24 / 50
第24話 遠い日の記憶③【理央side】
母が家に帰ってこなくなってから、三日が経った。こんなに長く母が家を開けることは、初めてのことだった。
ついに自分は、捨てられてしまったのだろうか。理央は重たい体を引きずりながら、そんなことを思う。
今日もなんとか学校に登校したが、喉の渇きで頭がおかしくなりそうだった。
「血……、血を飲まなきゃ……」
もう、限界だった。いま血を飲まなければ、自分は死んでしまうだろう。
そう思った理央は母の言いつけを破り、血液パックが隠してある場所を開けた。
「……ない」
棚の中は、もぬけの殻だった。
ここから血の匂いがしなくなっていたのは、一体いつからだっただろう。
そんなことにも気づけないほど、自分の体は限界を超えていたのか。
理央はこの時、自分は本当に母に捨てられたのだと悟った。
もつれそうになる足を必死で動かしながら、理央は家を出る。
あてもなく歩き続け、気づけば理央はあの公園にいた。きっと、頭のどこかであの少年に助けを求めていたのだ。
自分は馬鹿だ。ここに来たところで、会えるはずもないのに。会えたところで、自分はあの子の友達でもなんでもない。助けてもらえるわけないのに。
寒さに耐えながら遊具の中でうずくまっていると、足元に小さな何かが擦り寄ってきた。子猫だった。
血液パックがもらえなくてどうしようもなく飢えた時、理央は野良猫の血を飲んで凌いでいた。
動物の血は人間の血と違って、決して美味しいものではない。だが生きるために理央が頼れるものは、これくらいしかないのだ。
もちろん、殺すつもりはない。少しもらうだけ。そう思いながら、子猫の首元に噛み付いた。
子猫はその痛みに鳴き声を上げ、暴れ始める。それでも構わず理央は血を吸い続けた。
暴れている子猫の鋭利な爪が、理央の手に刺さる。その瞬間、理央は首元から口を離した。
腕の中の小さな命は、荒い呼吸をしている。次にもう一度牙を刺したら、この子は死んでしまうだろう。
けれど理央の意志とは反対に、再び子猫の首元に近づく牙。
血に飢えたこの体を、理央には止めることができなかった。
こんな自分を誰か止めてほしい。お願い。誰か、助けて。お願い。
そう願いながら、もう一度牙を突き刺そうとした瞬間──
「っ……!やめろっ!なに……して……」
そこには、理央が求めてやまなかった少年の姿があった。
これは夢だと思った。飢えすぎて、最後に自分の願望を神様が見せてくれたのだと。
「もしかして……子猫の血を……飲んだ……の……?」
ああ、あの子が自分のことを見てる。やっと自分の存在に気づいてくれた。
あの子が、子猫を渡してほしいと言っている。子猫を渡したら、自分はここで死んでしまうだろう。別にそれでも構わなかった。こうして最後に、自分の存在を認識してもらえたから。
……でもそうだ。どうせ死ぬのなら、最後に──君の血が飲みたい。
これは理央の、賭けでもあった。少年に血を直接もらえたら、理央の命は助かる。
理央の言葉に少年は頷いてくれたが、もう戻ってくる気はないのだろう。
それでも、理央は少年のことを信じた。あの日、小さな命を助けられずに嘆いていた彼のことを。理央は信じたかったのだ。
だが冷たい雨が降り続ける中、いくら待っても彼が戻ってくる気配はなかった。
時間が経つにつれて雨は凄まじい勢いに変わっていく。せめて体が濡れない様にと、理央は遊具の中心でうずくまる。
冷たい雨にどんどん体温が奪われていく。喉の渇きは、限界を超えていた。
もう彼は、戻ってこないのかもしれない。硬い地面に自分の体が打ち付けれられる衝撃がした。
寒い。自分はここで、一人で死ぬのか。
それからしばらく意識を失っていたが、こちらに駆けつけてくる足音が聞こえてきて、理央は目を覚ます。
「……っ!どうして……!」
あの子が、戻ってきた。うるうると涙の膜を張った大きな瞳で、自分のことを見つめている。
理央は賭けに勝った。そうして甘美に熟した少年の血を啜り、理央の命は救われたのだった。
「……俺、綾瀬咲人っていうんだ。ねえ、きみの名前は?」
そう言って、申し訳なさそうな顔で理央のことを見つめてくる。
──ああ、咲人。やっと君を捕まえた。
ともだちにシェアしよう!