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第29話 遠い日の記憶⑧【理央side】

 翌日。しばらく休んでいた学校へ行く準備をしてると、真広が部屋に入ってきた。  そのまま無断で理央のベッドに座る真広。理央が無視していると、ベッドに手をついた真広が話しかけてくる。 「おい、理央。お前あのオンナ気持ちよくしてやんなかったの?」 「知らない。僕はいつも通りやっただけだ」  理央がそう言うと、真広は呆れたようなため息を吐く。  昨晩、理央は義父が手配した女の血を吸った。それも容赦無く、柊に殴られた痛みを咲人にぶつけた時のように。  すると女はすぐに暴れ始め、理央の頬を叩き部屋から出ていった。その一部始終を、真広に見られていたのだ。 「あのな、お前の吸い方じゃ吸血ってよりも捕食に近い。勢いよく噛みすぎ、ガキかよ」  その言葉が(しゃく)に障り、理央は真広を睨む。すると彼はベッドから立ち上がり、理央の元までやってきて肩を組んできた。 「いいか?もっとゆっくり、牙を入れてやんだよ。そしたら相手も気持ちよくなれるんだ」 「なぜ僕がそんなことしてやらなきゃならない」 「お前さ……そんなんじゃ嫌われちまうぞ?その咲人ってやつにも。てか今までよく我慢してたな、そいつ」  理央が頑なに女の血を拒否していた理由を、真広はもう知っている。  理央が寝込んでいる間、何度もその名前をうわ言のように口にしていたからだ。 「咲人はその辺の奴らとは違うから」 「ふーん。僕は愛されてましたから……ってこと?」  ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべながらそう言われ、理央は肩に回された真広の手を払った。 「おい!せっかくお迎えに来てやったのに」  後ろで騒いでいる真広を無視して、理央はさっさと家を出る。  学校に向かいながら、先ほど真広に言われたことを思い出していた。  ──痛みに耐える咲人も可愛かったけれど……僕の牙で気持ちよくなっちゃう咲人も見てみたいな。  学校から帰ると、理央はいつも自室のベランダにいる。ここは風当たりも良く、読書をするのに最適な場所だった。  椅子に背中を預け本を読みながら、理央は先ほど義父から貰ったりんごを取り出す。目の前に広がる大きな庭には、りんごの木が生えているのだ。  義父が用意した『餌』の血を吸ってから、確かに理央の体調は良くなった。  それからも定期的に手配された女の血を飲み、理央はなんとか生活している。  理央が今いる環境は、吸血種以外の人間を全て下に見ているようなところだった。血を提供してくれる人間のことは全員『餌』だと思っている。  金、権力、女……わかってはいたが、ここは想像以上に汚い世界だ。  理央は短くため息を吐き、手に持っていたりんごを一口(かじ)る。  ──咲人に会いたい。  ここへ来てから、理央は毎日夢を見るようになった。  夢にいつも出てくるのは、母と咲人。そのほとんどは記憶の断片だ。  そして夢から目覚めた時、理央はいつも一人取り残されている。酷い喪失感(そうしつかん)と共に、一日が始まるのだ。  パウダールームで顔を洗っていると、寝起きの真広が大きな欠伸をしながら隣にやってきた。その真広と、鏡越しに目が合う。 「お前さ、また食事拒否でもしてんの?」  真広はおそらく理央の顔色を見て、そう思ったのだろう。 「それは……してない。上手く眠れないだけだ」 「そういうときはスポーツでもやればいい。なんか得意なモンとかないの?」  確かに、何かに打ち込んだ方が気も紛れるのかもしれない。 「得意なこと……一つだけなら、あるかも」  それから真広に言われたことがきっかけで、理央は弓道部に入った。  弓を引いている間だけは咲人のことを忘れ、一人の世界に没頭できた。

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