのだろう。  それでも、理央は少年のことを信じた。あの日、小さな命を助けられずに嘆いていた彼のことを。理央は信じたかったのだ。    だが冷たい雨が降り続ける中、いくら待っても彼が戻ってくる気配はなかった。  時間が経つにつれて雨は凄まじい勢いに変わっていく。せめて体が濡れない様にと、理央は遊具の中心でうずくまる。  冷たい雨にどんどん体温が奪われていく。喉の渇きは、限界を超えていた。  もう彼は、戻ってこないのかもしれない。硬い地面に自分の体が打ち付けれられる衝撃がした。  寒い。自分はここで、一人で死ぬのか。  それからしばらく意識を失っていたが、こちらに駆けつけてくる足音が聞こえてきて、理央は目を覚ます。 「……っ!どうして……!」  あの子が、戻ってきた。うるうると涙の膜を張った大きな瞳で、自分のことを見つめている。  理央は賭けに勝った。そうして甘美に熟した少年の血を啜り、理央の命は救われたのだった。 「……俺、綾瀬咲人っていうんだ。ねえ、きみの名前は?」  そう言って、申し訳なさそうな顔で理央のことを見つめてくる。  ──ああ、咲人。やっと君を捕まえた。

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