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第32話 溢れ出した欲望②【理央side】

 咲人からキスしない宣言を受けて、数日。理央は朝から月ノ宮学園の弓道場にいた。  この時間は放課後よりも人数が少ないようで、好きなだけ自分の時間に浸れた。  弓道部の朝練は自由参加だ。自分は朝起きるのが苦手なため、滅多に出たことはなかったが。  練習の合間に控え室で休憩をしていると、一人の男子生徒に話しかけられた。 「お、神崎がいるなんて珍しいな」  そう言って、自然に理央の隣に腰掛ける。  北見大和。咲人のルームメイトだ。校内でも、咲人とあの地味な吸血種と三人でいるところをよく見かける。 「別に。僕がいない方が君達もやりやすいでしょ」 「はは、そんなことないよ。神崎も色々大変そうだよな」  彼が言っているのは、自分目当てでここへやってくるギャラリーたちのことだ。  そういった生徒があまりにも増えてしまったため、最近は関係者以外入れないようになっている。  自分はこの男を含め他の部員とあまり会話をしないため、周囲にどう思われているのか実際のところわからない。  ただ、自分のせいで迷惑をかけて、申し訳ないなとは思っている。 「……この間、咲人をここへ呼んだのは君でしょ」 「ああ。綾瀬って勉強ばっかしてるだろ?だから少しでも息抜きして欲しかったんだ。神崎もいるし、丁度良いかなって」  そう言って、北見は人当たりのいい笑みを浮かべる。なんとなく彼は、自分と咲人の関係性を察しているように思う。  どこまで知っているのかは知らないが、少なくとも自分が咲人に執着していることはバレているのだろう。  自分的にはこのルームメイトが一番気に入らないので、どうでもいいけれど。 「北見くんは僕達のこと、知ってるんだ?」 「ああ、同じ部屋になった日に綾瀬から聞いた。二人は親友だったんだろ?神崎がいないってわかった日のあいつ、すごい落ち込んでてさ」 「……そう」  それで君は落ち込んでいるところを慰めて、咲人の隣にいる権利を勝ち取ったんだ。 「よし。そろそろ練習戻るか!先行ってるな」  北見は立ち上がると、理央の肩をぽんっと叩いて戻っていった。  自分でも時々嫌になるくらい、咲人の同級生を疎ましく思ってしまう時がある。  最近は咲人が彼らと一緒にいるところを見るだけで、心が闇に飲み込まれてしまう。  今までも何度か、自分の汚い本心を咲人に見せてしまったことはあった。でもそういう時、咲人はいつも返答に困っている。あたり前だ、彼に悪気はないのだから。  そしてつい最近、咲人に「無視だけはしないでほしい」と言われた。  それに対して、正直に自分の気持ちは伝えてみた。でも、咲人は。  ──俺も昔はさ、理央のことを独り占めできて嬉しいなーって思ってたんだ。けど……やっぱり理央が他の人と仲良くしてるとこ見れた方が、俺は嬉しいよ。  咲人は本心からそう思っているみたいに、優しく微笑んでくれた。  でも、自分は違う。全然嬉しくない。だから思わず。  ──僕は君を独り占めできたことなんて、一度もない。  そう、呟いてしまったのだ。すると咲人は、嫉妬ばかりしてしまう自分のことをまるで子供のようだと笑った。  そうだよ、咲人。自分はあの頃から、何も成長していない。  咲人と毎日していたキスが出来なくなって、理央はいよいよ焦りと不満を抱えていた。  側にいるのに触れることができないなんて、そんな悲しいことはないだろう。  だから最近は二人きりになると、もっぱら咲人のくっつき虫になって、その体を後ろから抱きしめている。 「もー理央!そんなくっつかれたら暑いってば」  咲人は昔から暑がりだ。汗っかきなところも、可愛い。 「あっ、そんなとこ舐めんなよ!」 「でもこれはキスじゃないよ?」 「そうだけど!」  可愛い顔を真っ赤にしながら、騒ぐ咲人。そんな顔で怒っても、逆効果なのに。彼はいまだにそれをわかっていない。  試しに、自分から離れようとする咲人のことをじっと見つめてみる。するともう降参なのか、彼は黙って前に向き直って、大人しく腕の中におさまった。  目の前のうなじは赤く染まっているし、触れ合っている部分の体温は、先ほどよりも明らかに熱い。  これでは、全身で理央のことを好きだと訴えているようなものだ。  でも咲人が本当に嫌がることは、したくない。  だからはやく。はやく彼からの許しが欲しい。  初めて咲人にキスをしてもらったあの日から、彼の身も心も自分のものにしたくてたまらない。  いつも咲人の体を抱きしめながら、自分はお預けを食らった犬のように尻尾を振って待っているのだ。  翌日の昼休み。不安げな表情をした咲人が、意を決したように話し出した。 「理央、さすがにこの間のあれ……みたいなのは、付き合ってる人たちがすることであって」 「うん」 「その、俺たちはまだ……」  なんだ、咲人はずっと、そんなことを気にしていたのか。咲人からの好意がわかりやすくて、段階を踏むことをすっかり忘れていた。  咲人の好意が自分に向いていることは、今までの反応を見ていればわかる。そしてそれは、もうずっと前から自分も同じこと。咲人は自分達のこの関係に、名前が欲しかったのか。  咲人の膝の上に置かれている手をとり、ぎゅっと握る。 「咲人、好きだよ」 「し……知ってる」  恥ずかしいのか、咲人の顔が途端に赤くなり、目を逸らされた。 「咲人も僕のこと好きでしょ?」 「…………うん」 「じゃあ、ああいうことしてもいいよね?」 「でも、理央……」  まだ納得がいってなさそうな顔をしているのは、なぜだろう。  けれど咲人が昔から押しに弱いことを、理央は知っている。 「僕の恋人になるのは、嫌?」  咲人の顔がさらに赤くなった。可愛い。あと一押しだ。 「こっち向いて」  そう呼びかけても、咲人は黙って俯いたまま。  そんな咲人の頬を優しく包み、上向かせると、軽いリップ音のするキスを贈った。 「ね、好きだよ。だから僕と付き合おう?」  今度こそ目を逸らせないように頬を包んだままそう告げると、咲人は真っ赤な顔で頷いた。 「……お前さ、そういうのどこで覚えてきたんだよ」 「咲人にしかやったことないよ」  嘘つけ、と言わんばかりに疑った顔をこちらに向ける咲人。本当のことなんだけれど。  こうして理央と咲人は、晴れて恋人同士になった。

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