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第36話 溢れ出した欲望⑥【理央side】
あの後理央は一人で寮に戻り、すぐに真広に連絡をした。
咲人には部屋までついていくと言われたが、そんなことをされたら自分が咲人に何をしてしまうかわからなかったため、半ば逃げるように一人で戻ったのだ。
咲人の血を味わった瞬間は頭が真っ白になって、何も考えられなくなった。
ここがどこなのかも、自分が何をしているのかもどうでもよくなって。
あのまま咲人が倒れてなかったら、理央は間違いなく咲人の首筋に噛みついていただろう。
──やってしまった。ここまで、我慢してきたのに。
自分の意思でコントロールできない体が、怖い。次咲人の顔を見たら、一体自分が何をするかわからない。
だから理央は学校を休み、神崎家に来たのだった。
玄関を開けると、真広が出迎えにきてくれていた。しかし真広の姿を見た瞬間、理央はその首筋に勢いよく噛み付いた。
「いっ……てぇな……っおい、理央!正気に戻れ」
──足りない。足りない。足りない。咲人の血が欲しい。咲人の血が飲みたい。
「……はぁ」
真広は抵抗を止めると、理央の好きにさせた。
すると騒ぎに気づいた晴が玄関までやってきて、無理やり真広から理央を離れさせた。だが正気を失った理央は、今度は晴の首筋に噛み付いた。
「……っ理央、僕だよ、晴。わかる?」
「うっ……うう……」
「理央……大丈夫だよ」
その言葉が咲人の声と重なって、理央はようやく正気を取り戻した。
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理央が落ち着いたところで三人でリビングに移動し、仕切り直すことになった。
「……ごめん、二人とも」
「ったく、ほんと手のかかる奴だな。お前は」
「気にしないで。混乱しちゃうよね」
相変わらず優しい晴。先ほどはそれどころじゃなかったが、晴はまだ留学中のはずだった。
「なんで晴もここに?」
「真広がさ、理央のこと心配して僕に連絡くれたんだよ。僕も丁度学校が休みだったから、急いで飛行機に乗ったんだ」
「あんな電話かかってきたら、誰でも心配になんだろ」
「……ありがとう、心配かけてごめん」
それから三人でしばらく話しているうちに、理央はいつもの自分に戻れていた。
「とりあえずこの錠剤と、あと飲めるかわからないけど一応……血液パック。中身は僕たちの血だから、他のものよりかはましだと
思う。飲めなかったらごめんね」
手渡されたものを受け取ろうとしたところで晴に力を込められ、理央の手も止まる。
「この錠剤さ、効かないからってたくさん飲みすぎちゃダメだからね?」
「……うん、わかった」
「我慢できないなら、毎日帰って来ればいい。月ノ宮って別にそんな遠いわけでもねーしな」
真広がぶっきらぼうにそう言った後、その表情が少し険しいものになる。
「……だがな、理央。お前のその渇きはもう、そいつじゃなきゃ満たせないってことをよく覚えとけよ」
神崎邸を後にした理央は、その日のうちに下弦寮へと戻った。
スマホを開くと、当然ながら咲人からの連絡が来ていた。今はまだ二人の血を貰ったばかりだから落ち着いているが、咲人に会ったらまたどうなるかわからない。理央は咲人のメッセージに返事をすると、ベッドへ横になった。
なんとなく、自分でもわかっている。次咲人の血を飲んだら、自分は咲人のことを壊してしまうだろう。
それでも真広が言ったように、この渇きはもう咲人以外の人では満たせないのだ。
もしそれで、咲人が自分から離れて行こうとしたら。咲人が他の誰かのものなってしまったら。
『あの人』がそうだった様に、きっと自分も、咲人のことを。
翌日。理央はいつも通り、昼休みに咲人のもとを訪れた。
咲人の顔を見るまで不安で仕方なかったが、危惧していたようなことは起きなかった。
「理央、その……体の方は大丈夫だったのか?」
「もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
空き教室に着くなり、咲人は心配そうに尋ねてきた。
昨日は体調が不安定だから、家族のところへ行ってくるとだけ連絡していたのだ。
「咲人はもう、怪我したところ痛くない?」
「あ……うん。もう平気、そんな大したやつじゃないし」
確かに頬にできた内出血の跡は、ほとんど消えかかっている。
そこへ手を伸ばして触れると、咲人の体がびくりと揺れた。
「……キスしてもいい?」
晴にはああ言われたが、今日は錠剤を規定以上に多く飲んできた。
血液パックを飲むことはやっぱりできなかったけれど、咲人にもう一度キスをして、自分の体に何も起きなかったら大丈夫。そう証明したかった。咲人の返事を待っていると、唇に微かな衝撃を感じる。
「っ……!」
咲人から、キスをされた。
肩に咲人の腕が回り、口付けが深くなる。咲人の舌が入ってきて、理央の舌を控えめにつついた。
そんな健気な咲人にたまらなくなって、理央は自分から舌を絡めた。
もう血の味はしない。でもそんなことよりも、咲人から深いキスをしてくれたことが嬉しくて、今すぐにでもここに咲人を押し倒したくなった。
何度か舌を絡めたあと、名残惜しさを感じながらも二人は唇を離す。
「いつもはキスしてもいいか、なんて聞かないだろ」
目尻を赤く染めながら、咲人は少し不満気にそう言ってくる。
「……うん、そうだね。本当にそうだった」
理央は目の前の、自分よりも華奢なその体を抱きしめる。さっきまでこの愛おしい人に触れるのが、怖くて怖くて、たまらなかった。
──やっぱり僕は、咲人のことが大好きだ。
それから残りの休み時間も、夜の勉強会も何事もなく咲人と過ごせた。
晴がくれた薬もあるし、週末は真広に血を貰える。もし途中で辛くなっても、真広の元に帰ればいい。
──大丈夫。これからも僕は、咲人の隣で上手くやっていける。
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