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第25話 遠い日の記憶④【理央side】

 それから理央は一日のほとんどの時間を咲人と過ごした。  咲人は初めて理央の傷だらけの体を見た時、泣いてしまった。その反応に、理央の汚い心は満たされた。  咲人が自分を可哀想だと思ってくれればくれるほど、彼は自分から離れられなくなる。もっともっと、彼を縛り付けなくては。    彼の兄が通っているという、月ノ宮学園。そこに行けば、ずっと一緒にいられるのだと咲人は言った。  自分は毎日を生き延びることに必死で、未来を考えたことなんて一度もなかった。    『咲人と同じ学校に通う』    こんな自分にも、生きる希望ができた。勉強は元々好きだったし、本は一度読めば全て暗記できてしまう。  自分にとって勉強は唯一孤独から救ってくれるものだったから、それが咲人の役に立って嬉しかった。  咲人に公園で助けてもらった日、母は家に帰ってきていた。  ボロボロになった母の体を見てすぐに、またあの男たちに暴力を振るわれていたのだと分かった。 「理央ぉ、どこ行ってたのよおお」  苦しいくらいに抱きしめられた後、母と同じ場所に傷をつけられる。いつものことだ。  母から受ける暴力は痛かったけれど、その後咲人が優しく手当てしてくれるからいくらでも耐えられた。  もっと酷くしてほしいと、自分から母に強請ったこともある。なかなか傷の減らない自分の体を見て、咲人はいつも泣いていた。  自分の前では泣かないようにと、隠れて涙を流す咲人。自分のために泣いている咲人は、本当に可愛い。  そうやって体に傷を増やしていっては、咲人を自分の元に縛りつけた。  理央はほとんど毎日咲人の血を吸って過ごしていた。  咲人の血は、この世のどんなものよりも美味しい。それは理央にとって、手放すことのできない麻薬のようなものだった。  お互いがその行為に慣れてきた頃、咲人からある提案をされた。 「あのさ、理央……たまには違うところから吸ってほしい」  いつものように首元から血を貰おうとしたところ、そんなことを言われた。 「首ばっかりじゃ痛い?」 「痛いっていうかー……隠しにくいかなって」  確かに咲人は首元が隠れるようなシャツをあまり持っていないから、いつも絆創膏を貼って誤魔化していた。  極力それも周りから見えないような位置から吸っていたが、咲人的にはやはり不安らしい。 「じゃあ、咲人はどこがいいの?」  そう聞くと咲人は「うーん」と唸り、人差し指を見せてきた。 「これじゃ、少ないか」 「そんなことないと思うけど」  差し出された手を掴み、理央は咲人の指を咥える。  咲人の顔を見つめながらぷつんっと肌に牙を差し込むと、彼は一瞬だけ顔を歪めた。  それからしばらく血を吸っていると、咲人が「なぁ」と理央を呼んだ。 「俺の血ってどんな味なの?」  そう言われて理央がゆっくりと牙を抜くと、咲人は少し息を漏らした。 「ん……そうだな。例えることはできない、かな」 「えぇー!ビミョーってこと?」 「それはないよ」  実際のところ、この味を何かに例えることはできない。自分と咲人の味覚は違うから。  もし表せたとしても、誰かにこの味を教えたくなかった。例え咲人本人でも。  咲人の血は、この世界で自分だけのものにしたいから。  ──この先、もし誰かに咲人の血を飲まれてしまったら……僕はそいつを殺してしまうかもしれない。  母の様子は相変わらずで、機嫌がいい時だけ血液パックがもらえるのも変わらない。  だがその頃から理央の体はもう、血液パックでは満たされなくなっていた。  少し前までは喉から手が出るほど欲しかったソレ。咲人に血を貰うようになってから、美味しいと感じなくなっていた。  それどころか、不味くて不味くて仕方がない。理央にとっては生臭くて気持ちの悪いものになってしまった。  一方咲人の血は、永遠に味わっていたいほど甘美なものだ。  理央はもう咲人なしでは生きていくことのできない体になっていた。    春。いよいよあと一年で卒業を迎える。  咲人との勉強会を終えて家に帰宅すると、久しぶりに母が荒れていた。  散乱する割れたグラスと、タバコの吸い殻。それから饐えたような匂い。母が暴力を受けていたことは一目瞭然だった。 「理央……理央……きて」  母に呼ばれ、理央は片付けていた手を止める。  てっきり蹴られるのかと思ったが、久しぶりに血液パックを手渡された。 「お願い……会いたい。彼に、会いたいの」  咲人に血を貰っている今、これのために柊の元へ行く必要性なんてなかったが、理央は黙って受け取った。 「理央、大好きよ。お願いね」  痣ができた顔で必死に笑顔をつくり、理央を抱きしめてくる母。  自分にも、咲人という特別な存在ができた。だからどんなに願っても柊に会えない母のことを思うと、胸が痛んだ。  その日の夜。理央は柊が確実に店にいる時間を狙って、家を出た。

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